「大掃除の日に休みを取るなんて、彼は確信犯だね」
こんな言い方をしたことがありませんか?
「確信犯」という言葉を、皆さんはどう捉えているでしょうか。
1.悪いと知っていながらやったこと
2.正しいと信じてやったこと
上の例文は「1」の意味で「確信犯」を使っている典型的な例といえるでしょう。
ところが、この「確信犯」の意味は本来誤りです。
もともとの「確信犯」の意味は「2」で、「政治的・宗教的等の信念に基づいて正しいと信じてなされる行為・犯罪」のことを指します。
平成14年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」では、「確信犯」の意味を「1」と答えた人は57.6%、「2」と答えた人は16.4%となっています。
本来は誤りとされる使い方をする人が、すでに半数を上回っているのですね。
「1」の意味で「確信犯」を使った場合、二重の意味で誤用といえます。
間違いの1点目は、そもそも行為をした本人が「悪いと分かっている」と解釈していることです。
本来は「正しいと信じてやったこと」に使う言葉なので、逆の意味に捉えていることが分かります。
2点目の間違いは、本来なら「政治的・宗教的」とあるように、重要な信念について言及する際に使われることです。
「大掃除の日にわざと休む」のような、ささいな出来事に使う言葉ではないのですね。
なぜこのような「確信犯」の誤用が広まっているのでしょうか。
おそらく、「犯」という言葉の捉え方に幅があることがその一因でしょう。
「犯」は「犯罪」のように重大な物事について使う言葉ですが、大掃除をサボったことのようにちょっとした出来事も大げさに言うことで、「悪いと知っていながらやるなんて、悪いやつだ」という意味を強調する効果があったと考えられます。
大げさな表現をあえて選んで使う人が増えていくうちに、いつしか「確信犯」の意味そのものが変容していった可能性があります。
日常生活で「政治的・宗教的」な信念にもとづいて行動するような場面はめったにない人が大半のはずです。
そのため、例文で挙げた「大掃除をサボった」のような日常的な出来事に転用することが増えていったのではないでしょうか。
使われなくなっていく言葉は、廃れて忘れられていくか、もしくは「確信犯」のように別の意味合いで使われるようになります。
本来の意味とはちがうと知っていながら、コミュニケーションを円滑に進めるためにあえて「確信犯」という言葉を使っている人もいるはずです。
これはある意味、言葉の誤用を認めつつ受け入れていく「確信犯」なのかもしれません。