運転中の携帯、機能しない工夫はないのかな | 明日通信

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 先日、家の近所を車で走行中、二度ほど、慌ててブレーキを踏み、警笛を思いっきり叩く経験をした。

一件目は、一般道から公園と川、川沿いの遊歩道に続く通り抜け不可の我が家への30mほどの道。僕は一般道から我が家へ。曲がったとたん慌てたのが家の前の公園から自転車に乗った中学生がスマホを見ながら向かってくる。前を全然見てなく車に気づいていない。4m幅の狭い道だからそのままだと正面からぶつかる。車は徐行していたが、そんなことを言ってられない。ブレーキを踏み、クラクションを思いっきり強く叩いた。中学生は慌ててブレーキをかけ片足をついた。ほとんど接触寸前。びっくりした顔で横を逃げるようにすり抜けて行った。

二件目はわが家から一般道へ出て、300m先の工場と一般家屋が混在する5mほどの道。前から中型の宅配トラック。50m先、道路の中央を向かってくる。僕の車とすれ違うことになる。ところがスピードは落としているがいつまでも道の中央、すれ違うため、僕から見て右に寄る気配がない。僕はブレーキを踏んでほとんどストップ。見るとフロントガラスの反射光で運転席はよく見えないが、携帯を覗きながら運転しているように見えた。クラクションを大きく鳴らす。宅配車のブレーキの音が鳴る。見るとやっぱり携帯を握っていた。僕がブレーキを踏んでストップしクラクションを鳴らさなかったらどうなっているのか、考えるとぞっとした。

車の衝突事故、追突事故、運転者が「ついうっかりしていた」、「居眠りしていた」、「前をよく見ていなかった」など、弁解を聞くが、携帯を覗き込んで運転、事故を引き起こすケースも多いのではないかな。僕のようにスマホをほとんど見ない人間ですら、運転中にスマホが鳴ると「見る」誘惑にかられる。ましてや、携帯・スマホなくては一時も過ごせない人たちにとって、鳴れば仕事の席、公共の場、電車などの中であれ反射的に手に取る人たちにとって車の中で手にするのは何の抵抗もないのかも。

先日も四国・鳴門の高速道路でトラックの追突事故が起き、死傷者が出た。スマホとは関係ないかもしれないが、ノンブレーキで追突している。これが、仮に「スマホに気を取られて」であったとしたら救われない。

スマホ・携帯の出現、発達・進化は人の暮らし・生活知識・文化、世の中の構造まで変えるほどになり、なくして世の中の成り立ちは考えられなくなってきた。しかし、スマホ・携帯の普及・進化のために人が傷つき、命を奪われ、世の中を逆に壊し始めている一面も否定できない。

であれば便利と隣り合わせの都合ばかり考えず、便利と隣り合わせの危険を回避するための機能や構造を埋め込んでいかないと、笑い事ではなく「殺人機」に成り下がっていくことになる。車などでは移動中、一人では絶対に覗けない機能・装置を考えてもらわなければならないよネ。