変化への道のり⑱ | スピリチュアルウォーキング~ココロとカラダのダイエット~

スピリチュアルウォーキング~ココロとカラダのダイエット~

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仕事はといえば時給320円で働いていたというのは前述しましたが

 

出向のような形で毎日社外に通勤していたので

本社にはほぼいない状況だったのですが

ある日話があるから本社に来るようにと社長から連絡がきます。

 

何だろうと思って本社に行くと

私が行っていた出向先の契約が変わるので

4月から本社勤務になるということ。

 

そして入社してからほぼ出向先にいたので

本社に戻っても仕事がないので役所を廻って入札をする

営業担当になるように言われました。

 

一瞬「え?私は技術でこの会社に入ったのであって

営業なんてしたくないんだけど」と思うのですが

 

それでもこれがきっかけで営業の才能が開くかもしれない・・・と

持ち前のポジティブ思考で思い直し「分かりました」と答えて

翌年度からその当時はまだ最先端だったHPの制作と

役所廻りをするようになります。

初めてするHP作りは未知の世界。

 

ちょうどyahoo japanができた年だったかな~。

何て便利なサイトなんだと驚いたものです。

 

会社自体はweb事業部があったのですが

制作担当は急に本社に戻ってきたHP制作の事を全く知らない素人にノウハウを教える暇なんてある訳がなく、

 

入札の曜日でない日は

もう一人本社に呼び戻された人と、本を読みながらHTMLを学び

試行錯誤でHPを作る練習を初めました。

 

入札はといえば、役所に通っていくうちに

マイクや音響システムがどの位の値段で学校やホールなどに入札されるかの相場が分かってくるので

そのデータを元に毎週社長に稟議書を出して

どの値段で入札を出すかの交渉をするのですが

 

「そんなに安い金額を出して赤を切ってまで落とす必要はない」と

何度交渉しても社長決裁が降りず

「こんな高い値段だったら絶対落とせるわけないのに・・・」と思いながらも1年間入札に通い続け

 

翌週他社が落とした入札価格の発表を見ては

「ほら言わんこっちゃない」と思い続ける1年を過ごします。

 

そんなある日、再び社長から呼び出されます。

 

そして「香月はこの1年間入札で実績を出せなかった。

そしてHP制作でも会社に一銭も利益をもたらせていない。

 

だから今後は正社員としてではなく

契約として雇用することに決まった。」

 

と突然契約社員になるように言われます。

 

ビックリすると同時に私の内側から強烈な怒りが沸々と沸き上がってきました。

 

いや、ちょっとまって。

そもそも入札で結果が出ないのはあなた(社長)が稟議を通さないからでしょ?

 

こっちはずっと調べて入札で落とせる数字を伝えてるわけだから

実績が欲しいなら赤を出しても入札で落とせる数字を入れればいいわけで、

 

価格は安くはしない

でも入札の実績はとってこいって絶対おかしいよ。

 

みんな赤を切って実績作りにいってるのに、

単にあれ嫌これ嫌って自分がわがまま言ってる癖に

それを全部私のせいにするわけ!?

 

そもそも私は技術で入ってるのに

技術の仕事の営業を取りに行くならともかく

どうして入札なんて行かなくちゃならないの?

 

HP制作とかも、やりたくてやってる訳じゃない。

全部あなたの指示の元でしょ!

 

やりたくないと思いながらも、それでも何か決まる方法はないかと頑張ってきたのに、全部その案を試しもせず潰してきたくせに
一方的に判断されるなんてやってらんないわ!!

 

 

と、思うものの、その想いを口から出すことができず、

その場では言葉を飲み込み帰宅してから一人モヤモヤ、イライラ。

(今考えればその時言える最大のチャンスに自分が言わないで

一人でモヤモヤ、イライラするのがいけないw )

 

 

そんなんだったら辞めてやる! という思いと

 

いや、仕事のあてがないのに辞めてもいいの? という思いが

 

お腹の中でグルグルグルーーーー!!!と混ざり合って

今まで感じたことのないエネルギーがお腹で渦巻いていました。

 

3チャクラがものすごく反応していたんだと思います。

 

お腹がグルグル渦巻く状態にちょっと冷静に驚きながらも

どう考えてもこの状況で素直に契約になる選択はないわ!と思い、

会社を独立をすることを決めて1週間後に辞表を提出しました。

 

自分に自信がない私が会社を辞めて技術で独立をする!と思えたのは

 

実は今まで出向先に私の人件費の請求書を私自身が毎月作成していて、私が1ヶ月にどの位実働で稼いでいたかを知っていたからです。

 

自分がもらう手取りが8万しかなくても

TV業界の仕事単価が1本どの位で、

自分の技術力だといくらもらえるかをある程度知っていたのは大きかったです。

 

当時出向先からは毎月7桁を余裕で超える人件費を

会社にもたらしていたことを認識していた私。

 

過去他社からも「香月のとこの会社は仕事の条件が悪いやろ?

それだけできるんだからうちにきたら?」と何度か引き抜きがあったにもかかわらず

 

「学校紹介なのに私が辞めたらその後後輩に迷惑がかかるかもしれない」と思って辞めるという選択をずっとしてきませんでした。

 

出向先が無くなっても、

学校への恩義で「営業もひょっとしたらその内好きになるかもしれない・・・」

「この先何か営業をしたからこそつながる何かが起きるのかも・・・」と思ってやってきました。

 

その結果がこれか―――!むかっ

 

あー、今までの努力や実績は認めてもらえないんだね!

 

しかも入札で実績が出んのは誰のせいじゃ―――!

(#`Д´)ノノ┻┻;:'、

と、ついに怒りや今までの我慢が臨界点に達し辞表を書いたわけです(笑)

 

 

まぁ今振り返れば全てのとこにこんなに恩義を立てるまでもなかったんですけどね~^^;

 

そもそも学校紹介といっても、就職が決まった時も学校と会社に押し切られた感満載の感じの入社だったので、

 

 

今考えれば何故そこまで責任を背負っていたんだか・・・と思います。

 

 

ここまでの状況でも今まで辞めなかったのは

「自分の事よりも人の為に」というトラウマの成せる業に他なりません。

 

「利他の精神」といわれますが、

トラウマがキツすぎると度を越えてしまい

自分のココロがカラッカラなのに相手のために・・・と続けていくと

精神は蝕まれ、ココロもカラダも疲弊していきます。

 

これは最近流行ってる言葉で言えば「戦略なきギバー」であり、

「戦略なきギバー」は徹底的に「テイカー」にやられ続けます。

 

※別に前の会社がテイカーだったとは言っていませんw

 

こちらがちゃんと伝えるべき言葉を伝えなかったり

NOを言うことができなかった結果だと今は思っています^^

 

 

これはトラウマカルマが引き寄せあってなることなのですが

その当時はそんなことはまだ分からず、

ただただ トラウマに振り回された人生でした。

 

 

 

続く