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元気でいこう!人生春夏秋冬

春夏秋冬に寄せての人生訓(小路小学校より出典)
人に接する時は、春のような温かい心。
仕事をする時は、夏のような燃える心。
物を考える時は、秋のような澄んだ心。
己を責める時は、冬のような厳しい心。

浅草、美味しい手作り和食と江戸アート

秋晴れの気持ちのいい日、

今日の目的は、古くから人々の信仰を集める

「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」で開催されている浮世絵展です。

芸術の秋を満喫する前に、まずは腹ごしらえから。

 

典型的な和食! お寺の前の、店。

 

眼の前が待乳山聖天。

 

賑やかな浅草のイメージとは少し違う、静かで穏やかな空気が流れるパワースポット。

すぐそばには人力車も待機していて、江戸情緒を感じさせてくれます。

 

 

待乳山聖天のすぐ目の前にある「 madei」さん。

木のぬくもりが感じられる、お洒落で落ち着いた佇まい。

11時半に到着すると、すでにお店の前には20人ほどの行列が!

 

待つことしばし。

 

 

1200円!ふっくらと焼き上げられた鯖が主役の和定食。

 

 

歴史を感じる静かな杜へ。いざ、待乳山聖天。

 待乳山は、標高わずか10メートルほどの小さな丘ですが、

平坦な関東平野の中では非常に目立つ存在でした。

 

隅田川のすぐそばにあるこの高台は、古くから戦略的にも重要な場所と考えられてきました。 

 

待乳山聖天は、推古天皇9年(西暦601年)に創建されたと伝えられており、

浅草寺(創建628年)よりも古い歴史を持つお寺です。

 

この小さな「山」があることから「待乳山」という名がつき、

多くの人々の信仰を集め、江戸の名所として親しまれてきました。

 

 

 

お目当ての「浮世絵展」を鑑賞。

 

江戸時代の人々の暮らしや文化が生き生きと描かれた作品の数々。

 

 

さて、ここからは 浮世絵の話を少し解説しますね。

 

 

学芸員さんのお話によれば・・・

 

名勝待乳山聖天と江戸の活力!

 

浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)を舞台に、江戸時代の文化と人々の活力を浮世絵を通して紹介する展示の数々。
江戸時代、浅草やこの待乳山周辺は、江戸の中心部から見ると北東の
 
「鬼門」にあたる方角
 
でしたが、街の拡大とともに次第に華やかな文化の中心地の一つへと発展していきました。
特に待乳山周辺には、文化的な賑わいを生み出す三つの要素がありました。
 
3つがポイントなのです。↓
  1. 待乳山聖天: 古くからの信仰を集める寺院。
  2. 新吉原: 幕府公認の遊郭。
  3. 猿若町(さるわかまち): 江戸三座が集められた芝居町。
さらに、
 
近くには幕府の米蔵があった
 
「蔵前」
 
があり、武士たちの給料であるお米がここに集積されたため、経済的にも非常に豊かな地域でした。
こうした背景から、待乳山周辺は多くの人々で賑わい、浮世絵の格好の題材となったとのこと。
 
 
「浮世絵」の「浮世」という言葉は、
もともと仏教的な思想から来る「憂世」、つまり辛くはかないこの世の中、
といった少し否定的な意味合いで使われていました。
 
しかし、江戸時代に入るとその意味合いは変化し、
 
「浮かれた世の中」、
 
すなわち当時の流行や人々の暮らし、面白い出来事などを指す肯定的な言葉として捉えられるようになりました。
 
浮世絵って以下のような流れで進められます。
  1. 絵師(えし): プロデューサー(版元)からの注文を受け、下絵を描く。
  2. 彫師(ほりし): 絵師の下絵を版木に貼り、絵の線を残すように彫る。色の数だけ版木が必要になる。
  3. 摺師(すりし): 彫師が彫った版木を使い、紙に一色ずつ色を摺り重ねていく。

当時、大判と呼ばれるA4サイズほどの大きさの版画一枚の値段は、

 

現在の価値で500円程度と、子供でも買えるほど手頃なものというお話でした。

 

ここから、展示作品で浮世絵のポイントです~~

まずはこれ

 

この絵一枚で、

 

待乳山、隅田川、今戸橋という3つの要素がセットで描かれていることが見て取れます。

 

歌川広重「東都名所 待乳山雪晴之図」

 

待乳山で、山の上にはお社が描かれています。眼下には隅田川が流れ、

何艘もの船が行き交っています。遠くには今戸橋(いまどばし)が見え、

当時のこの地域の位置関係がよくわかります。

 

 

次はコレ。

 

1枚で価値のある組写真です。

 

歌川国芳「東都名所 待乳山之図」

 

3枚で一つの大きな絵となる「三枚続」の作品です。

 

一枚ずつ見ても楽しめますが、三枚を並べることでより壮大なパノラマが広がります。

この作品の魅力は

 

、単なる美人画ではなく、「美人と名所」を組み合わせている点にあります。

  • 左の絵: 着飾った美人の背景には、雄大な富士山が見えます。
  • 中央の絵: 凛とした立ち姿の美人の向こうには、浅草寺の五重塔が描かれています。
  • 右の絵: 隅田川のほとりで休む美人の背後には、待乳山が描かれています。

このように、

富士山、浅草寺、そして待乳山という、

江戸の名所を代表する景観を美しい女性たちと共に描くことで、

それぞれの価値を高めあう構成になっています。

 

 

次は~

 

歌川広重 二代「東京名勝之内 浅草公園地凌雲閣一覧之図」↓

 

明治時代に描かれた浅草寺境内のにぎわいです。

 

面白いのは、この時代ならではのものが描かれている点です。

 

絵の奥、現在の花やしきのあたりには「人造富士」と呼ばれる、富士山を模した巨大な張りぼての山が描かれています。

これは興行師が金儲けのために作ったアトラクションで、数年でなくなってしまいましたが、当時の浅草の新しい名物として人々の注目を集めました。

 

 
 
渓斎英泉「浮絵日本橋之図」↓
 
建物の線や橋の構造を使い、画面に奥行きを出そうと懸命に努力している様子。
伝統的な日本の絵画(狩野派など)が様式の継承を重んじたのに対し、
 
庶民を相手に商売をしていた浮世絵師たちは、人々の興味を引くためにこうした新しい技法を積極的に取り入れたのです。との解説でした。
 
 
最後にこれはよくみる浮世絵です。
有名な、東海道五十三次の出発点である日本橋の朝の様子を描いた作品
 
歌川広重「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」
 
橋の上を行き交う大名行列の一行や、魚河岸へ向かう人々で活気に満ち溢れています。
この絵は、遠近法がより洗練されて使われている例です。
手前の人物は大きく、奥の建物や人物は小さく描かれ、自然な奥行きが表現されています。
 
この作品の頃には、浮世絵師たちがヨーロッパの遠近法を学び、
自分たちの表現として消化していたことがわかります。
 
 
少しだけ、会場の浮世絵を学芸員の方が節目してくれた浮世絵ですが
楽しんでいただけました~。
 
 待乳山からの眺め。
 
 
観覧後は、お茶のスイーツで。
 
店の名前は
 
「雷一番」