今日は美しく晴れています。
レインメーカーって知っていますか?
傘マークのブランドではありません。
雨乞師とても訳せばよいのかしら?
恋愛と関係するのかって、もちろん。
かつて、人間が農作物の生産に頼っていたころ
(今でもそうですね、洗濯機や自動車を食べて生きているわけではないですから)、
日照りは大きな問題でした。
食糧を輸入してしのぐというわけにも行かず、大した備蓄もなく、
日照りは「死」を意味します。
卑弥呼や古代アイルランドの王など、重要な仕事のひとつとして、この「雨乞い」がありました。
雨が降らなければ、責任をとって殺された場合もあったようです。
いろいろな「雨乞い」のやり方があったでしょうが、「何もしない」ということも、ひとつの方法だったようです。
ある、レインメーカーは村に着くなり、レインメーカーのために建てた小屋に引き籠ってしまったようです。
説明もなく、問いかけにも応じません。
しかし、そして何日かして、レインメーカーが小屋から出てきました。
何をしていたのか、と人びとは問いました。
何もしていない、心を鎮めたとレインメーカーは答えます。
雨は降らせないのか?
雨は降らせるものではありません、と彼は答えると、雨が降ってきました。
レインメーカーは続けます。
村に来たとき、人々の心が荒れ、乱れていることに気がつき、
また、自らも心を乱してしまったため、小屋に籠って心を鎮めた。
雨が降ることは当然である。
だから、私の心が十分にしずまれば、当然に雨が降るのである。
人は当然に出会い、当然に愛しあうものだとすれば、
みずからの心の在り様が、その関係を形づくることを阻んでいるのかもしれません。
このハードな現代社会において、と言いますが、
雨が降らないだけで、死を覚悟しなければ行けない古代もまた、相当ハードな気がします。
たぶん、生きていることは常にハードなことなのでしょう。
持てる者は失う恐怖にさらされ、持たざる者は得たいという欲望にさらされる。
しかし、そのなかで「あるべき心」を持たなければ、当然あるべき恵みもない。
あなたの心が穏やかでなければ、あなたが受けるべき当然の愛を得ることもできないかもしれない。
梅雨の晴れ間に思いを馳せます。