アメリカのガソリンスタンドの車の中で、母親が2発、そして7歳の娘が7発打たれて2人とも助かった。


6mm口径銃を持って襲撃したのは母親の元恋人。


恐らく別れたことを根に持って、母親を殺したに来た。


だけど車の中で母親が2発打たれて、娘が飛び出したらしい。




「お母さんを傷つけないで」




その子は主に胸から上を7発打たれた。


男は子どもが飛び出してきても、躊躇せずに引鉄を引いたらしい。


警察がその後来て、二人と友人をガソリンスタンドから救い出して男は拘留された。


女の子は一生負うであろう目の障害や、恐らく字がかけなくなると言う診断を受けたが命は取り留めた。


ニコニコして写真に写っている。






全米でこの「天使」の奇跡が美談として新聞を飾っているらしい。








さて、これは美談か?


この子は美しい子だと思う。


いくら子どもだからって7歳じゃ既に銃の恐ろしさはわかっているはず。


咄嗟に、という言葉が一番適切だと思う。


多分咄嗟に身体を盾にしてしまった。


そんな女の子に向かって、至近距離で7発をまともに打てる人間。


私はむしろ美談として片付けるより悲劇として真剣に取り上げるべきだと思う。




何故、そんな人間が銃をもっているのか?




人によっては、この母親の交友関係やこんな状況下に娘をおいたことを攻めているらしい。


しかし、狂気と言うものは目に見えないものだし、誰の中に潜んでいるかもわからない。


シングルだったこの母親がたった数ヶ月で別れた男に、まさか殺されようとするとは思うだろうか。


そもそも長く付き合わなかった、この母親は何かを感じたのかもしれない。


だけどとにかく逃げたんだもの。


それにこの男が異常者だったか?いつからそうなったのか?


そんなのは誰にわかるんだろうか。


そしてこの子が恐怖かにおいて身を挺して守るべきだと判断した、そんな母親に問題があるとは思いたくない。


この母親はすくなくとも、良い母親であることには間違いないと思うのだ。




さて、何故こんな事になってしまったのか。


なぜこの子は7歳にして傷跡を負い、痛い手術に耐え、それなのに障害を抱える結果になってしまったのか。


男関係がだらしない母親?


異常者のせい?




私は何よりも、銃のせいだと思う。


人は長い人生の中、どうしたって狂気に取り付かれる瞬間が訪れるのだと思う。


自分はどうしてこんなに辛いのか、あの人間のせいじゃないか?殺してやりたい…


そんな風に思っても皆が皆人を殺すわけじゃない。


それは理性が働いたり、恐ろしかったりするからだと思う。




けれど、その時手元に銃があったら?


そして、目の前にその人間がいたら?


いとも簡単な事に思えるのではないだろうか。




人は最も恐ろしい創造物だ。


そしてその人が作り出した最も恐ろしいものは、武器だと思う。


美談じゃないのだ。


これは全米で銃規制について再考するチャンスでは?


護身としての銃…はいるのだろうか。


攻撃が最大の防御と思う人間が、護身用の銃を所持していたら?




この話を受けて、銃規制が強化され国から銃が消えていく。


そうなれば、私はようやく美談だと思う。
今日は一日有休をとって、二つの母校をめぐるのだ。


英語の卒業証明書が恐らく必要だから…、半分口実みたいなものなんだけど何故今日かと言うと。。


水曜日は合唱団の練習がある日だから!




合唱団にはもう私と一緒に歌っていた子はあまりいなくて、一番かわいがっていた子も4月で高校三年生。


それでも、母校が既に母校と思えない私にとって、自分の存在を感じられる場所は合唱団。


合唱団は執念と涙と妬み謗り、僻みに嫉み、しかし笑顔と愛情が混在する場所だった。


家庭環境があまり良くなかった私が、一応全うに育ったのは合唱に命かけてたから。


ただ、合唱と言うか、私はうまく言えば芸術に昇華する為、単純に言えばストレス発散の為自分の歌唱力を磨くのに恐ろしいほど打ち込んでいた。


多分後にも先にもこんなに努力したのはこれだけかな。




しかし合唱には何かの浄化の力が働いていると、やっぱり今でも信じている。[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=dQg-3wkzJ3s&rel=1]
ああ久しぶりにいい映画を観た。




昨日観てきたテラビシアにかける橋は文句なしでした。


あの感動…は多分八月のメモワール以来かな。


中学生の時ゆる~い部活イングリッシュ・サークルの活動(?)で、視聴覚室で土曜日には映画を観ていたのだけれど、八月のメモワールを見た時はその場にいた全員が泣いてた。


間違いなく全員が泣いていた。そんなの観たのはそれが最初で最期だったのだけれど、昨日映画館ではまた全員が泣いてた!




