自分に向けた手紙も一年ぶり。

前半はとても長く感じたが、後半は割とあっという間だった気がする。
充実しているのか、それとも変化がなくなったのかはわからない。

と言いながらも、大きな変化を迎えた時期である。

仕事が三年目になった。
それはどーでもいい。

一番は実家を出たことだ。
学生の時から一人暮らしをしている様な人からしてみれば何てことはないことだが、生まれてからずーっと実家にいて、ろくに家事もしなかったような人間にし てみれば大きな変化、成長と言っても過言ではないだろう。
人間、追い込まれれば何とかなるものである。

思い立ってから実行するまでのスピード(実行力?)は素晴らしいものがあった。
ずーっと慎重派であったのが嘘の様だった。
今はまた戻った感があるな。


一瞬でも早く実家を出たかった。
ある本に触発されたということもあるだろう。
自分に今欠けているものは何か?という問いを繰り返した結果、こうなった。


それで人生は変わったか?
そんなに変わってないか?
今の生活に満足か?


毎日自分に問いかけている。
答えはいつも違う。

ある啓発系の教えを実践している。
少しずつ進んでいる気もするが、いまいち腑に落ちないところがある。
目標点が高すぎるのだろうか。
そもそも、俺の着地点はどこだ?


非常に活発に動きたい自分と、のんびり暮らしていきたい自分が、出たり入ったりする。
活発に動いた次の日とか、何したら良いのかよくわからなくなる。
のんびり暮らしたい自分に切り替わる瞬間が、一番無駄な気がしている。

読解アヘン、作者のインタビューで作業と休憩のバランスが必ず偏るというのがあった。
まさにそのバランスが大切だと思った。


朝の思考↓

きっと寂しいのだろう。
思い通りにいかない日常が。

自分が30になるまで、あと何週間ある?
週に一回の習慣をあと何回繰り返したら、自分の思い描いた大人になる?

人の未来はたまに見えるのに、自分の未来は脳に写らない。
迷いか、伸びしろか、はたまた何か。

多重人格者でなくとも、一般的な人々にはいくつか人格が存在すると核心している。


家族との自分。

友人との自分。

職場での自分。


これが職場でも、仕事中と酒の席で変化が生じる。

なぜ酒の席ではあんなにも砕けているのに、仕事になるとクソ真面目に訳の分からない日本語を使い出すのだろうか?

自分も最近はその例に漏れない存在になってしまっているが。

やはり、仕事は仕事、ということなのだろう。


そうすると、お酒の席の自分と、職場での自分という別人格が生じる。

もちろん、会社から離れてしまえば、それはまた違う人格である。

この時点で、すでに3つの人格がある。


このプライベートの時間ですら、気分やその日の体調で変化を起こす。

酒を飲んでいれば尚更そうだ。

もちろん気心知れた連中と話す時も違うし、人によって多少なりとも対応は変化していく。

それは自分が変わっているというニュアンスかと問われると、若干違う気もするが。


とにかく、自分のモチベーションや気分、その他の要因によってこれだけ変化しているのだ。

人とコミュニケーションをとっていくのがどれだけ難しいかが分かる。


この気分やモチベーションってのは服装でも変化を起こす。


そういう意味合いでは自分を変えることはとても容易いことであるとも考えられる。

だが一般的には変わることはとても難しいことであるとも言われている。

そんなことはないと。

個人的には考える。


今日考えていたことが明日になれば意見が変わっているかもしれない。

一週間前の決意が鈍っていることもある。

昨日食べた昼食も思い出せない・・・?


そんなことを考えていると、人間というのは何て不安定な生き物だと、心底実感する。

人間は自ら愚かな選択肢を選ぶことがあると、何かの本で読んだことがある。


一定のモチベーションと人格。

それすら維持していくことは難しい。


継続は力なりとは、何て難しいことを言ってくれたんだ。

不安定な人格。

不安定な社会。

絶対遵守の法律。

そんな法律を考え出したのは人間である。


何を信じていけばいいのか、みんな探している。

自分すら信じることの出来ない状況で。

そんな僕等に何が守れるというのだろう?


少なくとも、自分の根っこの部分は成長させていきたいものだ。

日本の行く末をたまに気にするが、そこまで深刻に考える機会と言うのはそうそうないものである。


先日、テレビでNHKスペシャルの自動車革命というコンテンツを見た。


話は主に電気自動車、新参者の開発者たちのお話である。

中国、ヨーロッパ、アメリカという流れ。



まず中国。

ここはとんでもない数の新参者の集まりで、昔の日本を彷彿とさせる様な活気があると報じていた。

もちろん電気自動車を彼らは作っている。

別に批判するつもりはないが、テレビでは話されていない内容が頭をよぎった。


電気自動車を作るのはいいが、電池を使い捨てるのはやめてくれ。


普通の発想だと、携帯電話の様に充電して使っていくものだと想像する。

が、彼らは使い捨てるのだ。きっと。

というのも、電気バイクがあちこちに乗り捨てられるという話を聞いた為、そんな不安が拭えない。



そんな僕らの常識を取り入れているのが、ヨーロッパで活躍し始めている、インドの電気自動車メーカーのようだ。

道路に設置してある充電用の設備。

どんなにでかい設備が出てくるのかと思えば、消火器くらいのポールに繋ぐだけ。

持ち運び出来るカールワイヤーで接続。

なんて便利なんだ。


早く日本でも実施しろと本気で思った。


で、アメリカ。

伝統的な自動車メーカーでないチームが電気自動車を作ると新しいものが出来る。

そんな当たり前のことをわかっていたが、目の当たりにすると、愕然とする。


aptera

ttp://www.aptera.com/


これは凄い。

ロケット・ロボット工学、ITあがりの連中が作り上げた作品とのこと。

「自動車メーカーは鉄の箱を作る発想から抜け出せないから、このような作品は作れない。」

もっともだった。


他にもGoogleが進めてるプロジェクトやらなんやらあったな。

何処も共通して言えることは、国が考え、実施していることがある点。


未来の可能性はいくらでも開けている。

が、日本の可能性はどうだろうか?


人それぞれ意見はあると思うが、個人的にはやはり・・。