人の幸せと、私の幸せ。 | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

いつ雷鳴が来るのかと身構えながら、

 

花の写真を見ています。

 

 

 

いくつもの季節は越せない花かんざしを

 

今年の春は買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可愛い花、好きだな。」

 

と思いながらも

 

 

そういう事実があるために、

 

この18年間では2度目となるお買い物。

 

 

 

 

 

 

 

(班入りのと緑一色の2種類のビオラ。室内で水差しするために私に

 ちょこちょこ切られます。1年中緑でも冬よりは春のこの日が

 やっぱり元気。強い雨に濡れている

 今日などはもっと潤った色あいで美しいのです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもは長く一緒にいられるものをすすんで選びます。

 

 

丈夫で手のかからないアイビーなどは一時期

 

3種類も家にありました。

 

 

 

 

 

 

自分で選んで買ったのは最後のひとつだけで、

 

あとは実家からわけてもらった2種類のが、

 

すこしずつ増えていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、最後のひとつ、

 

すごく長く垂れ下がったくるくると葉がまるまったのを

 

自分で選んで「かわいい!」と買った時の幸せは、

 

それまでなかったものでした。

 

 

 

(室内でずっと過ごさせたそれは枯れちゃって、

 

 今はいないのですけれど。)

 

 

 

 

 

 

 

(2016年の写真。一番奥の壁際にお花屋さんが大きく

 育ててくれたくるくるカールのアイビーが垂れ下がる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

植物を増やしていく喜びと、

 

増えすぎてしまったそれを

 

たまにはよそのお宅にもお嫁に出す喜び。

 

 

 

 

自分のためにお花を買う喜びと、

 

さらに、

 

短い時間だけの楽しみとわかっていても買う喜び。

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれどこがどう違うのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が」育てるのだから

 

すべてが自分の手中にある?

 

 

 

 

 

 

 

 

いえいえ。

 

そんなことはありません。

 

 

 

 

 

 

(小さい方のベランダ。すこし風通しがわるく真夏は蒸れる構造

 だから夏のバラのためには必要な柵。でも・・・・ほんの少しの

 差だけれど、春に咲くムスカリにとってはこの柵のために

 こちらのベランダはすこし日照時間短かすぎる?

     ・・・・・それで咲くのが数日遅かったのかな。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

 

その「自分のため、短い期間の楽しみのため」に仲間入りさせた

 

新しい子よりも、

 

 

うまく水を吸い上げられずにいる子のことのほうが

 

気になり始める瞬間があることで、

 

 

 

また、

 

その反対の瞬間だって同じくらいの頻度で

 

あることで、

 

 

 

 

その喜びに

 

大きいも、小さいも、

 

種類のないのがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はけっして

 

すべての花を丈夫に元気に育てられるわけではないのだから、

 

 

もしもこの花にちゃんと水をすいあげさせてあげる

 

手助けができたのなら、それが幸せ。

 

 

でも、

 

 

手をかけた記憶はないのに関わらず

 

にこやかにでも黙ってそこで咲いていてくれる

 

白い可憐な花の存在もやっぱり幸せ。

 

 

 

 

 

ね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さいベランダでは

 

小さいなりに、

 

 

 

日のよく当たらない時間が

 

あるなりに、

 

 

 

それなりにできたらいいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒸し熱い夏に、

 

植物たちを強い日差しから守り、

 

さらには

 

人間の入浴シーン(!!)だけは外から見られないように

 

目隠しもできる柵。

 

 

 

そういう、『植物』と『人』「それぞれ」のためになる

 

ひとつのものを

 

私たち『人』の手で作れらせてもらえたから、

 

それもいいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(種を手にした時、何色の花が咲くかはわからなかったビオラ。

 今年は紫一色のと、紫と白と黄色の・・・2種類咲きました。

 日本の梅雨を越すことはできないから、毎年種まきが必要です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから私の、

 

 

 

頭が痛くない日はいいね!

 

 

足のしびれのない日はもっといいね!

