おはようごじゃります。
7月7日、8日、9日、10日とバタバタ、バタっくまと忙しくしていたくまです。
誰だい❗バター犬と間違えているのは❗
では今日の東京の空模様。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240711/11/asiatic-black/4e/fb/j/o0810108015461801349.jpg?caw=800)
気温は暑いけど猛暑とまではいかないかな。
その代わりに湿度が高いからムシムシ感はハンパねぇ🥵
風も南からの風が時たま強く吹いているよ。
では本題。
ちと長くなるから、トイレ🚽に行ってスッキリしてから手元に飲料水🥤🥛🧃🍼🍵☕🚰を用意して、あっ、あとオヤツも用意して🍧🍨🍦🥧🍰🍮読んでね。
7月6日の夕方、くまと同い年の従弟からTELがあって、母親(くまから見て叔母)が亡くなったとの知らせだったよ。
従弟が朝出かける時はちゃんと挨拶していたらしいよ。
享年91歳、まあ大往生だね。
くまの母親の妹なんだけどくまが産まれた時はまだ21歳、そのせいかオバサンとは呼ばせずに、いつからかK子ねぇK子ねぇと呼ぶようになっていたよ。
くまの母親はくまが物覚えついた時から身体が弱く、くまが中学2年の時に亡くなっているんだよ。
だから、くまが小さい頃から同い年の従弟と一緒によく面倒をみてもらっていたんだ。
K子ねぇの連れ合い(叔父)が建設会社を経営していたので、下職さんたちとの社員旅行💺🧳や千葉への海水浴⛱️🏊♀千駄ヶ谷の屋内プール🏊♂などにもよく一緒に連れて行ってもらったよ。
学生時代はたまに家に遊びに行くと、必ずそっと財布から今でいう諭吉さまを💸抜いてこずかいにくれたんだ✌
くまの兄の時もそうだったけど、結納(当時はまだそんな風潮があった)や結婚式、披露宴にくまの母親の席に座ってもらっていたんだ。
結納の挨拶の時、兄の相手は東京在住の人だからまだ日帰りで良かったけど、くまの場合は山形県鶴岡市まで寝台列車とホテル泊まりで行ったから大変だったと思うよ。
そんな母親代わりを務めてくれた叔母の死、2人の母親を亡くしたような感じだよ。
そんな訳で従弟から連絡をもらったあくる日の7日に少しのお供え物と、遺された人たちは♂も♀もいろいろと忙しくてエサの支度をするのが大変だろうと思い、陣中見舞と称してエサの差し入れも持って行ったんだ。
しばらく居て帰る時に
『K子ねぇ、またね、9日に会いにいくからね、今日はこれでバイバイ👋』
そして次の8日は友引なので、くまは洞穴で9日、10日の葬儀に行く準備。
礼服、白ワイシャツ、白ハンカチ、黒ネクタイ、数珠、黒靴などをチェック。
で、9日のお通夜。
少し早めに斎場に着いてK子ねぇと再会。
すでに納棺されていて薄化粧もされていたよ。
ちっとは存命中のK子ねぇに近くなったけど、トレードマークとも言える大きな瞳が閉じられていたので……
まあ、開いていたら怖いけどね(笑)
『K子ねぇ、今日も会いに来たよ』
そして、お通夜の式も滞りなく終わり
お清めの席へ。
喪主の従弟の向かいに住職、その隣の席は皆が敬遠してなかなか埋まらないので、意を決してくまが着席←クマグァンバッタヨ!💪
でも、なかなか気さくな住職で硬い話はなく、こちらの話にもいろいろと反応してくれたよ。
そして、K子ねぇの昔話を従弟妹を交えて笑いありの話で盛り上がったよ。
時間も来たので、これにてお開き。
もう一度棺の所へ行って、
『K子ねぇ、また明日来るからね、バイバイ👋』
10日、告別式。
この日も少し早めに行ってまずは、
『K子ねぇ、おはよう、今日でお別れだね😢』
そして、告別式、初七日の式も滞りなく終わり、出棺。
火葬される前の最後のお別れ。
『K子ねぇ、今までいろいろとおふくろ代わりに面倒みてくれてありがとう、向こうの世界に行ったらおふくろによろしくね。じゃあ最後の最後、K子ねぇバイバイ👋』
と、言いたかったんだけど、途中言葉が詰まってしまったよ(^_^;)
そして、お骨も骨壺に納まり精進落の席へ。
昨夜とほぼ同じ席。
最初は喪主てある従弟が住職と話が盛り上がり、くまの出番はなくホッとしたよ(笑)
またまた従弟妹同士の話で盛り上がり、お開きの時間になったよ。
K子ねぇにご挨拶、
お骨の入った白木の箱を優しく撫でながら『じゃあねK子ねぇ.お骨が自宅にある内に、お線香をあげに行くからね、バイバイ👋』
と、まあこんな訳でくまはバタバタとしていたよ。
長い話を最後まで読んでくれてありがとうごじゃりますm(_ _)m
皆さんもクッソ蒸し暑い日が続いているので、熱中症とかに気を付けてくらはいな。
では、バイバイ👋