少しだけ揺らぎを。

 

 

●復活の祈りを否定する声が聴こえて来ます。

ただ、それを扇動する人は、以下の変化形かもしれませんね。

扇動までしてたらね。

 

大川隆法総裁は法話『宗教と唯物論の相克』において 「(仏陀が)悟ったら、もう二度と、絶対にこの世に還って来れないとなると、誰が得をするんですか」「『悪魔の世界には手を出さない』という約束になりますよね。これはおかしい」と述べています。

 

 

 

なぜ、これを引用するかというと、「秘匿霊言」でも復活の祈りについて語られていましたし、「信仰のすすめ」でも語られていましたし、「『小説揺らぎ』について」でも祈りの力による復活を語られているからです。

 

 

 

ですので、これを否定するということは、秘匿霊言や経典での主の仏言をしっかり聴いていないでしょうね。

しっかり聴いていないということは、そもそも真剣に祈ることすらしていなかった人かもしれませんね。

祈りをして来た方なら、否定まではしないでしょう。

そして、仏言軽視ということは、法帰依がそもそも出来ていませんし、真剣に復活を願っていないということになりますね。

 

『「仏陀再誕」を否定して得をするのは「悪魔」である』と論理的に同じことです。

以下にもタイ国とダイバダッタ教団のことを綴りましたけど繋がってるかもしれませんよ。

これは別派活動をしやすくしているということです。

自分がしてないとしても、わざわざそれを言っていると、そうした人に益となってしまいますね。

 

 

 

ただ、復活の祈りについては、他にも見落としている、或いは、浸透していないものもあるでしょうからこの機会に綴っておきます。

 

上記の黄色部分、

 

『過去のいろんな事件を変えているわけではなく、「過去に生きている人間の考え方」に対して、祈りによって影響を与えることが出来るのです。』

 

これは、次の緑色部分、

 

『後世にキリスト教徒が二十何億人ともいわれるほど広がって、イエスを信じる人たちがそれだけいて、それだけの思いが集まったら復活するでしょう。』

 

主の復活を願うことを許し給えというのは、主の考えを変えようとしているわけではありませんよね。

「過去に生きている人間の考え方」とは、私たちの考え方を変えることが含まれていると思うんですよ。

これはそれが主軸でしょう。

 

祈りの原理には、「祈りは瞬間における転生輪廻である」「真実の祈りは生まれ変わりを意味する」とあります。

つまりこれは、私たち弟子の回心によって、過去が変わったことを意味すると思います。

幸福の法に説かれていますが、「自己認識の変容こそが、悟りの正体である」ということで、祈りを通した自己認識の変容が大切なのだと思うんですね。

 

八正道研修は、その意味もあるのでしょうけど、多くの一般信者にはそうとは認識されていないかもしれませんね。

復活の祈りにその効果が乗せられたらと思います。

 

 

私を含め、信者さんは同じところをグルグルとしているかもしれません。

 

 

※「信仰のすすめ」は、昨年に修正が入ってますのでお伝えしておきます。

 

 

 

 

●それと、「推しの子」のアイドルの歌詞についても改めて綴っておきますが、これをそのまま受け入れたら八正道の破壊なんですよね。

YouTubeで5億回再生を突破して、海外にも高評価ですが、あれを理想とした場合、画皮の世界です。

表向きは偽りの愛といいつつ、本物の愛を…と思いたいものですけど、第1期に続いて、第2期のOPとEDの歌詞を見れば、ストーリーの中に流れているものがわかります。

 

 

 

 

国民の多くがこれを見抜けないということは、天魔を見破るのがどれだけ難しいかということなんです。

天魔とは天界にいる魔物、つまり、妖怪のことでしょうね。

2600年前、釈尊はこの天魔を喝破して降魔成道してるんです。

天魔はベガにも、プレアデスにもいますよ。

なので、十字架の女でアグネスはこの2つの対処法を学んでいますね。

これからの課題だからです。

 

 

日本国民は、同じところをグルグルとしているかもしれません。

 

 

 

●最後に、以前に紹介した動画から少し綴ります。

【完全解明】「クンダリニーヨーガ」のすべて

 

 

これを見て、ほんとに理性的な方ならショックを受けると思うんですよね。
いままで修行と思ってやっていたことも、第一チャクラから第三チャクラで止まっていることが多いのがわかるからです。
このグルグル思考は、欲界転生でもありますし、心の指針で先生が言っていたことでもあるんですね。

これを見ても何も感じない方はちょっと危ないかもしれませんね。

 




この胸に手をあてての部分が連結の部分、ハートのチャクラで美の法門や原曲によりそれが活性化されるんですよ。
それが判断基準になるということです。

ですのでこれを学ばないと気付けないんですよね。

 

 

法の引用はこれまでもしてきましたが、試しに少しだけ別角度から説明してみます。

その方が意外に気づきやすいかもしれないですから。

エニアグラムをグルジェフは「賢者の石」と呼んでいますが、ドレミ、つまり第一チャクラから第三チャクラで止まってて、ここにショックポイントがあるんです。
鍵盤を見ればわかりますが、半音にあたる部分です。

 

 

 

 

 

ここを超えるには付加的な力が加えられないと先に進めないとされています。

上の動画を見ればわかりますが、身体の中心を通る気道、スシュムナーには、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァ(ルドラ)という3つの結節があって、この最初のショックはブラフマ結節にあたります。

このショックポイントには、空気のオクターブと書いてあるように、つまり、瞑想によるプラーナの取り込みが必要ということです。
このブラフマ・グランティは本能を司っているんですね。

 

