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ASKAの「本日も恋愛小説」

日常と非日常のはざまで生きる痛女(イタジョ)の
気づいたことや伝えたいこと。
「blogぢゃなくて友達に話せばいーじゃん」ええ、友達いないんです(泣

 

そういえば、今年の夏にソムリエ試験を受けます。

 

とりあえず、私が受けるのは「ワイン・エキスパート試験」なのですが、ソムリエ試験よりも難易度が高いようです。

 

昨日から勉強を始めました。

協会から試験を申し込むと送られてくる、分厚い「日本ソムリエ協会 教本」(以下、教本を略す)を読み始めたところです。

 

ワインの知識、酒の知識は、普通の人よりはあるでしょうし、味覚も(飲み物に対しては)繊細ですが、フランス語も多少できますが、とはいえ、だからといって受かるような半端な試験ではありません。

 

でも、受かろうと思っています。

 

NETや本屋さん(新宿のコクーンタワーの地下にあんなに巨大な本屋さんがあるのは知らなかった。ところで、タリーズって本屋さんが好きなのかしら?)で、いくつかテキストや問題集のようなものをみたのですが、あまり気にいるものがなくて、(テキストはレイアウトやデザインが好きじゃなかったもかも)結局、教本を使えばよいかな?と思いました。確かに厚いですが(600p越え!)一冊ですもの。

たかだか一冊。(・・・)

 

しかし、問題は私に致命的に記憶力がないことですね。

試験まではひと月半あるので、ここは問題にはならないかもしれませんが(ホントかしら?)

 

ただまあ、意外と学んでおいてもよい内容ですね。

 

アロマとブーケが違うことを初めて知りました。

フランスやイタリアの地図を改めて、頭に入れています。

なんというか、資格を取るとらないではなくて、知っておいてもよいかと・・

 

ただ、私、子供の頃は赤ワインが好きだったのに、今は、ほとんどシャンパン、フランチャコルタ、ヴァン・ムスー、スプマンテ、カヴァしか飲まないんです。

(要するに、フランス・イタリア・スペインの発泡性ワイン)

 

 

えっと、ソムリエ試験のお話ですね。これはもう、過去問につきます。

基本的にはほとんどの資格試験は過去問につきます。

特にソムリエ試験は、過去問をきちんとできていれば受かるタイプの試験みたいです。

 

1.       過去問を行い、

2.       教本で該当する部分を確認し、

3.       類似の想定される問題に対応できるように勉強する

 

以上。

 

[用意するもの]

  教本

  A4ノート

  ボールペン・カラーペン等

  付箋

  過去問回答用のA4用紙

 

  教本には、過去5年分の過去問がついています。あまり古くなるとデータが異なったり、出題傾向が違ったりするので、5年分で十分です。

  自分なりのノートを作成します。地図を書いたりするから、大きい方がよいです。

  自分なりに見やすい、美しいものに。

  教本に書き込むのは、少し慣れてからに。とりあえず付箋で書き込みましょう。

  1-100まで番号を振ったものを用意します。制限時間60分を守りましょう。

採点した用紙は日付を書いて、取って置きます。

      http://goo.gl/edgsL (自家製解答用紙のPDFを貼っておきます)

そして、最も大切なことですが、受かると決める。

かつ、受かるために何をするかを常に考える。

ゴールは(とりあえず一次試験に)受かることであるならば、雑念を捨てます。

自分の好みや美学やルールを無視します。

 

ええ、わかりもしない問題を解きたくないのはみんな一緒です。

もう少し勉強してから過去問を解きたいのはみんな一緒です。

模擬試験をしたいために、過去問を残しておきたい気持ちもよくわかります。

しかし、2003年からの過去問はネットにありますから、模擬試験はその4年間の問題を利用しましょう。

 

さあ、やりますか。。。(気乗りしないけど・・過去問)

 

夏の話題がそろそろ出てきますね。

 

夏本番のようなよい天気が続いています、いま、テレビでシャンパンにあうかき氷を紹介していました。シャンパン、良いですねえ。

夏の日差しのなか、海を見ながらシャンパン。BRUTであれば、(値段の控えめな)ヴーヴでもモエでも良いです。ロゼだけは合いません。ロゼ嫌い。

(かき氷はどうしたのだろう?)

 

実は私の交友関係は、かなり限定されています。

 

メールの相手も電話の相手も限られています。

「今年は海に行こうかな?」と某青年から電話がかかってきます。

かなりのイケメンです。とても控えめに表現して。

誘い文句ではありません。

「ビキニが着られるようになったら、私もいきたいわ」

ものすごくうまくいったとしても、クラゲが出そうです。

「いやあ、スタイルいいから全然平気でしょう?」

関係性のクリアさが証明される瞬間ですねw

 

長い長い停滞期を経て、やっと少しずつ体重が落ちる予感。

3㎏落ちたあと、20日くらい同じ体重をキープし続けています。

ただ、見た目は少しずつマシになっているような・・・

目の錯覚でしょうか?

気のせいでしょうか?

 

いえ、確かにそうです!

