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バタバタと日常を走っているうちに、
いつの間にか8月も下旬になろうとしている。
なんとか8月の忙しさを乗り越えると9月はそこまで来てしまって、
呆然と高くなる空を見送ってしまう。
9月を無事に過ごすと、私はまたひとつ年を重ねることが出来る。

今年の9月は、10年という節目になる。
もう10年なのか、まだ10年なのか、分からない。
ただ毎年、9月を乗り越えて私の誕生日になると、
私は良い日々を送って来れたのだろうか、と自分の背中を見ようとする。

実際、背中なんて見ようとしても見えない。
だから、9月に死んでしまった幼なじみに訊くことにしている。
10年は言葉で言う程、長いわけじゃない。
けれども、短くはないってことも感じている。
あのとき私は、どうすれば良かったのだろうか。
それすら、いつまで経っても何も答えは出ないし、納得すら出来ていない。

そんな答えのないものをいくら考えても、
私の幼なじみは戻らないし、抱きしめることも叶わない。
10年経ってみて、やっぱり、一目でいいから会いたい気持ちは消えないのだから、
きっと私の人生が終わるまで思い続けていくんだろうな。

時々、泣きたくなるほど懐かしくて仕方がないけれど、
私は彼女の分まで幸せになるんだって決めたのだから、
グズグズ泣いたりしないってことにする。
グズグズ泣いて、哀しみに暮れないことにする。




あれから、私の10年はどうだった? ナオ。
真っ直ぐには来れなかったけれど、
それでも、時にはあなたを思い出して私は生きています。

人文の教授が、なんとも偏屈で。
小さくてガリガリで白髪の綿菓子頭で、
穏やかそうに見えて、すごくネチネチ嫌みったらしい!
文学は人生のロマン…とか言って、独り言のように呟く。
聞き取れません、何て書いてあるか分かりません、に教授は憤怒した。

私は幼稚園児に読み取りや書き取りを教えにきてるんじゃない、
人生とは何たるか、文学のロマンを語りたいのに…と。
それから、教授はすっかりやる気をなくした。
これは飛ばします。
板書しません。
解らなかったら、図書館に行ってください。

どんなスネ方だ。


オトナになると、大人の薄っぺらい言葉が机上理論によって、
何の重さも持たないことを知ってしまう。
若いときには、青臭い理想を語る人間が尊敬出来たり、
机上理論を振りかざすのが大人だと思えたものだけど。

生きた経験から漏れた言葉にはかなわない。
自分のことしか頭にない人間に、周りのことを考えろよって言われることほど、
鼻白むことなんてないだろうし、言葉が薄っぺらいこと、この上ない。
大人になると、この辺がどうもよく分かってしまうのだ。
そんな立派な考えがあるわりには、随分な言動ですね。なんて。

つまり、教授が人生の何たるかを話す前に、
そんなことでネチネチ怒ってないで、
血圧上がっちゃうよ、ってことです。
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正直、嫌になっている。

いつかのブログに載せた職場の鈍感過ぎる彼女。
彼女を巡って単なる愚痴が、今では雰囲気が最悪。
彼女がいつもはつけない香水すら、嫌悪の対象になってしまった。
鈍感な彼女は、いつでも人の悪口を言っていた。

嫌悪してる女子達からランチを誘われて、
彼女もいいか?と訊いたら、断られてしまった。
いつもランチを一緒にする彼女を1人に出来なくて、
私は辞退したのだけれど、女子達の視線は厳しかった。

また明日も誘われて、彼女は?と訊いたら、
『そんなに一緒に食べたいの?』と言われてしまった。

もし嫌いな人間だとしても、傷つけると分かっていて、
無視することはできない、なんて言うのはズルいだろうか。
大人だから1人で大丈夫でしょ、と言うのなら、
大人なんだから嘘でも仲良くしようっていうのはナシだろうか。

面倒くさい。
波立つようなことのすべてが面倒くさい。
誰かの気分が害したりするのも、誰かが嫌悪してるのも、
何もかもが面倒くさいから、もう嫌なんだ。



そうだ。
私が1人になればいいんだ!!
1人でランチを取るのが、一番だな。