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ASKAの「本日も恋愛小説」

日常と非日常のはざまで生きる痛女(イタジョ)の
気づいたことや伝えたいこと。
「blogぢゃなくて友達に話せばいーじゃん」ええ、友達いないんです(泣

 
 
 

この夏のテーマは、「とりあえずやってみる。」

 

溺れるものは藁を掴むのか、という感じで、本当にさまざまなことを行ってみました。

・温泉湯治

・占い

・メンタルクリニック

・ホットヨガ

・痩身エステ

・ビジネスセミナー

・モーニングノート

同列に並べてよいものかわかりませんが、私にとっては同列です。

 

あ、blogfacebookもです。

それにIpadを買いました。主にモーツアルトを聞いていますw

 

続いているのは、モーニングノートとホットヨガ、エクセサイズメインですが。

 

それで、とりあえず、健康になってきました。健康になって、心と体が少しずつ変わってくる。

そして、少しずつ深く感じるようになってくる。

浅い鼻呼吸をしながら・・・

 

幸福感が増していく、そして、ふと思いつく、そういえば自分は、何のために生きているのかと・・・

 

生きている意味なんてありません。

ないんです。

あると思っているだけで、ないんです。

もちろん、どこに視点を置くかなのですが、ふと、ウサギの穴に落ちてしまうことがある。個々の事柄は色を失っていく、ぼんやりとした世界に見えてくる。

自分が生きていることのすべてが、その命のせめぎあいも何もかも、とても下らないことに思えてくる。

 

ああ、深い、鮮やかな、認識の世界に触れたい。

この、うすぼんやりとした、よくできたCGのような世界ではなく。

 

鮮やかな、意識の底から湧きあがるような、なにか・・・

 

そんなウサギの穴に落ちてしまったとき、私は「かつての習性」でモエ・エ・シャンドンを飲みます。

 

決して、最高においしいわけではありません。

かつて、私はそれを「雑味」と呼んでいたけれど、シャンパーニュの称号ぎりぎりまで、添加物の入ったような味がします。

でも、独特の「習慣性のある」味わいです。

 

そして何人かと話をします。

古い夢をみるように何人かのひとたちと。

そして、一応、自分の在り様を認識して思いとどまるのです。

 

イルカの海に行ってしまわないように。


 

梅雨が明けました  と勝手な宣言をしてしまいます。

 

毎年のことなのですが、今年は外すかしら?

 

あまりにも美しい天気で、とても眠っていられません

 

そう、今朝ふと思いついたこと。

(あ、今日は7.14、キャトーズ・ジュイエですね。フランス独立記念日)

本当はみんな、どうしたら狙った相手にアプローチできるかなんて、知っているのだろうということ。

 

まず、明るくなる。

自分よりも相手に興味を持ち、真剣に相手の心の動きを推し量る。

相手を尊敬し、相手が好きなモノを必死で好きになる。

自分のどこかに、誰とも違う部分を演出(闇の部分)して、うまくアピールする。

引き際と押し際のタイミングを見極める。

そして、自分を好きになるだろうと決め、相手にも暗示をかけていく。

 

そりゃあね、でもそんなことはできないし、みたいな。

(やる気もないし、とか。)

 

急にすべてを行うことは無理でも、訓練をしていけばひとつひとつできるようになっていきます。

それは、逆上がりをしたり、自転車に乗ったりすることと同じで、たとえ方法論がわからず闇雲に努力していても、怪我を恐れなければ、ある時ふっとできるようになるものです。

しかも、方法論を聞いてみたところで、なんだか雲をつかむような話でしょう。

 

自転車に乗れるようになるには、とにかく自転車に乗ってみるしかない。

 

明るくなるには、とにかく口角をあげて笑顔をつくり、大きな声であいさつをするしかない。

 

そして、どれも最初からできるわけではないです。

 

もちろん、最初から自転車に乗れてしまう人がいるように、最初から明るい人もいますけど、それは「どこかあなたの見えないところで、あるいは本人も気がついていないうちに」努力をしたのか、イメージがカッチリと出来上がって隙がないか、あるいは赤ん坊の頃の再現ができるのかどちらかです。