単純に言えば子ども時代の葛藤であり、孤独であり、それからいじめだったりして。


そんな中に見つけた友情と築き上げた想像上の隠れ家の話なのだけれど。


もっと平たく言えば「マイ・ガール」の田舎版?


この映画は本当に悪い人って一人もいないんのね。


まず主人公の家族にしたって、彼が家族で浮いているのは姉妹4人に囲まれているから。


母親が彼を構わないのは忙しいから。


父親が彼を構わないのはしっかりして欲しいと期待しているから。


靴を買ってもらえないのは本当にお金がないから。


学校の番長(女の子だけど。。。)にしたって家族に恵まれなくて寂しいから。




いろんな人の小さかったり大きかったりする心の傷を描いた映画だったから、みんなあれほど感動したのかしら。


クライマックスの友人を亡くしたシーン、心の描写がまたリアルだった。


かけがえのない者を亡くしても、それでも人生は続いて行くわけで…。


彼の心の傷の昇華の仕方はまた見事だった。


小さい妹を連れてもう一度テラビシアにやってくる彼。


私は新しい一歩、新しい国の再建と言う雰囲気でよいと思った。
週末はなかなか面白かった。


土曜日はそんなつもりなかったのに、ぶり一匹の処理の仕方を学びました。


なぜか祖父母の家に届いた、72cmの寒鰤一匹。そした5はいの烏賊。


「適当に」祖父が解体し終わったところに私がやってきたので…、さしみと味噌漬け、アラ煮にしました。


贅沢…でも大変な仕事だった…。昔の人は偉いわ。




日曜日はマンションの理事会に出てから…久しぶりに映画。


Sweeney Toddを観に行きました。


楽しかったね。


まず驚いたのは日本でのレートって他の国に較べて低い事。


R-18が他国では主流の映画が日本ではR-15ってどうかしら。




Sweeney Toddというミュージカルは割と有名なので私も知っていたし、内容ももちろん知ってた。


けれどここまでリアル…というかシュールというか。淡々と映画にするとは…。


一つだけ確かなのは、この映画を一番正しい形で 、且つシュールに詳細ながらグロテスクさを巧妙に隠して映像化できるのは、Tim Burtonしかいないという事。


昔にもSweeney Toddは映画になったことがあるのだけれど、あれは私は観れなかった。




まあいわゆる「すぷらった」映画?のジャンルにも入ると思う…のだけれど、意外にしっかりとした人間ドラマ。


残念なのは…、あの乞食の女性の正体がなんとなく序盤から見えてしまうことかな。


出てきた途端から、なんとなくこの人鍵をもってるな、と思ってしまう。




それから途中で気づいてしまった事…。


あ!この人は「スネイプ先生」じゃないか!


他にもハリー・ポッターつながりが2人ほどいて。


イギリスって狭い世界ですね。


そのうちマギー・スミスなんかも出てくるんじゃないかと思った。




さて単純に映画の中身に触れるのであれば…、感銘を受けたのはそれぞれの歌唱力の高さ。


Stephen Sondheimの歌って決して歌いやすく出来てるものはなくて、むしろキャラクターやシーンの雰囲気の為にできてる。


だから本当だったらみんな歌手であったほうがいいくらいの映画なんですね、これは。


だけど誰よりも一番難解な歌をこなしているHelena Bonham Carter。彼女には驚きました。


私あの歌歌えないよ、多分。




この映画の中で一番「現実的(むしろ実用的)」な人間であり、一番愛情深い人間。


この人があるから作品が沈み込まないのかな、と思うのだけど。


しかしなぜかいつもから周りしてしまう愛情が悲しい。


Tobbyへの母性の表現は心打たれました。


Tobbyと彼女はこの映画において一番深い情を表すのだけれど、それが故に最後は悲惨すぎる。


女性としてはけっこう共感できるところもあったりして、どうにかならんものかなぁと思う。


私だったら…、火より剃刀がいいなぁ。




ジョニー・デップもうまかった。


キャプテン・ジャック・スパロウの面影は一つもなく、むしろシザーハンズを思い出す面立ちでした。


スネイプ先生との一方的に緊張感がましていくデュエットは素晴らしかった。


お互いに楽器のように絡み合う声が美しくて。


つまりは相性が良い声なんでしょう。




首を掻き切って血がドバーッと言うのがこの映画の趣旨なのだけど、一番感動したのはMrs. Labbettを心配したTobbyが歌うシーンだと思う。


あのシーンが唯一救いのある愛情深いシーンなんですね。


人の感情を暖かいと思えるシーンで、また2人の掛け合いが息が合っていて良い。


しかし愛情を感じているけれどもMrs. Labbettの心はTobbyよりSweeney Toddに向いている。


もしTobbyをより愛していたら?小さな嘘をつかなかったら?