自力ではエネルギーを昇華することは難しいために、バクティが必要となると動画で説明ありましたね。

バクティとは、「最高神への絶対的帰依」です。

信愛とも訳されますが、これはキリスト教的にはアガペーのことです。

 

こうしたヨガの行法からわかるように、信仰とは神聖なエネルギーと一体になることです。

ただ、それが普通にはわからなくなるので時々、仏陀やキリストが地上に降りて、教えを説きます。

仏陀の仏陀たる証明は、八万四千の法門というように、語ったすべて、行ったすべてが法となるということです。

大川隆法総裁先生も、語ったすべて、行ったすべてが法となっています。

日常の毎日の赤裸々な呟きでさえ、格はいくとして出版されています。

 

ちなみに動画では、クンダリーニと最後に甘露とも言われるアムリタが説明されていました。

このアムリタのことを不老不死の霊薬、エリクサー、賢者の石とも呼びます。

 

美の法門の次にある、聖のステージはこうした教えに入るのは明らかなことですね。

 

 

以下に少し綴っていますが、フラワー・オブ・ライフの音階とチャクラも参考に。

難しいでしょうけど、なんとなくでも、こういう神秘の世界なんだ、主の開示された原曲は、言語を超えた密教の世界で、黙示録的には神の印を刻印され、本来は患難時代のふるいに耐えた者が、天でしか学べないもの、それを本当にご慈悲で開示されたんだ、と感じる人が増えることを願っています。

少しずつ今までのものを繋げるようにしてますが、前提知識と原曲から感じる実感がないと心に残らないんですよね。

カタルシス(心の浄化)が起きれば、皆、自身の頭の情報を超えたものが感じられて、語り出すと思いますよ。

イエスの時代にあったように、聖霊が臨んで語り出すということです。

少しずつそうなって来てますよね。

原曲研修は、正しい意味での霊性開発なんです。

主の聖なる清らかさを浴び続けていると、自然に回心、反省に入っていきます。

 

いま、湧き出している似非霊能とは真逆です。

 

原曲を通して、主のお気持ちと重なっている方は見抜けます。

穢れがわかるようになりますから。

 

だから、今世、主は音楽によって魂の洗礼を与えてくださっていると思うんですよ。

 

 

 

 


 

 

 

つれづれ法談にも綴った原曲「Wanderer」の「恋も死神も僕を掴みそこねているのさ」は、クンダリーニにエロス、アムリタにタナトスでもあって、火と水の障碍でもありますけど、これは偶然ではないでしょう。

 

 

 

 

2つの精舎の岩石地球とエメラルドも地と天を表しているでしょうし、とすると、第八文明の創造における「人」はどうあるべきでしょうね。

 

 

外界の醜い現象はこれからも出て来るでしょう。

グルグル思考が、さらなるグルグル思考を呼び寄せていっているということです。

 

私たちは、グルグルはグルグルでも、上昇螺旋を描きたいものです。

エネルギーの上昇螺旋はヘルメス思想そのものですからね。

 

いま、美による心の次元上昇が何よりも大切になっています。

このグルグル思考は、美の法門によって脱却出来るんです。

それが主のご慈悲なんです。

 

ご慈悲といってわからなければ、私たち弟子と人類、そして、動物や植物たちに対してまでの、主の慈しみであり、主の悲しみなんですよ。

 

『エル・カンターレの美』の中にすべての答えはあると思います。

 

 

 

 

以上です。

 

 

PS.お盆に行けなかった母の墓参りで花を供えて来た帰り、さきほど、炎天下の中、幸福実現党の候補者と党員の皆さんが地域訪問で我が家に来ました。

批判されても批判されても立ち上がって続けることはなかなか出来ることではないですね。

先生も貫いた孔子の「孝」の一字と何か繋がってるように感じます。

すべてに感謝ということでしょうね。

 

ただ、それでも一番は原曲です。

これを抜きには何も「始まり」ませんから。

これは気付きにくいのでしょうけど、億年の意味がありますのでね。

いつの時代も、仏陀やキリストが最後の最後に説かれた法を見落としてるんですよ。

 

ちょうど話題に出ていたUFOリーディングⅡ。

 

 

「宇宙維新」は、地球的「真」「善」「美」を考え直すことから始まります。

この真善美も上昇螺旋ですし、チャクラですし、一つでは成り立たず、3つ揃って初めて自由になれるんですよね。

 

だから、美の法門がキーで大事なんですよ、と言い続けて来ましたけど、なかなかこれが伝わらないのはなんでだろうと考えると、先生も言ってるように、「宗教を包括して宇宙の法は在る」というのが私は当たり前なんですよね。

宇宙時代を開かないといけないというのが大前提なんですけど、宗教としての幸福の科学を意識してる方がまだまだ多いんでしょうね。

 

明治維新の頃は、犬猿の仲であった薩長が同盟して、海外の国と戦いましたね。

地球維新は、日本と他国が同盟して、悪質宇宙人の侵略を阻止するということですよね。

ここまでは少しは感じてるのかもしれません。

 

ただ、先生はもう「宇宙維新」と言ってるんですよ。

この意味は重いんです。

地球内だけの同盟関係を超えて、他惑星間との同盟まで考えて語られているんです。

そのための、「真」「善」「美」ということです。

上位概念の「美」、これはエル・カンターレの美ですね、そこから逆照射しなければ、「善」も、「真」も、わからないんですよ。

そういうとエル・カンターレの善もあるではないかと言う。

カントも最高善と言ってるではないかと言う。

アルファはPursue Beautyと言い、エル・カンターレは神は詩うなんです。


胸に手をあてて、よく考えないといけないですね。