そう、人は「微笑む能力・笑う能力」を生まれながらにして持っているから。

 

それは、私たちは実はみんな泳げることと同じです。

体内では、私たちは水生生物ですから、生まれる前から水の中にいた私たちが、泳げないなんてことはない。

絶対にない。

試しに赤ん坊を水に落としてみると、泳ぐそうです。

 

やっているうちにできるようになる、当然失敗もする。

そう、失敗するんです。

できないことの理由のひとつが、この「失敗を恐れる」ということ。

 

擦り傷のない脚をどうしても保ちたいのなら、自転車に乗ることは諦めたほうがいい。

 

モテる男女は、どこか「潔い」です。

傷つくことを恐れていない。

まあ、精神的に傷ついても、出血多量で死ぬこともないし、破傷風にかかるわけでもない。

 

その相手を失うかもしれません、ですが、大抵の場合、うまく行かないということは「運命の相手」ではないのです。(恋愛初心者の場合は、致命的な間違いをしていることが多いので潔くここで諦めて、次のターゲットに移ってください)

 

(以降、中級以上の方へ)

ただし、失うといっても、相手の命がある限り、可能性はあります。

5年とか10年とかかければ、絶対に相手が弱っているタイミングがありますから、待つことです。息を潜めて、相手の様子がわかるように、共通の友人を作るなり、優しく面倒なところがないメル友になるなりして、(ハッキングしたり、監視カメラをつけたりしないように)じっと待つことです。年単位で待つことです。

そして、タイミングに乗じてつけ入れば、何らかの成果は残せるでしょう。

結婚だって(急げば)できるかもしれない。結局はうまく行かないことが多いとしても。


シャネルは好きです。

 

白いカメリア。(ついでに椿姫も好きです)

 

以前、シャネル風のスーツをよく着ていた24歳の頃、それはそれで、値の張るオーダー物であったけれど、決してシャネルではなかったのに、ダブルデート(?)で船上パーティに行ったときに、もうひとりの女性に、何度否定してもシャネルだと決めつけらたことを、懐かしく思い出します。

彼女は、本家シャネルのような生き方をしていたけれど、その後、どうなったのだろう?

 

愛人として生きて、資格を取り、仕事を行う資金も用意してもらっていた。

たぶん生きていくだけの仕事も用意されていたのだと思う。

 

十分な額の生命保険を、年の離れた彼女のために掛けているとも、私は説明を受けた。どうしても離婚できない、離婚したら今の地位を失うのだとも言った。彼は「お嬢様」である妻の資金で会社を興し、相変わらず「お嬢様」は会社の大株主だった。

 

そんな話を聞くほど、私は仲が良かったわけではない。たぶん、私が納得の行かない顔をしていたのだろう。そして彼は誰かに、その愛情の正当性を説きたかったのだろう。

(「お嬢様」はもちろん、彼の愛人を知っていたが、そのことを荒立てるには上品すぎた。)

 

私は決して、そんなややこしい正当性など認めないけれど。

 

ガブリエル・ココ・シャネルは、「愛人」から「偉人」になった最初の人間であり、最後の人間かも知れない。

彼女が、ホテル・リッツに住んでいたことは有名だけれど、その恋多き生涯は結局のところ、孤独だった。

名声と金を得て、ホテル暮らしをして、メイドにその死を発見されるシャネルを、私は痛ましいと思った。

羨ましいとは思えなかったが、いま考えると、そのような書き方をされていたのかもしれない。

ガブリエル・ココ・シャネルは、困った存在なのだ。

男にとっても女にとっても。

 

彼女は強く、そして成功してしまった。

世の中にも、男たちにも、迎合しなかった。

それでいて、シャネルの造る服は世界を塗り替えてしまった。

 

そう、世の中に合わせていたら、本当に革新的ではあれない。

 

自分の感覚を信じ切ること。

 

 

今の香水はマドモアゼル・ココですが、今度は5番を使ってみようと思っています。

5番こそが、シャネルの造った香りだからです。