着物を着ようと思う
準備を始めた。
(ホントは夭折したかったけれど)もし長く生きていたら、着物を着て暮らそうと思っていた。
よくも悪くも、病気らしい病気も、怪我らしい怪我も、(仕事らしい仕事も)しないまま、十分に生きながらえてしまった。
私の祖母はよく着物を着ていた。
銀色に輝く白髪を一部紫に染めて、着物を着ている祖母を、私は美しくて可愛いと思っていた。いささか我儘なところと上品なところを残す、でも普通のお婆さんである。
このところ、そういうお婆さんをあまりみない。
祖母は、着物文化をごく自然に受け継いだ最後の時代の人である。
私の場合、伯母が着物好きで、母も結構好きで、小さな頃には時折、出入りの呉服屋さんが来て、玄関先(やたらに広かった)で帯や着物を並べていた。
私は茶道を長く習い、ほんの少しだけ日本舞踊も習い、着物には馴染みのある方だ。
それでも私はいま、着物を美しく着られない。
母も、もう着物をほとんど着ないという。
太平洋戦争に負けたために、私たちはいろいろなものを失った。
敗戦国のお婆さんたちは、似合わない洋装の、とりあえずのパンツスタイルで、まるで避難訓練のような恰好をしている。
ごく自然に受け継がれてきていたはずの着物文化は、完全に断絶し、私たちは民族衣装を身に着けるために「お教室」に通わなければならないありさまだ。
私がこの秋から通い始めたのはテレビCMで有名な「ただの着付け教室」である。
インターネットの書き込みを総合的に判断し、ここにした。
煽りに慣れていない人や煽りに弱い人には勧められないが、他の一般的な着付け教室よりは評価できる。
なにせタダで着付けを知る機会を全国民(女性のみ?)に与えている効用は大きい。
言語と服装は民族としてのアイデンティティだ。
美しい日本語を使えること。着物を日常の一部にできること。
Occupied Japanであるかどうかは、そういう部分で決まる気がする。

