朝のコメダ珈琲店。
ブレンドコーヒーに厚切りトースト、ゆで卵。窓の外は少し冷たい風が吹いていて、秋が深まってきたことを感じさせます。
そんな中で手に取ったのが、週刊誌の二大巨頭「週刊新潮」と「週刊文春」。
昔からこの二誌はライバル関係にあると言われていますが、
こうして並べて読むと、それぞれのカラーがはっきりと浮かび上がってきます。
「新聞では知っているけど、もっと裏側を知りたい」
「テレビでは流れないけれど、人間臭い部分を覗いてみたい」
そんな欲望を満たしてくれるのが週刊誌の魅力。
少し胡散臭くもあり、けれど妙にリアルで、コーヒーと一緒に味わうと不思議な余韻が残ります。
今回は、10月9日号の「新潮」と「文春」をそれぞれめくりながら、私なりに感じたことをまとめてみます。
週刊新潮を読みながら政治の陰影と社会
新潮の巻頭にあったのは「中秋の名月」。旧暦十五夜の夜を指す言葉、
芋名月という呼び名、里芋を供える習わし。
知識としては知っていたけれど、こうして解説を読むと「ああ、そうか」と身近に感じられる。スーパーに並んでいた里芋が急にありがたいものに見えてきました。
そんな柔らかな入り口の後に続くのは、やはり硬派な政治記事。自民党総裁選の内幕、小泉進次郎の期待外れ、林芳正氏の対中外交への不安。
選挙の行方はテレビでも騒がれているけれど、週刊誌はより生々しい裏話を拾ってくる。正直、私は「誰が首相になっても庶民の生活はそう変わらない」と思ってしまう部分もあるのですが、それでも外交や防衛となると別の話。中国やアメリカとの関係は、私たちの暮らしの根っこにじわじわ響いてくるものです。
新潮で大きく取り上げられていたのが「前橋市長の不倫スキャンダル」。市役所職員との関係やラブホテルでの目撃談、さらに奥様探偵団が調査に動いた、なんて話まで。
ここまで赤裸々に書かれると、読んでいるこちらが赤面してしまいます。
政治家が「清廉さ」を求められるのは当然ですが、人間である以上、弱さや欲望は消せないもの。
とはいえ、権力や立場を利用した関係はやはり問題で、結局は市民の信頼を裏切ることになる。
雑誌を読みながら
人も家族も、市民も気の毒だなあ」と複雑な気分になりました。
大阪万博の話題もありました。会場は連日大盛況、メディアでは「大成功」と持ち上げられる一方で、ゼネコンへの支払いが滞っているというのです。
派手な花火の裏で職人や下請けが泣いている構図は、これまでも何度も繰り返されてきたはず。なのにまた同じことを繰り返してしまう。
華やかな報道の陰で「誰が損をしているのか」を指摘してくれるのは週刊誌の重要な役割だと感じました。
さらに、「群馬県大泉町では住民の5人に1人が外国人」という記事も印象的でした。工場労働者を中心に移民が増え、町の景色が大きく変わっている。
食べ物も、言葉も、文化も変わっていく。
私は「日本の未来」を考えるとき、この問題を避けて通ることはできないと思います。
北海道の水源地や観光地を中国資本が買い漁っているという記事も載っていましたが、これも今の円安のなかでは現実味を帯びています。
もし「日本の土地が日本人の手に残らない」状況になったら、
どんな国になるのか。考えるだけでぞっとします。
もちろん、新潮は暗い話ばかりではありません。大谷翔平選手の活躍を伝える記事は、
やはり読むだけで元気が出ます。
メジャーリーグの頂点で堂々と戦う姿は、日本人に誇りを与えてくれる存在。
政治やスキャンダルで心が曇っても、大谷選手の記事で晴れやかな気分になれる。
そんなバランスもまた新潮らしさかもしれません。
週刊文春を読みながら ── 人間模様と身近な生活感
続いて「週刊文春」。同じ週に発売された号ですが、誌面の空気は新潮とはまったく違います。
新潮が「硬派な論評」であるなら、文春は「人間ドラマ」。
やはりこちらでも前橋市長の不倫問題が取り上げられていました。ただ、新潮が政治的な観点を絡めて書いているのに対し、文春はもっと人間臭く、奥様探偵団のエピソードなどを面白おかしく展開。
