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ASKAの「本日も恋愛小説」

日常と非日常のはざまで生きる痛女(イタジョ)の
気づいたことや伝えたいこと。
「blogぢゃなくて友達に話せばいーじゃん」ええ、友達いないんです(泣




駆け足で心理学を学んでいます。心理学というのはたいへん不思議な学問であって、結局(少なくとも私は)「生命の樹」とか「夢判断」とか「タロットカード」とかに入りこんで行きやすい。

「象徴」と「謎解き」の世界です。

 

まあそれはともかく、成功回避について気にかかったのでお話します。

一般的には女性の方が成功を回避する傾向が強いらしいです。

女性が、例えば事業を起こして成功しても100%幸せに繋がるとは限らない感じがする、というようなところでしょうか?

確かに女性の成功は孤独と繋がっているみたいな気がする。

たとえば、流行作家でも、男性だと元アイドルの女性と何度も結婚を繰り返したりできるけど、女性だと不倫のあげく仏門に入ってしまう、とかね。小説と結婚式をあげた作家の先生もいらっしゃいましたっけ。

なんか、なんていうか、それは人それぞれ価値観が違うので、きっと満ち足りた幸せがあるんでしょうけれど、なんだかどうも、こう、ぱっと見というか、あまり幸せな感じが伝わってこないものがありますよね。

 

ガブリエル・ココ・シャネルの最期とか、パリの一等地の超高級ホテルだとしても・・・。

 

特に私には、このシャネルの最期のイメージが明確に擦り込まれているようで、成功することと孤独になることが不可分の概念としてあるような気がします。

 

そう、自分の改善は自覚から始まります。

 

まず自覚すること。自分は成功を回避する傾向が認められることを自覚すること。

その表層と深層のイメージを見つけること。

 

私には、まるで往時のリッツのメイドであったかのように、シャネルの死を発見した記憶があるのです。もちろんこれは作った記憶だし、自覚もあります。

それから、金持ちの老婆となって、どこかのアフリカ辺りのホテルのサンデッキから、あまりにも猛々しい夕日を見ている記憶もあります。

そのとき、私は思ったんです。こんなに美しい夕日であっても、共に見る人がいないとは甲斐の無いことだ、と。

ボーイは、礼儀正しい優しい笑みを返すロボットのようなもので、私は大変な寂寥感を感じます。

この記憶も、もちろん作ったものだし、自覚もあるのですが、あまりにも鮮やかで感情の流れも明確に思いだせるのです。

どうやらこの2つの「仮想記憶」が、私が成功したくない源流のようです。

 

記憶なんてものは、実は現実だろうが仮想だろうがあまり差異はないもので、自分が老婆だったりするから偽だと判断できますが、そうでなければ疑似だとわからないでしょう。

(実際に、実の父親に性的な暴行を受けたという偽の記憶を持っている女性も数少なくないそうです。記憶というのは、記憶するときに再構成され、思いだす度に再構成されるものなので、伝言ゲームのように変容していくことは否めないものです。)

でも、問題はそれが真実かどうかではなくて(民事裁判以外では)記憶やイメージは作り変えていくことができるということです。

 

つまり、自分のネガティヴな考え方のもとになっているマイナスなイメージが現実のものであれ、仮想のものであれ、それを包み込んでしまうプラスのイメージを自身に植え付けることで、自信の変化を促すことができます。

持っている記憶やイメージを変容させようとするのではなく、まるで違ったイメージはないものか?

ちょっと疑似記憶データベースを探してみます。あ、ありました。

うーん、ちょっと薄いんだけど、成功して着物を着て、お手伝いさんを置いて暮らしている私(60代くらい?)のもとに作った野菜を届けてくれる老人のイメージ。

これを使いましょう。

この老人を少し若返らせて、私を愛して一緒に暮らしているイケメン配偶者にしてしまいましょう。幸福で穏やかで満ち足りた生活をなるべく明確にイメージして、成功の先にあるバラ色の未来を想起します。

 

まあ、こんな感じで、自分の行動や考え方をダイレクトに変えようとするのではなく、そのもととなっているイメージを変えることによって、ゴールに到達しようとする方法があるということを紹介してみました?

 

1.道を歩いていたら、「海ブドウ、海のキャビア入荷!」 と書かれた琉球料理の店があった。

いや、キャビアはチョウザメの卵だし、海だし! と突っ込んでしまった。気にかかる。

(とんぶりは山のキャビアでもいいけど、海のキャビアはキャビアだし)

 

2.ウルトラライトダウンのCM、あーこの音楽、ヒーロー物の・・え、アトム?

そこはウルトラシリーズでしょう!? と突っ込んでしまった。気にかかる。

 

3.映画を字幕で見ている。コーヒーにノンファットミルクが入っている。だが字幕は低脂肪・・

え? 無脂肪って言ってるじゃん。それは意訳とは言えないとこだよね、気にかかる。

 

まあ、こんなことばかりが気にかかり、他に特に気がかりなことがないという大変平和な浜崎です。

先日初めてメディテーションヨガ(瞑想)を受けたのですが、意識が遠くまで飛んでしまう。インストラクターに「良かったですね、頭が空ッぽになって」と言われたけれど、思わず微妙な顔をしてしまった。

そもそも頭は空に近いのだけれど、より空っぽになったことは良かったのだろうか?

 

そうそう、最近、新聞が家に来るんです。しかも時折。毎日新聞と書いてありますが、看板に偽りありですね。

もちろん、新聞を取っている事実はありません。

どうしてでしょう? 気にかかる。

 

新聞店のアルバイトが間違えているのか?

あるいは間違えたのではなくて、どうしてもその家に新聞を配達できない理由があるとか?

でも届かない家から苦情は出ないのか?

出ないとすればなぜなのか?

ミステリーですねえ(そうか?)。

 

こんな日常の些細な気がかりから事件を描き起こしてみたいものです。

 


 

久しぶりに今日はずっと家に籠っています。そういう日もたぶん必要なのでしょう。

 

必要と思われる論文にあたり始めています。

多少の面倒さえ厭わなければ、というか、この世界では多少の面倒さえもなく情報に辿り着ける。ただし「死んだ」情報だ。

「生きた」情報を得るためには、やはり動く必要があるだろう。

 

深い知識は自分で掘り起こすしかないのだが、どこを掘ればいいかのアタリは「生きた」情報に敵うものはない。

とはいえ今の自分は完全に孤立している。

 

鎮まった世界の底にいるようだ。

 

CGユングの「哲学の木」を昨日読んだ。

私の母は盆栽造りに才能がある。

先日の誕生日には一鉢造って贈っていただきました。

正直に言って、私は彼女には特別な才能があるとは思っていなかった。しかし、母の盆栽を見て考えが変わった。

木と人の密接な哲学的繋がりを思うとき、それは決して小さなことではないと気がつくことができる。

 

才能、特別な才能、英語ではGIFTという。

それは神からの贈り物であるとともに、自分ではないだれかのために贈らなければならないものである。

 

自分がどのようなGIFTを贈られたか、知ることは難しい。