本日7月17日は、一粒万倍日&大安(&九星氣学で本命星が一白・四緑・七赤の方は線路日)です🌾✨
地元である愛知県西尾市に戻ってから、昨年9月に(週5フルタイムで大学勤務しながらもw)開講し始めたヨガクラスも、おかげさまで40回を超えて実施できております。
毎週通ってくださるみなさまがいて下さることに改めて心より感謝申し上げます。
決して当たり前ではない環境で、私自身にとっても救いと励み、成長と共に楽しめる場(機会)をいただけていることが有り難く思います。
ヨガクラスでは呼吸法と瞑想を取り入れながらポーズやフロー(太陽礼拝や月礼拝)で心身のバランスをととのえることに重きを置いて行なっておりますが、クラス内の限られる時間ではなかなか小話もできないのでw、こちらのブログやInstagramでは主に精神や哲学について湧き上がるままに綴っております。
どちらの方が大事と比較するわけではないですが、根本や本質を考えると、やはり大事なのは一人ひとりの意識や精神性、哲学だと思っておりますので、こちらで毎度長文を書かせていただきますこと、どうかお許しください。
(多くの方に伝わらなくても、読んでいただける方だけに少しでも届くようでしたら本望と思っております。)
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『ヨーガ 本質と実践』(シヴァーナンダ・ヨーガ・センタ―編)での冒頭で、「人間のからだは自動車にたとえることができる」(by ヴィシュヌ・デヴァナンダ氏)と述べられています。
①潤滑装置=アーサナ(ポーズ):からだに油をさして滑らかにする⇒筋肉・関節の動きがスムーズになり、内臓全体の調子が整い、血行も良くなる。⇒肉体の苦をコントロールする。
②冷却装置=リラクゼーション:からだを冷ます
③電流=プラーナーヤーマ(呼吸法):プラーナ(氣)を増やす。⇒心の苦をコントロールする。
④燃料=食物・水・空気
⑤賢いドライバー=瞑想:心を鎮め、肉体をコントロールするすべを身につける。⇒自分が誰なのか(何者なのか、何のために生まれてきたのか・何故からだをもって生きているのか)真実の理解にいたれる。⇒肉体を超越し、永遠の真我を見いだす。
「内なるやすらぎを覗き見る時が訪れる」=「真我の実現」
(引用まとめ終了)
【ヨガ(ヨーガ)】という言葉の語源は、「つなぐ」という意のサンスクリット語から来ています。
上記の5つ全てはつながっており、どれか一つでも欠けては真のヨガは成り立たない(真我に至ることはできない)のだと思います。
(ポーズだけを行うヨガプログラムが悪いと言っているわけではありませんが。)
ご自身の【からだと心をつなぐ】、【からだの動き(アーサナ)と呼吸をつなぐ】ことでもあり、人と比べて行うものではないからこそ、【今この瞬間の自分】に向き合うこともできます(向き合わざるを得なくなるというべきでしょうか)。
ある種、”孤”/“個”と向き合うことは決して簡単なことではないですし、時に痛みも苦しみも伴うことですが、それをある程度続けると、自然とマインドフルネスや瞑想をしているような状態になり、ある時ふっと抜ける瞬間があります。
比べる対象がいないから楽になれるというか…。
それが真の俯瞰であり、ノンデュアリティ≒ワンネス・三昧・悟りの境地に近づくということなのだと思います。
また、【産霊・ムスヒ(結び)】とは、神道における観念で、ものを生み出し、つくり出す力。
「産(むす)」=生じる、「霊(ひ)」=神霊の神秘的な働きという意です。
0から1を生み出すとはとても神聖な行為。だからこそ、人智の及ばない深淵と繋がることもあります。
人と人との出逢いは縁で”結ばれ”、紡いだ糸で編み出した着物は帯を”結ぶ”♾️
結びつくことによって、神霊の力がはたらき、万物は生み出され、生成発展し、完成されます。
神道に基づくこういう日本人の精神性を大切にし続けたいと心から思います🇯🇵
そして私自身にとっても、ヨガを通じて数名が集まってくださり、人との繋がり・ご縁を感じられること、
また、こういう文を綴り始めると度々ある種の"ゾーン"に入っているかのようにいつの間にか完成していることもあり、不思議なことに後々自分自身が自分の文に励まされていることが、大きな喜びでもあります。
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今の混沌とした時代は、かつてない過渡期だと思っております。
7月7日の東京都知事選と選挙期間をきっかけに(私は都民ではないですが)、応援しておりました候補者の方が命懸けで伝え発信し続けてくださっていたことで、勇気をいただき、もはや私は伝える・発信することが一切怖くなくなったので最近はSNSで明言していますが、これは、直感+あーでもないこーでもないと色々と考えた挙句の、自分自身がどう生きるかという意思表示でもあります。(影響力がないのをいいことに自由に発言できるというのもあります。w)
こういう生まれもった敏感な性質などがあるからこそ、逆張りかもしれないですが、私にできることがあるかもしれないと、以前より少し自分のことを肯定的に思えるようになってきた故でもあります。
どうせ声を上げた所で無駄だろうと諦めていた時期はもう過ぎました。w
かのキング牧師は、「最も悲劇的で罪なのは、善人の沈黙と無関心である」という言葉を残しました。
まず知ること、知ろうとする姿勢から、平和への一歩は進みます。
“Nothing in all the world is more dangerous than sincere ignorance and conscientious stupidity.”