 

 

 

明日はどっちかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいね」と思える今日は幸せだけど、

 

それが過去になった時、

 

「いいね」と思えなかった日のほうに、

 

大きな意味が生まれたりする・・・って

 

先日もたしか書いたけれど、

 

 

 

 

 

( ”さくらまつり” のあとに脇道に入って見つけたビオラ

 どうしてここで芽吹いたの?

 桜の花びらと比べてもうんと小さい。 )

 

 

 

 

 

ここ数ヶ月図書館で、

 

名越 康文さんの本を何冊か続けて借りています。

 

 

その中で、

 

身体教育研究所の野口裕之さんの意見も借りての、

 

「 自由と幸福 」の話が

 

私は好きなのです。

 

 

 

 

 

 

(もうひとつ黄色も。ここでなら根元が蒸れずに夏越しできる?

 来年また会いに来たいけど、私覚えているかな?来られるかな?)

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

『 「幸福」を追い求めることにとらわれない 』

 

と、

 

簡単に要約してしまうこともできるお話。

 

 

(そのような内容の本は他でも見たことがありますよ。)

 

 

 

 

 

でもこちらではもう一歩踏み込んで、

 

 

 

たとえば、

 

「痛い」とか「苦しい」といった言わば負の感覚を、

 

自分のことなのにまるで他人事のように語り、

 

『 感覚の渦に巻き込まれない 』でおられる

 

方々のエピソードも書かれている。

 

 

 

 

 

(でもそのどなたも決して仙人のような人というわけでは

 

 ないそうです。

 

 

 自分自身のこともふくめて、

 

 何もかもを自由にできたら、それはまあいわゆる、

 

 『幸福を手にできる人』ということになるのかもそれないけれど、

 

 そんな完全無欠の人ではないですよ・・・、

 

 それから『 感覚の渦に巻き込まれない 』ように大方できていても、

 

 そこはやはり完璧でない部分もある・・・ずっこけちゃうような、

 

 こともある・・・ということのよう。

 

 

 ・・・私はそう解釈しました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花かんざし買っちゃった。

 

 

売れ残っていたビオラの様子を

 

ふたたび見に行ったお花屋さんで買いました。

 

 

 

4年間時々のぞいていたそのお花屋さん。

 

一昨日、買い物の時見たら閉店してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がもしもひとつビオラを買っていたからと言って、

 

そのお買い物が他の人の幸せをも保証できた

 

・・・なんてわけではないのに

 

なんとなく一瞬「ごめんなさい。」と

 

思ってしまった一昨日でしたが、

 

答えは最後までわからないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、

 

意味の有る無しですべてを語るのは寂しいと思うのだけれど、

 

 

あえていうなら、

 

それはやっぱり意味のある瞬間や感情ではなかったのかも

 

しれないな。

 

 

(ここ私、きっと大事ね。意識していますよ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日、今起きていることもすぐに過去になる。

 

 強い風が吹いていることも、

 

 それによって小さなダメージがベランダにもたらされたことも、

 

 過去になる。」

 

 

 

 

 

それなんかはちゃんと知っていて、

 

「いやだなあ。」なんて大げさに

 

誰かと一緒に口に出しながらも、

 

強い雨の中かっぱを着て飛び出すことも、

 

大きな雷の音なんかだってわりと平気。

 

 

(明日はきっとやんでるし、それがだめでも

 

 明後日にはきっとやんでることだから・・・。)

 

 

 

 

おもしろいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

( ”花かんざし” もビオラと同じに種まきで育てられたら

 いいのだけど・・・。お花屋さんはそれではきっと困るよね。)

 

 

 

 

 

 

本を読む時間が

 

なかなか取れないので、

 

貴重な出会いを今日は

 

忘れないようにひとつ書いておきました。

 

 

 

 

でも、

 

次にその本を探し当てることができるかできないかは、

 

何かに委ねよう。

 

 

 

 

だから本のタイトルはあえて書かないでおきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代わりに明日、雨が上がったら、

 

ダンスを観に行くその足で、

 

あのど根性ビオラにもう一度会いに行きましょう。