皆さま、こんにちは。
税理士・公認会計士(船戸明)の「本業ブログ」にようこそ。
昨年7月に、とあるカメラを買いました。以来、外出の都度、とは言えないまでも、可能な限りカメラを持ち歩くようにしています。
いくつもの発見があったのですが、何より大きいのは、「今までいかにたくさんのことを見逃していたか」と気がついた点でしょう。雨上がりの花に光る水滴、うっそうとした森の中に射す光、木々に積もった雪が2度目の雪となって舞ってくる様子、などなど。
カメラを持ったことで気づかされた視点ですが、では、気づいた後もカメラが必要なのか。昨日、ハッとさせられる詩に出会いました。
茨木のり子さん(1926-2006)の詩集は2冊持っています。エッセイも1冊読みました。いくつも心に留まっている詩や文章があるのですが、「私のカメラ」という詩に出会ったのは今回が初めて。
「「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」詩人・茨木のり子 現代に響く魅力」というタイトルの記事で、おそらくNHK『クローズアップ現代』のディレクターが書いた文章を読んだのです。「何をよりどころとしたらよいのか不透明なコロナ禍、私(ディレクター)の支えとなったのが16年前に亡くなった詩人・茨木のり子さんの作品です」(2022年1月12日公開、2024年3月22日更新、NHK)。
その中で紹介された「私のカメラ」という詩の一節がこちらです。
眼
それは レンズ
まばたき
それは わたしの シャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だから わたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ?わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
(中略)
世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ
何に驚いたかと言えば、数日前、まばたきのことを考えていたから。目でものを見る仕組みを再現しようとしているのがカメラで、網膜がセンサー、虹彩が絞り、水晶体がレンズでしょう。だったら、まぶたがシャッターで、まばたきしたら写真になるような技術が将来開発されたりして、と妄想していたのでした。
一方で、茨木さんには「自分の感受性くらい」という代表的な詩もあります。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
カメラを持つ。写真を撮る。それがどういう行為なのか。特に今はデジタルカメラなので、安易に1枚が撮れてしまいます。写真家の大竹英洋さんが『そして、ぼくは旅に出た。』(文春文庫)の中で、尊敬する写真家であるジム・ブランデンバーグさんの「秋分の日から冬至の日までの九〇日間、一日に一枚しか写真を撮らない」プロジェクトを紹介していました。
プロの写真家ではありませんが、税理士という専門家に重ねて考えれば、その場に向き合うのは常に一度限りのこと。自分ができることを100%出しているか。自問自答する意識を持ち続けていたいと考えています。
【お知らせ】-------------------------------------
日刊「早起き税理士のスポーツ観戦記」配信中!
→ https://www.mag2.com/m/0001147393.html
週刊「週刊経理便」配信中!
→ https://www.mag2.com/m/0001689556.html
船戸明会計事務所ホームページ 更新中!
→ http://asayoji.fan.coocan.jp