ドロップ | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

恵比寿ガーデンシネマに

 

『ブレッドウィナー』

 

を観に行きました。

 

 

 

 

年末に私が

 

「観に行きたい」と言ったら

 

大きな人も

 

「観に行くつもりだった。」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめは

 

12月24日に観に行くつもりで

 

でも1月4日に一度延期。

 

 

その物語には「救い」が無い

 

可能性が高い事が容易に想像できて

 

私は観に行くのに勇気がいった。

 

 

正直に言うと

 

クリスマスイブに行くのが

 

辛かったのです。

 

 

(年末はそれでなくとも

 

 悲しい記憶がいくつか蘇り、

 

 今年は突然の別れがあったので

 

 クリスマスだけは穏やかに、と。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちの目の前に無いけど

 

言葉や情報だけで知識として

 

知っている「現実」をあらためて

 

突きつけられるのが怖かった。

 

 

 

 

それでも

 

公開されているビジュアルの

 

あまりの美しさに

 

「観に行かない」という選択肢は

 

既に無くなっていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

1月に入って1日1回の

 

上映になっていたのもあるけれど

 

満席に近かった。

 

 

 

 

 

 

 

始まってからしばらくの間、私は

 

隣の席にいるおじさんが

 

目の前で繰り広げられる不条理に

 

対する怒りでいっぱいに

 

なっている気配を感じながら

 

 

でも実は劇場全体が目の前に

 

急に突きつけられたその「現実」に

 

激しく動揺しているのも

 

感じていました。

 

 

叙情的な風景で満ちている

 

とても美しい映画なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もがその「現実」を予想して

 

足を運んできているだろうに

 

それでもこうも打ちのめされる。

 

 

まだ「事件」は起こる前なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもながら

 

 

 

 

 

色彩、画面構成が美しく、

 

 

2つの物語が並行して進み

 

そのそれぞれが

 

全く異なる絵画(映像)表現で

 

お互いを刺激し合うようにして

 

観客の心を最後まで

 

惹きつけたままである・・・

 

という作り手の丹念な仕事が

 

あった事で、

 

 

 

 

 

 

こういった内容の作品でも

 

私は目をそらさずに最後まで

 

観続けられたのでした。

 

 

 

 

 

『存在のない子供たち』もそう。

 

 例えば、絵画的表現のごく小さな

 

 歪みなどで映画の作品世界から

 

 心が離れてしまう事が私には

 

 よくあります。それは

 

 実写の物語においては役者さんの

 

 力量いかんで作品から心が

 

 離れてしまうという事だったり

 

 します。

 

 ただ、大胆さも不可欠で、

 

 そういう事も逆転の発想で

 

 あえて表現に取り入れて利用する

 

 様子も素晴らしいと思うのですけど

 

 ・・・それこそ監督の力量いかん。

 

 それでも、どちらにしても

 

 冷静に、綿密に、丁寧に

 

 綴られる中で観たいのです。)

 

 

 

 

特に

 

「一瞬観る者の気を引く」

 

という事とは一線を画す

 

そのような作り方・・・

 

 

 

 

長くその状況下にある中で

 

感情を表す事を忘れてしまったり、

 

その意欲を失いつつある人々の姿を、

 

 

そのままか、それ以上の形で

 

「静かに穏やかに」表現・・・で

 

 

 

 

 

もはやそれが

 

「遠くの国の知らない人」の物語で

 

なくなっているとも感じさせられた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キラキラの飴(ドロップ)の屑が

 

乾いた地べたで、美しく、色鮮やかに

 

光る様子は

 

 

恐ろしい家の外の世界で


初めて見出せた「希望」を


象徴していたのかな。



仲間、友人、という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火垂るの墓」の名を挙げて

 

この作品を賞賛する声があるとか。

 

 

私も

 

甘く、美しいドロップ(飴)は

 

平穏の無い日常が続く中で

 

心の緊張をほぐしてくれるように

 

思ったし、

 

(「火垂るの墓」に対する

 

 オマージュかもしれませんね。)

 

 

味覚の存在しない二次元の世界、


(構図や色彩の美しさはあっても)


無味乾燥とも捉えることのできる


生き物の精気や色艶の抑えられた


風景の中に入り込んだ私に


物語の先を追い続ける勇気を



それがほんの一瞬で、


かえって残酷にも


なるかもしれないけれど、



与えてくれるものになりました。