久しぶりに今日はずっと家に籠っています。そういう日もたぶん必要なのでしょう。
必要と思われる論文にあたり始めています。
多少の面倒さえ厭わなければ、というか、この世界では多少の面倒さえもなく情報に辿り着ける。ただし「死んだ」情報だ。
「生きた」情報を得るためには、やはり動く必要があるだろう。
深い知識は自分で掘り起こすしかないのだが、どこを掘ればいいかのアタリは「生きた」情報に敵うものはない。
とはいえ今の自分は完全に孤立している。
鎮まった世界の底にいるようだ。
CGユングの「哲学の木」を昨日読んだ。
私の母は盆栽造りに才能がある。
先日の誕生日には一鉢造って贈っていただきました。
正直に言って、私は彼女には特別な才能があるとは思っていなかった。しかし、母の盆栽を見て考えが変わった。
木と人の密接な哲学的繋がりを思うとき、それは決して小さなことではないと気がつくことができる。
才能、特別な才能、英語ではGIFTという。
それは神からの贈り物であるとともに、自分ではないだれかのために贈らなければならないものである。
自分がどのようなGIFTを贈られたか、知ることは難しい。