
いま山本文緒さんの『恋愛中毒』を読み終えた。
大人買いなんて言うけれど、まだまだ私には本を大人買いできない。
だから、欲しい本や読みたい本はブックオフで買う。
そこで大人買いを発揮する。
長い休みに入る前に、大体4・5冊を買い込み、読破する。
この本は、その中の一冊だった。
『恋愛中毒』に出てくる水無月さんの恋愛観は、正直言って全然分からない。
分からない、というか。理解できるのはそういう人間もいるだろうってだけ。
確かに、男と女が一緒に過ごして行く中で、ずっと真っ直ぐではいられない。
よそ見したり、覗き見してみたり、そっぽ向いてみたり。
ずっと真っ直ぐでいられるのは、真っ直ぐに育った人間でも難しい。
人が誰かに対して求める愛情というのは、必ず育った時の愛情とぶつかる。
どんな風に愛情を注がれてきたか、どんな愛を貰ってきたか。
恋愛の中で求めるものは、足りないものを補うか、重ねるかなんだと思う。
真っ直ぐな恋愛なんて出来ない。
健全で、純潔で、淡いとか穏やかとか。
だけども、少なからず好きなようにやったもん勝ちだ。
欲しいなら欲しいって言った方がいい。
嫌いなら嫌いって示した方がいい。
こうしたいって思うなら、そうした方がいい。
だって、いつかは手を繋ぐことすら無くなるかもしれないんだから。
相手の思うようにしてきた、って水無月さんが本で言ってた。
だけども、それは違う。
相手の思うようにすることが、自分の気持ち良さになるだけ。
もしくは、相手の意に添うようにして傷つきたくないだけ。
それが恋愛のひとつの形なのだから、それも幸せなのだ。
それなのに、一緒に居られないのは分かってないからだ。
自分が相手の思うようにしてきたのに、相手のせいにするからだ。
本当に愛するって、きっと難しいよ。
だけど、どんな形も愛する人のためにって言うのは違う。
本当に?本当にそう思う?
何度も聞き返すと、違う答えが出てくる。
愛する人の気持ち良さは、本当は自分の気持ちを満たすから。
