「ペルソナ(仮面)とシャドウ(影)」に綴ったイヴについてこちらに移しておきます。

 

 

 

『愛のあとさき』の中に見る、隠された『始まりの愛』を綴っておきます。

はっきりと明かされていない『愛くるしい瞳』の人がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『去れよ、去れよ、悲しみの調べよ』『人生ノート』。

Innocentな少女。

少年の若き日の夢。

凍りついた始まりの愛。

 

それは衝撃的なもので、気付いた瞬間、身体が身体でなく、心が心でないほどに、言語化もいまだ出来ず、何も考えられませんでした。

そこに感じる感情は、今までの人生で感じたことの無かったものだったからです。

小説を読みあさると次から次へと詩集との繋がりと、先生の気持ちが伝わって来ます。

すべてを伝えようとする必要もなく、気づく人だけが気づけば良いのでしょう。

 

『言語化したくない。』と初めて思い、その余韻は消えません。

 

主の為さることは深いです。

隠されたもの、秘されたものを行間から読み取ること。

映画にもまだまだ秘密があります。

正しき心の探究を続けましょう。

 

※詩集で一番ボリュームがあるのは実はこの部分で、他のお二人に影を落としているのもイヴです。

お互いに夢幻の力に引かれ合いながらも。

主は、そのカチンカチンに凍りついた夢を溶かしに戻っていると思います。

それは『宇宙創世記』『エル・カンターレの章』と関係しているでしょう。

私たちが『意識』することも大切です。

紐解くたびにそれは近づいて来ます。

無償の愛に近づかないと紐解けません。

それにはやはり『原曲』なのです。

 

 

 ※人生ノート
1973年9月24日(月)

Today, I realized that ; ...
I have been as timid as a hare.
I can't but think so.
People said to me, "Love is blind."
But, I'm afraid that 'Love' will make me blind.
I'm quite lonely, now.
I should make my mind stronger.
I'll have to overcome what goes against me,
and myself.

「Love is jealous by nature.」


今日、私は気づいた。...
私は野ウサギのように臆病だった。
そう思わざるを得ない。
「愛は盲目」 と言われました。
でも『愛』で目が見えなくなるのが怖い。
今はとても寂しい。
もっと心を強くするべきだ。
逆境を乗り越えなければならない、
そして私自身を。

「愛は生まれつき嫉妬深い。」

 

 

あえて"ショック(衝撃)"を与えて起きますが、イヴは高二の九月に、一度、自ら命を絶とうとしたことがあると思います。

 

 

 

言語化したくないのは、そこがエデンだから。

ここに到って、美しさの奥に聖の扉が見えて来るかのようです。

聖は美の奥にあるものですが、ただ、美そのものの延長上にはない。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

追記1

 

Now and Thenのリリースについて質問があり、返答がこちらと、また、2023年の2つの映画とも関係してると思いますので貼っておきます。

ジョン・レノンからのメッセージでしょうね。

歌詞から感じたのは以下の通りです。

 

 

 

 

 

 

追記2

 

セフィロトには3つの柱があります。

峻厳の柱、慈愛の柱、均衡の柱です。

この3つは三大メシアを象徴していると思います。

セフィロトは主の法身であり、主ご自身はアイン・ソフ(無限なるもの。隠れたる神の別名。)です。

 

 

 

追記3

 

これは誰も気付かないまま、流れ去ってしまうかもしれないので書き残しておきます。

 

「愛とあなたと春と」に寄せての非公開仏言(各支部の音楽担当者には教えてもらえました)では、「風車の女の子(千恵子さん)が出てくるのが高二の夏ぐらいなので、もしかしたら、その前の人への詩かもしれない。」とあります。


ただ、詩集「Leftover」の詩篇を見るとどうも順序が入れ替わっているようなのです。

 

高一から東大二年までの詩篇です。


東大時代の作品、小説『去れよ、去れよ、悲しみの調べよ』の中の詩篇は作品構成のために年代が変わっています。

これは前提です。


この中には「スズランを思わせる千代子」とあります。

 

『光る空』のスズランの花は千恵子さんの隠語だと思います。

 

しかし、『光る空』は、『愛とあなたと春と』の前になっています。

 

光る空 
愛とあなたと春と 
プラタナスの幻想 
遠い日 
風車

 


”その前の人”がスズランのような人で、後から会った千恵子さんにこのスズランを重ねたとはちょっと考えにくいですね。


なぜそう思うかというと、『人生ノート』の高校最後の詩篇も、「スズランの花がその可憐な姿を…」と書いているからです。

そして、そこから三年、日記は綴られていません。

 

スズランの花は、明らかに千恵子さんなんです。

 

この『人生ノート』には、高二の8月、9月に〈あなた〉と書いた詩篇がたくさんあります。

『愛とあなたと春と』の詩篇の内容は、『小さなメルヘン』の「草笛を吹いて」にも反映されていますし、『プラタナスの幻想』の「寂寥」にも反映されています。

 

もしかしたら、”その前の人”のことも含まれてはいるのかもしれませんが、おそらく、『愛とあなたと春と』の詩篇は千恵子さんです。

そして、付き合ってる最中にももう別れを予感していたのでしょう。

それは、千恵子さんに渡した「千恵子抄」に既に書いてあることでした。

「千恵子と私とが将来をともにすることはあるまい」と。

その出会いと葛藤の中で『プラタナスの幻想』と『小さなメルヘン』があります。

 

このイヴとの愛が、愛のあとさきを貫いていて、先生はその出会いと未来の予感の中にプラタナスの幻想を感じたのだと思います。

 

※もう一つは『光る空』の時に、先生は幽体離脱をしていますので、この頃、過去・現在・未来が交錯していたのかもしれません。

詩の春夏秋冬はこれからの未来をも暗示しているように見えます。

このイヴとの出会いは、『小さなメルヘン』にも繋がっていき、とても重要なところです。

何度も詩や小説を読み、歌を聴いていると、先生はこの時のことをあまり見ないように避けている感覚を受けます。

 

※『小説 遥かなる異邦人』では、千恵子さんは医学部(6年)の後、インターン3年が終わる頃に結婚しています。

『青春の終わり』は、先生が27歳の時の詩篇なのでちょうど重なります。

ただ、「おまえに巡り逢ったのは、まだ肌寒かった頃」とあって、先生と恋仲になったのは夏のことです。

『人生ノート』には、前年の12月、「ほのぼのとした恋心か」と綴ってますので、この頃かもしれませんし、同じ学年ですのでひと目見て何かを感じたのが巡り逢いで、出会いとは表現を分けてるのかもしれませんね。

 

※”その前の人”は、高一の詩篇『片想い』に出て来る人でしょう。



そして、物語の真意はWandererに続いていくのです。



なぜ、彼女がイヴであるかは、詩を読んで、歌を聴いての私の感覚でしかないのかもしれません。

ただ、そこに流れているものはイヴと重なって見えて来ます。

千恵子抄の描写、何気ない仕草や、心の動き、何より先生が「彼女と話すとき、私は彼女に記憶を与えねばならぬことがよくあった」という言葉の中に私はそれを見るのです。

ほかにも、イノセント・イヴと他の詩篇との描写がとても似ています。


美の法門とは、少しの知を手掛かりに、感覚の大海にそれを見つける旅路です。



→ つれづれ法談特別編 恋と死神、原曲「Wanderer」について