希望 | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけまして おめでとう ございます

 

 

 

 

 

この年明けは、

 

みなさんのブログを楽しく読ませて

 

いただくほうに

 

思い切り専念するつもり・・・

 

 

 

 

だったけれど、

 

 

年末に新聞の投書欄で見つけた

 

あるご家族の記事の事を

 

自分自身が忘れないように書いておきます。

 

 

(新年早々、長くてすみません。)

 

 

 

12月30日の北海道の男性の記事。

 

 

 

奥様は(今は)北海道から遠く離れた

 

 

ジャカルタで幼稚園を経営されている

 

インドネシア人の方。

 

1年の内1ヶ月しか一緒に暮らせないのに

 

丁度その時北海道地震で被災された

 

そうです。

 

 

 

 

お子さん2人は独立されていて

 

その地震の際も厳しい状態の中

 

それぞれが自分の仕事に

 

たくましく従事されていて、

 

 

(私の予想では)お父さんご自身が

 

そう生きて来られたのかな?

 

「自分と同じ社会人ならば

 

 当たり前の事」と

 

どこかで思う意識が

 

そうさせるのでしょうが、

 

それは災害の中まっすぐに自分達

 

それぞれの仕事に向かう様子が

 

さらっと書かれているだけ。

 

 

 

でも、

 

親として、または

 

その「若者たちより年上の大人」という

 

視点でも、心の底では

 

その2人の若者の姿に大きな誇りを

 

感じているのが伝わってきます。

 

 

 

 

自分以外のご家族3人の

 

「当たり前だけど当たり前でない」姿が

 

全体の4分の3位まで

 

読んだところまででもう十分

 

私にも伝わり、

 

勇気付けられていたので

 

この記事をスクラップする事は

 

もう決めていた。

 

 

 

でも、最後の奥さんの

 

「だいじょうぶ。

 

 世界が終わるわけではないのだから。」

 

という言葉こそがこのご家族の全てを

 

物語っているように感じました。

 

 

 

 

 

 

当たり前だけど、当たり前ではない、

 

親も子も、その一人一人が

 

一緒に暮らす中で

 

たくましく優しく育った家族の姿。

 

 

(奥さんの単身赴任のお仕事が

 

 いつ頃からだったのかはわからない。

 

 でも信念を持った仕事をするために

 

 その地へ向かう後姿を見て

 

 育ったのですよね?きっと。)

 

 

 

 

 

責任感や、優しや、たくましさは、

 

「生まれつき」と言ってしまえば

 

それまでだけど、

 

 

ご両親の「物の見方」は、

 

自分たちの背中を見せる事で

 

ちゃんとお子さんたちに

 

受け継がれているのだろうな。

 

 

いいなあ。

 

 

 

 

 

 

私個人のここ20年間の歴史の中で

 

とてもショックだった出来事に

 

ついて言えば

 

 

その中心にいる人の「自分本位」の

 

考え方や感じ方は、

 

側にいる大人の発言や考え方で

 

育まれてしまった事もあると

 

思ってきたのですよね。

 

 

(そうして他のいい部分に目を向けて

 

 ひとまずはその人を受け入れたいと

 

 思ってきた。)

 

 

 

でもその後、

 

私はやはり願って、

 

何か変化を期待して、そして

 

いくら心でぶつかってみても、

 

暖簾に腕押し・・・のような感じで

 

 

最後まで

 

真のたくましさやあたたかさの

 

芽生えさえ感じられないままの人や、

 

家族のある事も

 

 

この年になるまでに

 

残念ながらだいぶ知ってしまった。

 

 

 

 

でもその度に、

 

「冷たくて悲しい言葉をたくさん聞きながら

 

 ここまで来たんだろうな。

 

 もうちょっと様子を見てみよう。」と

 

思って繰り返す道を選び、

 

結局は裏切られるような結果に

 

なっちゃう。

 

 

 

 

 

でも、勝手に期待してるのだから、

 

責めようもない。

 

かと言って人に対して諦めたくはない。

 

その人の立場を守ること

 

(それは代わりに自分が代償を負う)

 

を、私はあと何年続けるのかな?

 

という戦いです。

 

 

 

 

(勝手に願って勝手に戦っちゃう。

 

 でも、願わずにはいられなくて、

 

 でも、そこを抑えたくて・・・

 

 かと思ったらすごく長い年月のうちに

 

 ちゃんと伝わって・・・、

 

 ちゃんと変化が起こる奇跡を知った

 

 ・・・今年、今日!・・・でした。)

 

 

 

 

 

 

「性善説」に立って、

 

人がよい方向へ変化する事を

 

願って生きていくのは

 

どこまで頑張れば終わりが見えるのか、

 

不安になる時もあるけれど、

 

 

 

例えばそういう不安の中でも、

 

” 大人は「親」でなくても誰もが

 

「社会の子どもたちの周りの大人」で

 

 ある"

 

 

そして

 

 

”その背中を小さな誰かが

 

 見て追ってくれている"

 

 

と思えたら堂々巡りのような

 

ちっとも実を結ぶように思えない

 

険しい道の中でも

 

一生懸命に生きて行けるかな。

 

 

 

でも、子どもに「教える」のは

 

 

”自分以外の人も含めて

 

 命を守る事の大切さ”

 

だけ。

 

 

 

「要求」する事は無しにして、

 

ただただたったひとつ教えた事が

 

ちゃんとその子の中に根付いて

 

息づいて行くのを願うに留めて、

 

その先は、見本となる背中を

 

見せる事だけに一生懸命に

 

生きていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

今回はこの記事のご家族の姿に

 

本当に本当にホッとして、

 

きっとこのお子さんたちから

 

次の世代に引き継がれていくだろう事に

 

子どものいない私の希望もつながりました。

 

 

 

 

(背中を見せることは

「近所のおばちゃん」だって出来るね。)

 

 

 

 

 

けれど、

 

 

どんな経験をして、

 

どこで誰と育ってきても、

 

自分の力で善悪を判断して

 

あたたかくたくましい心を

 

自分自身で育て上げられている方も

 

たくさんおられると思います。

 

 

もしそう上手くいかなかくても

 

社会の方が責められてもいい位

 

なのだから、

 

そういう方に出会ったらただただ

 

尊敬するばかり。

 

いや、そこにこそ

 

誰か大きな背中を見せてくれる大人が

 

いたのだと思いたいです。

 

 

 

 

 

この気持ちは

 

もちろんこれからもずっと変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎ 新聞の投書欄には姓名が

  記載されているので

  そのまま載せさせていただこうか、

  随分悩みましたが、またちがった性質

  の媒体なのでお名前は伏せさせて

  いただく事にしました。

  文章の全文は写さないようにしたけど

  これで大丈夫かな?

  

  朝日新聞の2018年12月30日の

  記事です。