一旦喋り始めたオウムは、
それから、毎日、朝から晩まで、
「ギーテ ギテ ギテ ギテ」
と、啼くようになり、
兄嫁も、子どもたちもそれが
面白くないようであった。
だが、彼らに反して
喜んだのは、ギータ。
檻の中の鳥が毎日自分の
名前を呼んでくれるのだ。
他人の家族の中でお手伝いとして
暮らしていた子どもの
ギータは寂しかったに違いない。
ギータはオウムの友だちと
遊びたかったのだろう。
ある日、ギータはこっそり家人の
目を盗み、オウムの檻に入ろうとし、
オウムに逃げられて
しまった。
子どものギータは、
オウムに逃げられた瞬間、
大泣きし、その泣き声に
驚いた家人たちが、ギータの
元へ集まってきた。
ギータがオウムを逃がしことを
知った兄嫁は烈火のごとく
大怒りでギータに手をあげた。
子どもをお手伝いとして
働かせることをよく思っていなかった
夫は、子どもに手をあげた
兄嫁に苦言し、兄にギータを田舎の
親の元へ返すよう促した。
オウムを逃がしたギータが、
田舎に逃がされたのだ。
ギータは嬉しかったかも
しれないが、ギータの両親は
嬉しくなかったかもしれない。
今でもギータのような子どもが
都市部に奉公に出ることが
あるという。
ギータのような子どもだけではない。
学校を卒業しても仕事の見つからない
多くのネパールの若者が
海外に出稼ぎに出ている。
ギータとオウムを思い出しなが
30年前と比べ随分と様相が
変わったネパールだが、全く
変わらないところもあるよなと
考えたのであった。
