先日、乗客のひとりがマスクを着けることを拒否した事を発端に、新潟空港へダイバートした事について書いたのですが、とても多くのご意見を頂きました。

このような、センシティブなトピックについて書くのはホントはとても気が引けるのですが、せっかくコメントで意見をシェアして頂いた方たちへ、自分もしっかり自分の立場をシェアする必要があると思い、書かせていただきました。

頂いた意見の中には、「そもそも感染のリスクは低いのだから」や「マスク着用は要請であって義務ではない」などがあり、ピーチ側の対応を問題視する意見もありました。

今日は、その中でも「マスクをしない権利」について、自分の思うことを書きたいと思います。



現在、日本でマスクが義務ではないのは義務化/法律化しなくても、もともとマスク着用率が高く、感染拡大もそれなりに防げている現状があるからだと思います。

多くの国ではマスクをする習慣がなく、義務化するしかマスクの着用を普及できませんでした。

感染拡大への対策にもたくさんあります。そして感染の拡大にも段階があり、それによりどれくらいの対策が必要か判断する必要があります。日本でも感染が広がった時は、外出/営業の自粛要請、つまりロックダウンをすることによって人と人とのコンタクトを少なくし感染拡大を防ぎました。感染がもっとひどかったイタリアなどでは、外出の自粛要請に留まらず、外出規制にまで至りました。感染の拡大を防げていて、世界から称賛されている韓国では、海外から入国する人に政府が配布している接触確認アプリのダウンロードを強制するなど、コンタクト・トレーシングと検査を徹底的にやっています。

もし日本でも、マスクの自主的な着用率が低くなり、感染がさらに拡大するような状態になれば、現在の要請より強制力の強い対策が必然的に必要になっきてしまいます。再度のロックダウン、そして公共スペースでのマスクの着用などが義務化されるでしょう。実際にそこまでの対策を取っている国は沢山あります。

そして、もしこのウイルスの感染力が更に強く、マスクや3密を回避するだけで感染を防げないようだったら、それなりの対策が必要になってきます。だた、このコロナウイルスは現在政府が発表している対策で感染がなんとか防げていて、ウイルスの性質によってその線引きも変わってくるのは当然のことです。すべては、日本での感染の現状と、日本政府の現在の感染対策に対して国民の大多数が許容し、従う事ができる状態が今なわけで、また感染が広がれば国民の方からもっと踏み込んだ感染対策を要望してくるようになり、感染者がもっと少なくなれば、以前、非常事態宣言の解除の際のように対策をリラックスするよう議論されるのです。ただ、このコロナウイルスの、症状もあまりない頃から感染性が高いという性質上、感染対策の原点とも言えるマスクの着用の重要さは、人口の60~70%にワクチンが行き渡り、集団免疫が確立できるまで変わらないと思います。そして、その日まで自分はマスクをし続けます。

ご存知の通り、ロックダウンと経済の両立が難しい中、誰もが出来る感染拡大対策として有効なのが、マスクを着けること、3密を避けること、手洗いうがいを心掛けることだと思います。マスクについては世界中の医者や科学者たちが、感染拡大に対して効果がある対策だと評価しています。そのマスクや3密の回避に懐疑的なリーダーシップに始まり、そのような意見の国民がまだまだ多いアメリカでは、感染拡大がとても防げている状態ではなく、世界最多の死者も出しています。「その程度のこと」と全国民がコロナウイルスを甘く見て行動していたら、どのようなことになってしまうのでしょう?前の記事でも書きましたが、感染に歯止めがかからなかった日本の4月、そしてイタリアやニューヨークのことを思い出してください。そうならないように、ひとりひとりが感染を広めないような行動をとる必要があります。それがマスクを着ける、できるだけ人との距離を保つという「マナー」なのではないでしょうか。日本では要請による「マナー」で留まっていますが、世界中には「マナー」なだけでは人々が行動せず、「ルール」にして義務化するしかない国も沢山あります。


今回の件で、ピーチ側の対応も決して100%正しいとは思いません。前の記事でも書いたように、「要請」を拒否した上で度々マスクの着用を求められた乗客の苛立ちも理解できます。不安から出てきてしまったかもしれない「マスクをしていないので気持ち悪い」という発想も、他人に投げかける言葉ではありません。
マスクをしない人に中には、日本の「世の中の風習に従わないと反社会的」とされ排除される傾向に疑問を持っている人がいて、マスクの着用を強要する社会に対して自由と権利を掲げ反発する人もいるのかもしれません。先ほど出てきたアメリカでもマスクを強要されるのに反抗し、「マスクを着けないのは自分の自由だ」と語る人が毎日のようにテレビに出てきます。しかし、今回のコロナ渦の中のマスクは風習や社会の習慣などではなく、単にひとりひとりが拡大を防ごうと行動しているだけです。それに「逆らいたい」という事だけで、感染を広げるリスクを高め、他人の命を脅かすのが許されていいのでしょうか?
そして、その自由と権利を理由にマスクを着けないのであれば、3密を回避できない機内であなたを見ていて不安になっているかもしれない人のために、せめてものことをすることが必要なのではないでしょうか?それが今回の乗客の場合、協力的な態度で客室乗務員に接する、指示に従い空いている列に移るなどの行動であって、もしそれができてていたら臨時着陸という事態まで進展することはなかったのではないかと思います。

そして、マスクをしない人の中には、このコロナウイルスの存在自体に懐疑的な人、そしてウイルスのリスクを甘く見ている人も多くいるのではないでしょうか。確かに、テレビやニュースで見るだけの物を信じるのは簡単ではないかもしれません。
自分は、このコロナウイルスに感染してしまい、辛い闘病生活から回復した方と話す機会がありました。陰性となった後も肺にダメージが残っており、以前のように運動もできないと話していました。ニュースなどでも出てきて問題になっていた、アメリカのビーチでの若者たちのパーティーに行っていた自分の子供から感染したそうです。普段から気を付けて生活していたのに、他人の行動によって感染してしまいました。その子供だって故意に移そうとしたわけではありません。自分が知らずとも感染していて、他人に移してしまう可能性が0%でない以上、そうならないように努力するべきであって、それが今のマスク着用や3密を避けるという行動であり、「マナー」なのではないかと思います。


今回のコロナ渦は、航空業界にとってかなりのダメージになっています。別の記事で書くつもりでしたが、自分も一時解雇という立場となりました。仕事を失い生活が懸かっている自分としては、一刻も早くこのコロナウイルスに収まってもらい、前のように夢だったパイロットとして働きたい気持ちでいっぱいです。検査や、韓国でうまくいっているもっと踏み込んだコンタクト・トレーシングもやって、早くコロナが収まって皆さんが飛行機に乗れる日が早く来てくれと願っています。しかし、そういう対策が多くの人にとっては望んでいない事であることも分かっています。なので自分は、政府が国民に要請している感染対策をしっかり実施し、自分がこれ以上感染を広める理由にならないように最大限の努力をするつもりです。