勝海舟が語る「木戸孝允」――「氷川清話」より | 明日通信

明日通信

あすへ...

勝海舟 勝部真長編(角川文庫)

 

〇 木戸松菊(しょうぎく)は、西郷などに比べると、非常に小さい。しかし綿密な男さ。使い所によってはずいぶん使える奴だった。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがのう。

かつて京都で会った時、かれが直接におれに話して聞かせたことがある。元治元年の七月に、蛤御門の変があったのちで、あの男は会津藩の邏卒(らそつ)に捕らえられて、多勢の兵卒に護衛せられながら、寺町通りまできたときに、大便を催したから厠へいかせてくれといった。するとほかのこととは違うから、衛士も許さぬというわけにもいかず、止むなく二、三人の兵卒を随えて厠へいかせた。ところが木戸は厠の前までくると、地べたへつくばってはかまをぬぐようなふうをしていたが、いきなり脱兎の勢いでその場を逐電した。あまり意外なことだから、衛卒もしばらくぼうぜんとしていた間に、木戸は早くも対州の藩邸へ逃げ込んでいったんその踪跡(あと)をくらまし、しばらくして、また、ある他の屋敷へ潜伏して、ついに逃げおおせたということだ。あの男が事に臨んで敏活であったことは、まあこういうふうだったよ。

それからあの男が下関で兵士を鎮撫していた時分に、ある人へ送った清元がある。

  きのう二上がり、きょう三下がり、調子そろわぬ糸筋の、細い世渡り、日渡りも、そこでなぶられ、ここではせかれ、主(ぬし)の心に誠があれば、つらい勤めもいとやせぬ。

こういうのだが、どうだ。寓意がわかるかね。