“The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.”
- Martin Luther King, Jr.
真実を知ってしまった以上、一度歩み始めてしまった以上、もう後には退けません。退路もありません。人様にこうあるべきという姿勢を求めるつもりはないですが、私自身は、ほのぼのと何もせずにはいられないですし、知っていながら沈黙を貫くことはできません。
不治の病などにかかっているわけではないですが、病院や整体の先生にもその身体で普通に生きているのが不思議なくらいと言われるほどなのでw、悲観的な意味合いや命を蔑ろにするわけでは決してないですが、いつ最期を迎えるかなんて分からないですし、命はそんなに長くはない、と思っています。
それなら、変化に波乗りするように、最期まで命を燃やし尽くし、「命に花」を咲かせる覚悟です。
生まれ育った美しい日本を守るため、私たち一人ひとりの人権と自由を守るため、神道やアニミズム・和の心・自然を愛する心を日本人のみなさんが取り戻し、日本という国が新たに甦るために…
そういうものを庶民から略奪したり売国したりしようとしている存在には、立ち向かい、微力ながら闘います。
こんな小さな行動に意味があるか分からないですが、繋がりとご縁が呼び起こす奇跡のようなものを信じています。
色々書きましたが、常にこんなに力んでるわけではないです。(ヨガインストラクターとして交感神経バリバリですとさすがに良くないですしw)
世の中の色んな事に怒りや憤りは感じつつ、内省・内観し、楽しいことやちょっとした幸せを感じられることや喜びを選択するようには心がけております。
大森元貴さんが昨夜のインスタライブで仰っていたお言葉を拝借すると、「心がヘルシーでいられて、エネルギーになるような」生き方が本当に大切なのだと心から思います。
こんなことを書きながら矛盾しているかもしれませんが、理屈ではなく、現実にどう生きるかが全てだと思っています。
私自身はインストラクターとして、ヨガクラスに参加してくださる方お一人おひとりのからだと呼吸と心がととのい、心身健康でいられるためのお手伝いができればという一心で、これからもヨガを届けてまいります。
いつもありがとうございます。
【小話①】
写真は昨日訪れた「林泉寺」カフェさんで出逢った蓮の花。
7月12日~16日までは七十二候の「蓮始開」(はすはじめてひらく)の時期でした🪷
夏の夜明けに合わせて蓮の花がひっそりと開く頃。
泥の中でも神々しい花を咲かせる蓮は「天上の花」、「清浄無比の花」とも呼ばれ、慈悲の象徴でもあります。
玲瓏たる露の雫を宿す葉や蕾、神秘的な花に心を向け、静寂のなかで研ぎ澄ませたいものです🧘♀️
【小話②】
「気」の旧字は「氣」。
“气”は、自分の息や生命力のこと。
“米”は、光が八方に広がっていく様子を表しているといわれます。日本には穀霊(こくれい)や稲魂(いなだま)という言葉があり、米の一粒ひとつぶに精霊が宿っていると考えられてきました🌾
エネルギーや呼吸をしめ(〆)ることなく、誰かや何かにしめ(締め・閉め・絞め・湿・緊め・占め)られることなく、伸び伸び自由な精神が広がる・拡げられるような世界でありますように。