私の名前を、ラテン語圏の人が呼ぶと、「怒り」になります。
嫌だなぁ…と思うのでラテン語圏の人には、私の名前はTeresaと言います。
ほんとの名前だし、怒りよりはマシだから。
けれど、名前はほうっておくと一人歩きして違う人格を作ってしまうんですね。
私はたくさんの呼び名を持っているけれど、やっぱり一番合うのは「怒り」と呼ばれる本名かもしれません。
私の心の中では怒りが渦巻いているから。
ここしばらく変動の多い毎日を怒濤のように駆け抜けてきました。
怒濤のように、渦巻く感情を抑えきれずに苦労しています。
心の引き出しが一つ一つ開いていって、とても辛いのです。
ですので、今日は全て吐き出しここに記録を作ります。私の怒りの記録。黒い過去の記録。
そう、暗いです。
私の事をそんなに深く知りたくない人は、読まないでください。それほど暗いです。
日曜日、花貫渓谷で小さな男の子が一人で大きな石を岩肌に向かって投げていました。
6つくらいの男の子がたった一人で。
どうしたのかな?家族は?…と周りを見渡すと、50mほど先に幸せそうな家族がいました。
空の乳母車を引いたお父さん、お母さん、よちよち歩く1歳になったくらいの女の子。
赤ちゃんに両腕を広げる6年生くらいのお姉ちゃんに、5年生くらいのお兄ちゃん。
完璧な絵でした。ほかは入り込めない幸せな絵。
そして石を投げる男の子は、入り込めない小さな弟でした。
その子は石を投げながら、一人遊びに没頭しているふりをします。
だけど家族の姿をのぞき続けて、角を曲がってしまうと急いで走って行きます。
家族の絵を見つけると、また一人でぽつんと石を投げ始める。
その子は家族が名前を呼んでくれるのをまっているんです。
「早く!」でも「何やってるんだよ!」でもいい。気がついてくれるのを待ってる。
だけど誰も来ない。
止まって、走って、止まって、走って。
誰かが気づいてくれるのをずっと待ってる。
ようやく駐車場近くでお兄ちゃんが走ってきて言いました。「来いよ!」
その子は口答えしながらも満面の笑みで走っていきました。
それを見ていて、私は涙が出てきた。
愛されないもの、偏愛を感じているものの気持ちは、自分がそうならない限りわからないものです。
私は痛いほど分かった。
優しい言葉なんかいらないんです。ただ、気づいて欲しい。
拗ねながら、涙を堪え。
怒りながら、待っている。
そんな虚しい独り相撲です。
何年私は続けてきた事か。
うまれた瞬間からあった姉への偏愛。
大人になると気づくものですね、そのあまりの顕著さに。
姉を恨むのはお門違いですが、愛されない妹の心には鬱屈したものが溜まっていくものです。
自分の誕生日を忘れられるたび。
姉の誕生日の数ヶ月前に、彼女が何を欲しいと思うか聞かれるたび。
姉が成人式にバーバリーの鞄をもらったのに、自分には着古した従妹の普段着が来た時。
すべてすべてすべて積もって、それは恨みと怒りの山になるわけです。
そして妹は、「家族」の価値を知らない大人になります。
早く出たい。出たら一切関わるものか。何故「家族」という型であるが故に愛さなければならないのか。
愛されないのに、何故私には愛する事を強いるのか。
私は「分析」する事を習得しています。
いくつのときだったか…。
自分の理解できない感情や出来事を一つ一つ洗い出して、納得いくまで分析するわけです。
毎日のように親に殴られ、詰られ、飛び降りて死ねといわれ、眠っているところ足蹴にされて起こされ…。
そんな生活を生き残ったのは分析する人間だったからでしょうね。
いたって冷静に。いたって落ち着いて私は生きてきました。
しかし今になって私は綻びている。
外に出ようとしているから生じた綻びだけれど、今になって思う。
私は本当に自分をコントロールしていたんでしょうか。
押し込めて感情を持つ人格を殺していただけでは?
24年間生きました。
子どもの頃、家庭が平安だった事はありません。
また、他人に連れ去られ、死の恐怖を身に磨りこまれた記憶は幾ら鍵をかけてしまっても折に触れて襲ってきます。
あの男は逮捕されたんでしょうか。誰も私に伝える人はいませんでした。
前向きに?笑顔で?明るく?
どんな無責任な人間が私にそう言えるんでしょうね。
普段の私は、人が知っている私は、私の一部でしょう。
そういう人間は存在します。
けれどその中にしまいこんだ怒れる人格は誰にも見せない事が思いやりでしょうか。
いつか見返してやりたいと思っています。
私を肉体的に傷つけた人間、精神的に追い詰めた人間、全てを見返してやりたい。
しかし怒りをもってではなく、幸せになることで見返したい。
そうでなければ私は生涯負けたままだから。