たくさんの間違いとタイミングが起こしてしまった悲しい事件を追っていくのがわかっていると胸が苦しい。


二度目に観る時はまた違う印象なのだろうけれど。




この映画で最も静止画として美しいシーンとして心に残ったのは、妻を抱くSweeney Toddの最期のシーンだと思う。


十字架から降りたキリストを抱く聖母子の絵を意識…したのかな。


そのようにみえるほど美しかった。


そのシーンを見るまでわからなかった答えが一瞬にして全て理解できる。


そう、結局この映画は愛の映画なんです。


Sweeneyから妻への純粋だった愛。


Sweeneyの娘への渇望のような愛。


Mrs. LabbettのSweeneyへの一途で一方的な愛。


TobbyからMrs. Labbettへの無垢で崇める様な愛。


そして若い2人の盲目的な熱い恋に、年老いた男の歪んだ征服愛。


愛とは、恐ろしいものですね。


線がつながれば幸せ、でもつながらなければ?




最期にTim Burtonの存在感。


この映画が比較的観やすくて、それから残忍さよりむしろ物悲しさ、キャラクターの個性的な魅力が心に残るのは、


多分色彩で現実離れした世界を創ってるからだと思う。


ディズニーがメリー・ポピンズを映画にした時、わざと安っぽいセットを創って、現実とは違うミュージカルらしい世界を


観客が堪能できるようにしたらしい。


それに似た表現なのかな。


あくまで鮮やかだけれど、どこか非現実的に空気の色から浮いて見える血液だったり、空気をうごめく煙だったり。


もう…圧巻。


ごちそうさまでした。
生きている限り、たくさんのお別れをしなくてはならない。


それは生きている証拠でもあり、とりわけ若いうちはたくさんそういった事があるのだ。


そんな時、私はなるべく気丈でいたい。




数ある親戚の中で、本当の意味で好きな人は大して多くないものなのだ。


そんな中、実の祖父母と同じくらい愛していた私のハワイのおばあちゃん、ベッツィーがおとといの現時時間で朝2時に永眠しました。


彼女は86歳。いつもニコニコしてて、ちょっと(?)空気よめなくて、時々負けん気があって、ワガママでかわいいコケティッシュな女性でした。


未だに彼女を過去形で語るのはなんだかそぐわない感じ。


そもそもハワイで生きていた日々よりも、なんだか亡くなってからの方が近くにいる気がするのだ。


大切な人が亡くなると、みんなでその人のことをいろいろ思い出す。あんな顔したな~拗ねると、とか。


そういえばあの時あんな事言って…と思ってちょっと笑っちゃったりして。空気にその人が満ちている気がする。




本当に愛している人だけど、私は別れる日が遠くない事は重々承知していた。


だから思いのほかあっさり受け入れられた気がする。


そうか、常夏の島から、常世の国へ旅立っていったのね、と。




彼女は一番幸せなときにこの世を去ったのだから、笑顔で送ってあげないとならないのだ。


泣いたりしたらまたベッツィーは拗ねるからね。


おととし、唯一一緒に日本で女学校に行った経験のある妹のジェーンと死別してご飯が食べられなくなった。


だけど私とレミちゃんが遊びに行ったらプライム・リブを一皿食べたよね。


お昼もちゃんと食べたし。あれは私たちの功績。


先月、3番目の妹のチェリーが心臓発作で倒れた時、びっくりしたね。


毎日ワイキキまで病院に通ったね。だけどもうチェリーはICUから出たよ。


だから、安心して逝ったのかなぁと思う。




日系人として戦争を乗り越えて、両親をなくしたけど妹4人と弟2人を長女としてささえて。


ステキなだんなさんに出会って、息子が2人産まれて。


妹は一人先に行ってしまったけれど、いつもニコニコしていた彼女は絶対今幸せだった。


これ以上生きてたらもっと大切な人を亡くしていたかもしれないね。


早い者勝ちだよ、ベッツィー。




会うたびに、あなたボーイフレンドは?結婚はまだしない?って聞いてたけど、余計なお世話だよ。


でも今度ススムおじさんと話す時その事言っておく。そんな事聞くからにはススムさんとの結婚が幸せだったんだろうから。


それから今度おじさんとお墓に行くときは私がお花を選ぶから心配しないでね。


お墓に行ってもね、「千の風になって」は絶対歌わないから。


私も嫌いだもの。


だけど原詩を読んであげます。これならきっと好きだよ。




こんな時に泣く事もできるし、もう一度会いたかった。どうして今?病気でもなかったのに?と泣く事も出来るけれど…。


私が死んだらあっさり送って欲しいのだ。


最後にいつ会ったって、また会いたかったって思うのでしょう?


それなら最後に会った時を思い出して、笑ってください。




唯一残念なのは、結婚するよって報告できなかった事。


でもね、観に来てね。