紐靴 | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校時代の友人を

 

想う機会が多い春。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒い紐靴のあの子は

 

どうしてるかな。

 

 

 

 

 

 

(3月9日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きだけど

 

好きだからやらない

 

 

のが

 

多くの人にままある事

 

だと知ってる。

 

 

 

 

 

そういう気持ちを

 

お互い理解する事で

 

 

 

 

(14日)

 

 

 

人同士が

 

静かに繋がり、かつ

 

思いやる様子を

 

 

文明と呼ぶ

 

のでないかとさえ思う

 

くらいままある事象。

 

 

 

 

 

 

でも

 

あの子のは少し

 

違った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校時代に

 

既に大きな夢を持つのに

 

 

世の中では

 

他の才能の方が際立つ為に

 

望む方向に進めなかった。

 

 

 

 

家族とも

 

散々喧嘩したという

 

 

黒髪のおかっぱで

 

流行りのローファーでなく

 

黒い紐靴、を履いてた子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相棒の右京さん

 

みたいに眼鏡の向こうの

 

普段はきりりとした目が

 

 

服のデザインの

 

色々についてこっそり

 

恥ずかしそうに話す時は


(彼女が服飾デザインの世界に

 夢を持つ事は・・・

 スカートを短く履き靴下の

 ルーズさ、長さや、簾のように

 一部下ろしてカーラーで整える

 前髪にこだわり時間をかける

 同級生の誰も、知らない。)


 

本当に嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

無口な彼女が

 

楽しそうに、でも


苦しそうに、話すのを

 

とにかく聞いたし



(最初は装苑のある図書室

 でページめくりながら。)


 

当然の事のように

 

やりたければ

 

やったほうがいい

 

とも伝えたはず。

 

 

 

(19日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

(22日)

 



例えば

 

 

大変なのを

 

知ってるからこそ

 

成し遂げようとする人を

 

応援する側になる事に


幸せを見出す人もいて

 

 

それはそれで

 

既に目の前にあるのとは

 

別の海に人生を漕ぎ出す

 

みたいで、それこそ

 

 

文明、で

 

ドラマがある、

 

のだけど

 

 

 

 

 

 

 

本当に

 

縁のある事柄や

 

才能ある事柄は

 

 

 

 

例えば

 

環境が整わなくても、

 

やらないと決めても、

 

なぜかやる方向に

 

導かれる、とか

 

 

 

 

 

 

 

 

時代の評価が

 

追いつかなくとも

 

最期まで続ける事で、

 

 

次の時代で誰かが

 

引き上げてくれる、とか

 

 

のドラマが


彼女に起こって

 

いたらいいな。


 

 (それこそ夢のような。)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


また別に 


 

お金にならないけど、と

 

後になってから、好きな道へ、

 

食べてはいけるだろう


専門的な職業に的を絞って


舵を切り直した同級生


(Sちゃん)もいた。



(華やかさとは無縁の

 コツコツ働き生きる道。

 いくつもある好きな事を

 自分の中で融合出来る道。

 私のもこれにとても近い。)

 



1人なら十分


食べていける仕事の中から


選んだ、のがわかるし大学で


学んだ事、も活かせるけど



(これまた別の点で

 華やかな才のある人

 だったのだけど。)



大人たち、


周り、が期待したのとは


全く違う道を選んだ事に


違いなくて。





で、ここまでの話は


まるで家族や周りの人に


決められた進路に無理矢理


進む事になった、



夢を捨てた、



高校の同級生の話の


ようにも読めるけど


決してそうではなく




新聞やテレビや、


中高それぞれの社会科の


の先生から経済の現状の


(高校時代はバブル崩壊前夜)


話を聞く中で



時代はまだ浮かれて


いたのに関わらず



(勿論、自然に、ちゃんと

 わかっている人もいて。)




この先


世の中が揺らいだり


変わっても後悔しない



(経済価値に頼らないけど

 自分と大切な人が生きる

 為の要素を維持できる)



自分自身の


夢を傍に抱えながら


生きる道を見据えた



人が大勢いる、いた、


という事。




(私の周りの記憶に残る

 数人は、だけど

 その他の同級生も既に

 浮かれてはいなかった。)

 

 

 

 

 






 

 

 


だからこそ 

 

毎年春になると

 

Hちゃんの事想う。

 

 

どうにか食べて


行く術を得ながら


夢も叶えているのでは

 

ないかと探したり

 

 

彼女に


今ならなんて言うかと

 

気持ちを整理したり。

 

 

 

 

 

 

で、今年も

 

彼女の名前はやはり

 

探し出せなかったけれど

 

別の同級生Wちゃんと


繋がった。

 

 

他の同級生も、


今生きる大人の多くも、


みんな多かれ少なかれ


同様だと思うけど



苦労して

 

全く違う仕事に


辿り着き、




今は、少しだけど


時間を作る事が出来て


好きな事を続けてる


のがわかった。

 


 

 

 

 

 

 

彼女がまた、どこか


相棒の右京さんみたいな


雰囲気を持っていたから

 

 


きっと


紐靴のHちゃんも

 

同じように、流されず


 

前の時代では


当たり前に手に出来ると


されていたものも



(そう。もはや当たり前の

 時代では無いけど。)



むしろ


鮮やかに固辞するとか、




そうでなくとも


服の事に触れる時間

 

努力して、捻出して、


笑ってると信じる。




あの時


経済的にただただ


有利になる選択からは



意地でもと、遠く、でも


生きるため、状況を考え


抜いての道に進んだ、と



今の私には


思えるから。







で、例えば


その後の人生で読んだ本の話


とか聞きたいなあ。