よく言われたのが、私が子供を生むことに大多数の人たちが
子供が可哀相と言っていたことである。
もちろん、女子高生で遊び呆けていた私が生むことに
また育てることに心配の念も含まれての言葉だろう、と思う。
それから、すぐに離婚して家族に言われたのが、
息子があまりにも不憫で不幸な子だと、口を揃えて言った。
私なりに、言われた意味は解かる。
私みたいな母親の元に生まれ、父親の愛情さえ受けられないのは
一般的な物言いは、それしかないかもしれない。
そして、それが世間の不幸の定義かもしれない。
私は、若いだけである。
ただ、それだけである。
それに、プラス愛情しかないのだ。
でも、ちょっと待ってよ。
息子は、本当に決まった不幸な人生を歩むのだろうか?
周りが、不幸だと言えば、息子はおのずと不幸だと思うだろう。
もし、お母さんに愛されて幸せだと言われれば、幸せだと思うだろう。
不幸の枠を勝手に、決め付けるのは哀しい。
喧嘩ばかりする両親の元で育てられた子は、本当に幸福だろうか?
父親の暴力に耐える母親を見て育つ子は、本当の幸福だろうか?
私には色んな家族の形も、様々な親子の関係も、それぞれの人生も
同じような定義には当てはまらないと思う。
愛情が無ければ、どんな形も苦しくなるだけ。
だけど愛情があれば、どんな形も許し合えるのではないだろうか?