ろくじょうのおとしあな -25ページ目

とじない

名前を本名にしました。よ。






トラブルにつき、久しぶりに漫喫におります。

甘いミルクティーを飲んでいます。

わたしの身体が、なんだか最近夜と昼のあいだでとまっていたのですが

いつまでもそんなわけにはいかない。

ということで、次の更新でやっとこさの告知をします。おたのしみに!



かわかさない



世界というのはそんな簡単なものでもないなと思い知った0時。



しかしまあ、前に進むしかないだろう、

どこかで甘んじてはいけないんだな、と思った。

少しでも惹かれるものは研究しよう 自分しか知らないで自信なんて持てるわけないだろう






ぼんやりに強いパンチを与えられたきぶん

寝てばっかりじゃだめだ 料理に逃避もだめ しあわせばかになってしまう、よ





この気分でクラムボンの「おだやかな暮らし」をコピーする

欲しいものは、たぶんまだまだもうちょっとある。わたし。



煙のように水のように、変化する「永遠」について



朝吹真理子の芥川賞受賞作「きことわ」読了。



貴子と永遠子というふたりの少女時代の濃密な思い出から、断絶された年月、25年後再会までの「時間」を描いた作品。

「時間」はひとの記憶と共にゆるやかに変化し、巻き戻り、多層的に進む。

きれいで丁寧な文章できちんと書いているから見逃してしまいがちだけれど、

25年前の記憶のままループし続ける夢が現実と交錯する、という感覚は東浩紀的な「ゲーム的リアリズム」に少し近いのではないか、

というようなことをレポートに無理矢理書いてしまった。



絡まりあうふたりの髪の毛は彼女たちの「時間」のようである。

一方向には進まず、相手の「時間」を侵食しながら、ひとつのものとして連なる。




それにしても、「きことわ」ってどういう意味なんだろう。

調べても出てこなかったので、造語なのだろうか。


類語として「とことわ」(常)という言葉があった。

これは、「永久にかわらないこと。またそのさま」という意味らしい。

永遠を名に持つ、永遠子のループし続ける夢のようでもある。

また、「きこ」(帰忌)ということばもあった。

これは「暦注の一。遠出・帰宅・転居・結婚などを忌む日」のことであるらしい。

遠くに出ることを拒みそこに留まり続ける日、ということだろうか。

25年間ときをとめてしまった別荘と、貴子の母・春子がぼんやりと連想される。



つまり、動くことのない空間を並べたことばなのだろうか。

永遠のように固まった25年間が

それでも人間の記憶のあやふやさによって、逆流し変化しその中で動いている

ふしぎな世界観である。







そういえば、この小説にはマニュエル・ゲッチングの「E2-E4」という名曲が登場する。

確かに、この小説における「時間」は、この曲の空間に似ているのかもしれない。

永遠のように繰り返されるフレーズに重なる、変化するギターのフレーズ

人間の作る「永遠」は、ループすることで逆に変化してしまう、多層的な本来の「時間」へ連なる契機なのかもしれないな。



きことわ/朝吹 真理子
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