禅の言葉「一切有為法」 | 明日通信

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 「禅の言葉」石飛博光と鴻風会◎書 永井政之◎監修(永岡書店)

一切有為法 如夢幻泡影

 ――うつろうものだからこそ一日一生を精一杯に――

 

 「金剛般若経」の「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし つゆのごとくまたかみなりのごとく まさにかくのごときかんをなすべし)」から。この世のすべて実態がなく「空」であるということ。

 この世のすべては夢まぼろし、水泡や影の如くはかないもの――。

 いっさいのものは実体のない仮のすがた(仮相)で無常であるのに、まことのもの(実相)で永遠だと錯覚しているから、とらわれ、執着する心が起こる、すべては夢幻泡影の如しという観念に立つこと――という教えです。

 織田信長が好んだ「人間五十年下天(げてん)の内(うち)をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を享(う)け 滅せぬもののあるべきか」という「敦盛(あつもり)」(幸若舞)の一節もまた、この「夢幻泡影」の無常観と、「一期は夢」という死生観がその底にあるのでしょう(「下天」は人間界、「一期」は一生をさす)

 良寛の詩にも「回首(こうべをめぐらす)五十有余年 人間是非一夢中(じんかんぜひいちむのうち)」という一節があります。

 五十有余年生きてみたが、人間界で是非や善悪を問うのも夢のうちのこと、人が行う価値判断などにどれほどの意味があろうか……というのです。

 すべては無常の風の中にあります。しかし、信長も良寛もその生き方こそ違えどけっして虚無的になることなく、夢幻であるからこそ精一杯にその生を生きました。夢と消え泡と消えても、生ある限り美しい夢を描きましょう。