本日は晴天にも恵まれ
浅草「三社祭」最終日、朝から熱気が街に溢れていました。
いや~~凄かった、
街中神輿だらけといったらいいでしょうか。
同じ時に約5000人の人が神輿を担いでいるのです。
つまり100基の神輿、
それが様々な道で参道で練り歩いている。
神輿の掛け声、笛や太鼓の音、人々の笑い声。
久々に、本当にいい日です。
生まれて初めてのこんなにも盛大な
神事=祭りを経験できました。
観光でなくて、浅草のパワー、
江戸っこのパワーをまのあたりにしました。
2ノ宮神輿
三社様は
浅草神社に祀(まつ)られている3人の神様によるもの。
つまり 人間が神様になった権現様ということです。
日光東照宮と同じですね。
東照宮は家康を神格化した東照大権現ですから。
そして
浅草寺=お寺が横にあるので、不思議だなあと思っていましたが
分かりました。
以下・・・・・
飛鳥時代、推古天皇36年(628年)3月18日の朝早く。
現在の隅田川下流にあたる江戸浦で漁をしていた兄弟が、
網にかかった観音像を引き上げたことに
端を発するそうです。
観音様を引き上げた2人
檜前浜成(ひのくまはまなり) 兄
檜前武成(ひのくまたけなり) 弟
この観音様は何か?と相談した相手が、識者の
土師中知(はじのあたいなかとも)でした。
“聖観世音菩薩像”であることが判明。
その後、出家した土師が自邸に祀ったことから
浅草神社の歴史が始まったのです。
それで
この方々3人を祭神としているのです。
つまり 3社(三柱)で、これが変化したのです。
なんと、その土師中知(はじのあたいなかとも)の確か
神社の現在76代目宮司は、末裔の土師幸士さん。
継承されてきたいるのです。
さてその後、平安時代末期、
浅草寺の創始者である土師氏の末裔の枕元に
観音様がお立ちになり
『汝らの親は我を海中より拾い上げ、厚く護持し、浅
草発展に寄与した功労者である。
よってこの三人を浅草寺の傍らに神様としてお祀りしなさい』
と告げられた。
それで浅草神社が創設されたといわれています
夜になって、宮入りがはじまりました。
三ノ宮、二ノ宮と続き
最後の一ノ宮の宮入りは21:00を越えていました。
JCOMより転載
宮入り そして庫入りで終わります。
JCOMより転載
本当に三社は大きなパワーでした。
文化の伝承を感じました。
何より、
若い人が沢山神輿を担ぎ、半被を纏い、
笛や太鼓を鳴らし、神楽殿で舞踊していたので、ほっとしました。
ありがとうございました。
9月は盛大なサンバカーニバル、
皆さんどうぞ浅草へいらしてくださいね。