①
なんだか時が過ぎてしまいました。
文章を書くことが怖いのかもしれません。
そう、人は本当に行いたいことに近づくと、どうにも恐怖を感じるものなのだろうと思います。
夢違を読んでいて、悪夢ちゃんの原作本であり、直木賞候補作ですが、江戸川乱歩賞選考委員である大先生の作品ではありますが・・・それでもこれは悔しいです。
私が現代の小説を読まない最大の理由がわかった(認識した)気がします。
八咫烏に夢殿に夢分析に吉野の桜、やられたあ、という気になっても仕方のないモチーフですが、もちろん、それこそ神棚にいろんなものをお供えしてのちに、悔しいと感じています。
(棚に上げたもろもろ:意味もなく人生経験を積んじゃったこととか、中途半端に創作に向き合って小説から逃げ続けてきたこととか、やっと明快に自覚したんですが小説はすごく下手だということとか)
なにやってたんだか・・・
おまけに、この期に至って「怖い」とかアホなことを言ってんじゃねーよ!と思う次第です。
寒い日ですね。
「夢違」を読んでいて、ああ、結衣子の一房の白い髪はブラックジャックと同じなんだと気がつきました。(テレビを見ていると知ってるホスト君に顔が似ているな、という方に気を取られてしまって)やはりまったく新しいスティグマ(聖痕)というものは難しいのですね。
変なことをいうようですが攻殻機動隊と共通項を感じました。攻殻機動隊で描かれる「ネット」と夢違で描かれる「集合的無意識」は良く似ている。もともと両者が似ているわけではなく(というかそんなに似ていないと思う)、その定義づけとか、モチーフとしての女性がそこに溶け込んでしまうところとかが似ている。あるいは、攻殻機動隊が集合的無意識を「ネット」として表現しているという方が正しいのかも知れない。
夢を見るのかと聞かれれば、たぶん私はとても啓示的な夢をいつも見ている。夢をみるために生きていることもある。夢の世界はとても奥深く色鮮やかで美しく、現実なんてとてもつまらない。物語なんてとてもつまらない。
②
そういえば先日、鏡リュージさんのお話に惹かれて、イベントに行って、プラチナpt850のディズニージュエリーのペンダントを頂いてしまいました。ミッキーの三つの円モチーフがさりげない大人可愛い感じ、定価7万円。
そもそもその無料イベントにはかなりの応募があったらしく、それに当たったうえにその中で最も高価なプレゼントを頂いてしまったので、結局1000人に一人くらいのラッキーでした。皆様ありがとうございました。
そのイベントのなかで、「最近、新月や満月に集まって祈る、ということが流行っていますが(ホントに流行ってます)あれは、白魔術から少し逸脱しているかも」という鏡さんのお話がとても面白かった。魔女狩りにあっちゃうかも知れないから気を付けてね、というご心配からかもしれませんが、白魔術と黒魔術の境界なんてほんの軽いもので、ふっと超えてしまうものなんです、気を付けていないと、特に若い女性は潜在的に力も比較的強いですし。
私はこの世は呪いの言葉に満ちていると思うようになりました。というよりは、言葉の全ては呪いとなりうる、あるいは思いの全ても呪いとなりうる。
「可愛いね」という言葉は、成長するな、物を考えるな、俺を拒絶するな、という呪いかもしれない。
「きれいだね」という言葉は、甘えるな、美しいままでいろ、弱さをみせるな、という呪いかもしれない。
「優しいね」という言葉は、あたしの思い通りに動け、お前の欲しい物を諦めろ、という呪いかもしれない。
「かっこいいね」という言葉は、あたしの理想通りでいろ、老けるな、人形のようであれ、という呪いかもしれない。
「愛している」という言葉くらいかな? 呪いとなりえない言葉は。
こうしたポジティブな言葉でさえ、呪いとなりうるのですから、ネガティブな言葉を使ったり、思ったり、掲示板に書いたりすることは避けた方がよいでしょうね。
自分がネガティブな言葉に捉われている限り、幸福を感じることは難しいでしょう。たとえあなたが幸福だとしても。
鏡さんいわく、黒魔術と白魔術の境界は、真顔かどうかだそうです。あなたが微笑みを浮かべながら、「あのひとがわたしを振り向いてくれますように」と思うことはIN。新月の月に向かっても向かわなくても(新月は願いが敵いやすいと言われています)、真顔で同じことを願ったら、もうその時点でOUTだそうです。
ああ、でもそれ、わかるかも。