何ができるか、何ができないか | ASKAの「本日も恋愛小説」

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日常と非日常のはざまで生きる痛女(イタジョ)の
気づいたことや伝えたいこと。
「blogぢゃなくて友達に話せばいーじゃん」ええ、友達いないんです(泣

 
  

今日もよく晴れました。美しい天気です。

浜崎はあまり元気ではなくて、今朝のモーニング・ノートはかなり最悪でした。

 

あるいは誰の心の中にも、希死(死にたいと思う心)は当然にあり、また誰の心にも、生きたいと思う心は当然にあり、ただ、そのような動きは、通例、心の奥底に眠らせているだけなのだろうと思います。

氷山の一角。。。

 

よく言われていることではありますが、人は自分の潜在能力のごく一部を使っているにすぎません。

映画「グラン・ブルー」で有名なジャック・マイヨールはイルカのように心拍数をさげて、血液循環を限定することができる。

*この映画を見る場合は、最も短い英語版が良いと思います。

それは、本来私たちができることのひとつで、「できない」と思っているからできないだけです。

暗示にかかりやすい私は、この話を聞いたときに自己暗示にかけて、スポーツクラブでエアロバイクのスピードを落とさずに、いったん120以上に上がった心拍数を50台に下げるという「技」を覚えました。(だからって、特に何もないのですけど)

 

 

ほとんどの場合、能力に蓋をしているのは他ならぬ自分自身です。

もちろん「呪い」はどこからでも、特に自分に近いところから発せられますが、

(母親の、ダメな子ねえ、は、いかなる文脈で言われたとしても、やはり恐ろしい呪いの言葉であることは疑う余地がありません)

結局はその呪いを弾き返すだけの強さがなかった自分の責任です。

 

強さ、というか、思い込みが足りなかっただけなのですけれどね。

あるいは、ネガティヴな何かを思い込んでいるのか。

 

もちろん、潜在的にもないんじゃないか思う能力もありますが、大抵のことは「思い込む」ことでクリアできます。

違う能力に阻まれることもありますけれど。

 

一般的に、女子は男子より数学が苦手です。

ある、中学生の女の子の言葉で、私はそのことの理由を垣間見ました。

「だって、2って気持ちわるくないですか? 3とかそうでもないけれど・・・」

 

彼女は、数字ひとつひとつに、(アヘン患者さながらの、失礼)豊かなイメージを感じて、そのイメージに巻き込まれているのです。

素晴らしい感受性ではありますが、方程式を解くには大変な邪魔です。

 

彼女が数学を得意にするためには、まず最初に、数字にはなんの(アディッショナルな)意味もイメージも皮膚感覚もない、ということを「思い込む」必要があるでしょう。

 

 

あなたの直面している問題が何であれ、それは大抵の場合克服することができます。

でも、それは結局、あなた自身がやり遂げなくてはならないことです。

 

一時的には『依存』は有効な手段です。

自分が自分の主人たることをやめることで、急激な「進化」を遂げることができます。

自分で自分の人生を決定するという面倒な責任からも逃れられます。

でも、それは危険な行為です。(新興宗教や占い師、例を出すまでもなく)

 

実は、現代的な(一般的な)心理カウンセラーは、精神分析を行いません。

臨床心理士の行うカウンセリングの目的は、精神の安定をもたらすことにあるからです。

精神分析、とりわけ自由連想法のような分析は、大きな危険をもたらすからです。

人の抱えている闇はとても深くて、自分の闇を見ることは恐ろしいことです。

(幼い頃の私の絶え間ない希死念慮は、自分の闇を見つめ過ぎたことにあります。)

 

かといって「精神分析家」はこの世界には僅かしかいないし、精神分析を行うためには、歌舞伎町のホストクラブでなかなか立派なシャンパンタワーするくらいの金額が必要です。あるいは、エステサロンで脱毛と痩身と美顔の最も高いコースを一度に契約するくらいの金額といってもいいでしょう。しかも国家資格ではありません。

 

もちろん、この世には自己啓発セミナーや自己啓発本が溢れています。

その多くは正しい。

でも、自己啓発本を読んで、自己啓発ができるような人間は、そもそも自己啓発本を読まなくても自己啓発ができる。

 

では何が、伝えられるのだろう。でも、確かに私には伝えるべき、伝えられることがある。