つい電車の中で読むのが恥ずかしいくらい生々しいのですが、それでも「つい読んでしまう」のが文春の力。
他にも多彩な記事が並んでいました。
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熊本・八代市の復興事業をめぐる171億円疑惑
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皇族の将来をめぐる議論、女性天皇は可能かどうか
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宝塚のいじめ自殺事件から2年を振り返る特集
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「受験母カリスマ4人」が語る、スマホ使用のルール作り
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秋の花粉症と腸活の関係
新潮に比べて、より身近で生活に直結する話題が多い印象です。
たとえば「スマホと子ども」の記事は、まさに現代の家庭が抱える悩みの象徴。親が子どもに「2時間ルール」を守らせようとしても、親自身がずっとスマホを見ていては説得力がない。
読んでいて胸に刺さるような内容でした。
芸能記事と、私自身。
文春の誌面をめくっていくと、芸能記事やYouTubeをめぐる話題に目が留まりました。
人気管理栄養士がYouTubeで発信し、大勢の登録者を集めているという記事。そんな記事を読むと、
どうしても自分のことを思い出します。
私は長年、歌や音楽活動を続けてきました。
YouTubeにも自分の歌を載せていますが、登録者は今のところ500人ほど。
シニア世代の方が多いせいか、なかなか「チャンネル登録」まではしてくれませんし、
コメントが残ることも少ないのです。
「もう少し若いころにYouTubeがあれば、状況は違ったかもしれない」
そんな思いがふとよぎるのも正直なところです。
だからといって私は諦めてはいません。
「挑戦できることがある」と思っています。
15年前も挑戦する心はありましたが、その気持ちは今もまったく変わっていません。
年齢を重ねたからこそ歌える表現や、人とのつながりのありがたさもある。
再生回数や登録者数だけがすべてではなく、
自分の歌や言葉が誰かの心に届く瞬間こそ、私にとっての宝物です。
スターの姿を週刊誌で眺めると、
華やかさの陰に自分の小ささを感じることもあります。
それでも向上心をもつ冒険者でありたい。
挑戦し続ける姿勢は必ず誰かに伝わる。
人生は一度きりだからこそ、遅いも早いもなく、
いつからでも冒険は始められるのだと思います。
文春の記事を読みながら、私はふと、そう考えました。
さて、二誌を読み比べて感じたこと~
コメダの席で二誌を並べて読み比べてみると、その違いは鮮やかです。↓
新潮は「硬派で重い」。政治、国際、経済を軸に据え、世の中の仕組みや権力の裏側を描き出す。
文春は「人間臭くて軽やか」。芸能、スキャンダル、生活感あふれる記事で、読者の身近な興味をくすぐる。
どちらが良い悪いではなく、両方読むことでバランスが取れるような気がしました。
新潮を読むと「社会の仕組み」を考えさせられ、
文春を読むと「人間の弱さや可笑しさ」に触れられる。両方合わせてこそ、現代日本の縮図が見えるのかもしれません。
コーヒーと週刊誌の時間
週刊誌を読みながら考えたことをこうして書き出してみると、
「ただの暇つぶし」が実は結構豊かな時間だったのかも。
コーヒーを飲みながら週刊誌をめくる──
それは一週間のニュースをもう一度、自分の目で確かめ、自分の頭で考える時間。
新聞やテレビよりも少し俗っぽくといっても最近は読みませんが~
けれど身近で、人間臭い。
そんな情報源に触れることで、私たちは社会とゆるやかにつながり直しているのかもしれません。週刊誌を読み終えたころ、コーヒー飲み干していました。
さあ、今日も元気で! 男は黙って「コメダ珈琲」なんてね。