 

ボディ・メイキングとの戦いは、停滞期にあるといってもいいでしょう。

人間は、結果が目に見える形で出ていれば、努力を惜しまないことができるのですが、その結果が「報われない」と、変化を諦めてしまうのですね。

 

ソースはわかりませんが、自分の体験からもわかるのですが、体は「もとに戻ろう」とします。

3キロ痩せて、しばらく我慢して、成果が上がらなくて、ふっと気を緩めてしまったらまた、3キロ戻ろうとするんです。

その「もと」をすべて書き換えるのに、どうやら半年くらいかかるのですね。

 

半年間保っていれば、それが「もと」に変わる。リバウンドしなくなります。

 

つまり、体重を減らしていく期間+体重を維持する期間・半年という、長い長い戦いになります。

 

そして、計画段階では、運動と食事療法を組み合わせても、ひとつき2キロを減らせると考えた方がよいです。

私のように、あと12キロ落としたいなら、半年。そして維持がまた半年。

 

・・・・・・・・・・・

 

来年の夏になったら、海に行こうかしら?

 
  

今日もよく晴れました。美しい天気です。

浜崎はあまり元気ではなくて、今朝のモーニング・ノートはかなり最悪でした。

 

あるいは誰の心の中にも、希死(死にたいと思う心)は当然にあり、また誰の心にも、生きたいと思う心は当然にあり、ただ、そのような動きは、通例、心の奥底に眠らせているだけなのだろうと思います。

氷山の一角。。。

 

よく言われていることではありますが、人は自分の潜在能力のごく一部を使っているにすぎません。

映画「グラン・ブルー」で有名なジャック・マイヨールはイルカのように心拍数をさげて、血液循環を限定することができる。

*この映画を見る場合は、最も短い英語版が良いと思います。

それは、本来私たちができることのひとつで、「できない」と思っているからできないだけです。

暗示にかかりやすい私は、この話を聞いたときに自己暗示にかけて、スポーツクラブでエアロバイクのスピードを落とさずに、いったん120以上に上がった心拍数を50台に下げるという「技」を覚えました。(だからって、特に何もないのですけど)

 

 

ほとんどの場合、能力に蓋をしているのは他ならぬ自分自身です。

もちろん「呪い」はどこからでも、特に自分に近いところから発せられますが、

(母親の、ダメな子ねえ、は、いかなる文脈で言われたとしても、やはり恐ろしい呪いの言葉であることは疑う余地がありません)

結局はその呪いを弾き返すだけの強さがなかった自分の責任です。

 

強さ、というか、思い込みが足りなかっただけなのですけれどね。

あるいは、ネガティヴな何かを思い込んでいるのか。

 

もちろん、潜在的にもないんじゃないか思う能力もありますが、大抵のことは「思い込む」ことでクリアできます。

違う能力に阻まれることもありますけれど。

 

一般的に、女子は男子より数学が苦手です。

ある、中学生の女の子の言葉で、私はそのことの理由を垣間見ました。

「だって、2って気持ちわるくないですか? 3とかそうでもないけれど・・・」

 

彼女は、数字ひとつひとつに、(アヘン患者さながらの、失礼)豊かなイメージを感じて、そのイメージに巻き込まれているのです。

素晴らしい感受性ではありますが、方程式を解くには大変な邪魔です。

 

彼女が数学を得意にするためには、まず最初に、数字にはなんの(アディッショナルな)意味もイメージも皮膚感覚もない、ということを「思い込む」必要があるでしょう。

 

 

あなたの直面している問題が何であれ、それは大抵の場合克服することができます。

でも、それは結局、あなた自身がやり遂げなくてはならないことです。

 

一時的には『依存』は有効な手段です。

自分が自分の主人たることをやめることで、急激な「進化」を遂げることができます。

自分で自分の人生を決定するという面倒な責任からも逃れられます。

でも、それは危険な行為です。(新興宗教や占い師、例を出すまでもなく)

 

実は、現代的な(一般的な)心理カウンセラーは、精神分析を行いません。

臨床心理士の行うカウンセリングの目的は、精神の安定をもたらすことにあるからです。

精神分析、とりわけ自由連想法のような分析は、大きな危険をもたらすからです。

人の抱えている闇はとても深くて、自分の闇を見ることは恐ろしいことです。

(幼い頃の私の絶え間ない希死念慮は、自分の闇を見つめ過ぎたことにあります。)

 

かといって「精神分析家」はこの世界には僅かしかいないし、精神分析を行うためには、歌舞伎町のホストクラブでなかなか立派なシャンパンタワーするくらいの金額が必要です。あるいは、エステサロンで脱毛と痩身と美顔の最も高いコースを一度に契約するくらいの金額といってもいいでしょう。しかも国家資格ではありません。

 

もちろん、この世には自己啓発セミナーや自己啓発本が溢れています。

その多くは正しい。

でも、自己啓発本を読んで、自己啓発ができるような人間は、そもそも自己啓発本を読まなくても自己啓発ができる。

 

では何が、伝えられるのだろう。でも、確かに私には伝えるべき、伝えられることがある。