あの祖父との思い出から少し時間が経ち、中学生になった私は、家や祖父の家ではなく、外で落ち着ける居場所を探すようになりました
※この話から思春期シリーズに入ります
幼少期シリーズ⑥はコチラ↓
今回は、そんな私が外で見つけた居場所の話です。
●居場所を探して
私たちの世代は「最後のヤンキー世代」と呼ばれていました
「不良=カッコいい」という空気がまだ少し残っていて、何歳か上の先輩たちは本当に尖っていました。
ただ、私たちの時代になると少し穏やかにはなっていましたが教師は竹刀を手に威張り、暴れる生徒が多かったのも事実です。
今ではビックリする光景が当時は当たり前のようにありました
中学に入ると、普通だった子達が急にとがりはじめ、つるんで誰かを見下すようになりました。
私も最初こそ戸惑っていましたが――家に帰りたくない一心で、たまり場に出入りするようになり、次第に学校にも行かなくなっていきました。
別に「不良になりたい」わけじゃなかった。
私はただ、自分を受け入れてくれる居場所が欲しかっただけなんです。
●先輩たちとの関わり
あの場は上下関係が厳しく、先輩の言うことは絶対でした。
「やれ」と言われれば従わなければいけません。でも私はどうしてもやりたくないことは、したくなかったんです。
そのせいで「生意気だ」「いきがっている」と言われ、痛い目に遭うこともありました。
そのうち先輩たちから
「お前は住む場所が違う」
「ここはお前みたいなヤツが来る場所じゃない」と言われるようになりました。
中には顔を見るたびに「そろそろ家に帰れ」と言ってくれる先輩もいて…不思議と、それは私を守ってくれているように感じていました。
だから私は群れずに、一匹狼としていられたのかもしれません
たぶん、嫌われていたわけじゃなかったと思うんです。
もしそうなら、そもそもたまり場に入ることすら許されなかったはずだから…
今振り返ると、自分たちが諦めた道を、私には歩ませたかったのかもしれません。
もしかしたら……
美化しすぎかもしれないけれど……
先輩たちは、見た目や態度は荒っぽくても、本当は繊細で、人を簡単には信じない分、相手をよく見ていたと思います。
私もそうでしたから……
だからこそ、表面上はキツくても、いびつながら優しさがありました
先輩たちもまた、ただ逆らうために不良をしていたわけじゃない。
――私と同じで、居場所がなかっただけだと思うんです
●自分の決意
見た目や出入り先だけで、周囲の人たちは私を「不良」だと決めつけていました
当時の私は若さゆえの自分ルールがありました
・「自分たちと関係のない人には迷惑をかけない」
・「売られたケンカしか買わない」
・「人の道は外れない」
・「やられなければ手を出さない」
・「つるんでしか強がれないヤツにはならない」
・「長いものに巻かれない」
・「されて嫌なことはしない」
――これはカッコつけとか強がりじゃなくて、
当時私が必死で生き延びるために決めたルールでした。
若さゆえに必死で作った自分ルール。
今思えば青くさいこだわり
……だけど、今も私の生き方の土台になっています。
そして、そのルール以外にも譲れない思いがありました
・高校だけは卒業しなくてはいけない
・自殺してはいてけない
この2つは、幼い頃から私の中で生きるための「掟」のような強い感覚で刻まれていました 祖父の家が思い浮かぶので祖父に言われていたのかも知れません
だからこそ、私は自分を見失わずにいられたんだと思います。
●今につながるもの
あの場所での時間は、決して楽ではなかったけれど、当時の私にとって、かけがえのない「居場所」でした。
確かに私は運が良かったのかもしれません。
でも、それだけじゃなかった……あの居場所を守るために、必死で線を引き、時には衝突もしながら過ごしてきたんです。
流されたり、壊れてしまった子もたくさんいたからこそ、あの頃を「運が良かった」の一言で片付けたくはないんです。
もしあの時、どこにも居場所がなかったら……そう思うと、居場所があることは決して当たり前ではないんだなぁと、改めて感じます
あの頃は、ただただ必死でした。
でも振り返ると、その必死さが私の「強さの芽」になり、今の土台を作ってくれたのだと思います
なんだか長くなっちゃいました。私にとって大切な話なので、つい熱く語ってしまいました。
読んでくれてありがとうございます!
次は、このブログを書いていてふと思い出した、小学校の先生とのお話です。
当時辛かった私に、そっと救いの手をのばしてくれた先生でした
カバー画像:けばなせ(イラストAC)