一定のスパンで気分が落ち込み、考察が深くなる時期がある。
新年早々、今がその時である。

好きでもない、やりたくもない仕事をして稼ぎを得て、そこから住居費と食費を捻出する。
同じ物を繰り返し食べ、いつも通りに眠りにつき、周りに何の影響も残さず生きて、何が人生だ。
人類の単位から考えれば、何の功績も残さず、何の変化も起こさず、一人欠けても何の影響も及ぼさないという存在は、はっきり言ってただの穀潰しである。

数年前、人が生きる意味を考えた時に結論づけたのは、人類繁栄である。
その為、守るべきものを何も持たずに生きている独身者は自分も含め、生きる意味を見失いがちである。
良い収入を得て、良い住環境を整え、仕立ての良い衣服を纏って、良質な食事を食べる。
心のどこかでそんなことを望みつつ、そんなものに何の意味があるかと自問自答する。
どんなに物事の真理へたどり着こうとも、膨大な知識や教養を得ようとも、体が滅びれば何の価値も見いだされない。

確固たるアイデンティティも持たずに歳ばかり重ね、いい歳こいて縁結びだの希望的願望が果たされることを冗談混じりに語り、現実と理想のギャップについて考える。
そんな世間の風潮を嘲笑いつつ、棚ぼたな幸福感を得られるとどこかで期待して、頭の片隅に考えてる自分に腹が立つ。

人は決して平等ではない。
権力があるというだけで壇上へ上がるたびに権力者へ拍手をするという行為に対して嫌気がする。
直接関わりのない、その場限りの取り繕いを行う存在が自分よりも良い環境であぐらを組んでいる状況に歯痒さを感じる。

人生楽しんだもん勝ちだという風潮があり、それに同意する部分もあるのだが、人様への気遣いとかを忘れて傍若無人に振る舞うことが正しいかと考えると、それは違う気がする。
非常に宗教的な考えだが、文化的な生活を営むことが人間としての価値を高めるというのが建前なのだろう。
自分の価値を確立する為の根拠を欲しがりつつ、しばらくは自分に言い訳しながら生きていくんだろうなと感じている。
短絡的思考は良くない方向へ傾きがちで危険度が高いと感じている為、中長期的に物事を捉えていきたいと考えている。
年末の特番で、グローバリゼーションの弊害について特集していた。
ローカライゼーションとの比較で話を進めていたが、ざっくり要約するとアナログとデジタル。
田舎ののんびりした家庭に便利な物が導入されて、それを使用したいが為に拝金主義となった結果、家族間の繋がりが薄れ、それまで均衡が保たれていた環境が壊されてしまう。
それは果たして幸福なのか、って内容だと認識した。

一人のコメンテーターが幸福の定義を「時間」と「人と繋がっている充足感」としていた。
とても良い見解だと思った。
そう考えると、ネットワークビジネスというものの誘い文句は現代人の心に上手いこと潜り込む様につくられている。
結果的には異なる終着点となってしまうのだが。
どこぞの地方で実施されているワークシェアリングの方が現実的なやり方である。

ともあれ、変化の波は止められず、退屈な生活に流れを変えていくことも難しいと。
激動の時代に生きているということを自覚しながら、生きる術を見つけていく必要があるかと。


ここまで真面目ぶった意見を出しておきながら、結局は人との繋がりが薄いと感じ、寂しさがあるなと思っただけの話である。
そもそも人間関係の構築というのは脳の構造的に女性の専売特許であるというのに。まったくもって面倒な時代である。
年に何回か、自分が生きている意味について考えることがある。
たった今、その時の様だ。

友人がやっているバンドのライブを見に行った。
昔、自分が一緒になって演奏していたバンドだ。
最近はますますパフォーマンスやら演奏やらが向上して、舞台も大きくなってきている様だ。
そんな彼らは輝いていた。

社会人になる直前、一度は抜けたバンドに戻らないかと提案された。
それは本気で音楽をやるということを意味しており、普通の社会人となることとどちらかを選択するという場面であった。
今でこそ一人暮らしをして自立した気になってはいるが、当時の自分はまだまだ親に甘えている気持ちもあり、言ってみれば親の期待とやらを裏切りたくはないというのが本音であった。
その決定に自分の感情が十分に含まれていたかと言われると、そうではない。

好きなことをやって、生きていくことが幸せであるというのは一般的な話である。
キラキラしている彼らでも、まだまだ音楽一本で生計をたてていくことは叶わぬ様で、フリーターという夢追い人の立場である。
自分がやりたいことをする為に、割り切って仕事をしている訳だ。
好きなこと、やりたいことで生活していくことは、本当に幸せなのだろうか。

世の中には数多くのバンドマンがおり、あちこちのライブハウスで演奏をしている。
例えその演奏が人の心を動かさなかったとしても、彼らはいつか高みへ行けることを信じて進み続ける。
基本的に、これは好きなことをして生きたいという願望と、有名になりたい欲求、お金持ちになりたいという願望である。
満足感や充足感、周りからの認知度を高めることによる優越感と承認欲求、一発当てたいという野心と安定。
誰かに思いを伝えたいとか人の心を動かしたり、世界を変えたいというのは自己満足に分類してしまって良いのだろうか。
単純に音楽の波に飲み込まれるのが楽しいというのであれば、音楽自体を生業にする必要はなく、趣味で続けていればよいのである。

そんな中、一握りの運命を握りしめた人々が日の目をみることになる。
これが一先ずのゴールであろう。
だが、そこから継続的に活動を続けていける者がどれほどいるのだろうか。
認知度は上がったが、何も果たせない人。
花火は打ち上げたが、季節が過ぎてしまった人。
続けることは出来たが、厳しい現実に直面し、去っていった人もいるだろう。
夢を叶えると、その先に次の夢は見つかるのか。

立ち止まった時、振り返った軌跡が多いか少ないかの話である。
この積み重ねてきたものが人生と呼ぶのか。
どうしても、立ち止まった場所から先のことまでを考えてしまう。
やる前から諦めている人と同じである。
それを臆病者と呼ぶのか、現実主義者と呼ぶのか。
今の時代、様々な考え方が混濁しており、とても評価が厳しく、息の長いものというのが生まれづらい環境にあると考えている。
そんなことを考えだすと、臆病者の仲間入りできる。

上を見ても下を見てもきりがない。
他人から見て、自分が充足された立場にいたとしても、本人は満足していないことの方が多いと勝手に思っている。
会社というフィールドでは、やはり上を目指すものなのだろうか。
出世欲というのは支配欲の塊か。
今は権力を振りかざすものが嫌いだが、権力者になったら武器として使うのだろうか。
会社を一歩出ても、偉そうな態度をとってしまうのだろうか。

高級住宅街におっきな家を建てて、人様に自慢出来る様な仕事をして、高級な車に乗って美味しいものを食べに行ったり、頻繁に旅行やリラクゼーションを行うことで、幸せのメーターは満タンになるのだろうか。
きっと値段の桁が違う素敵な絵画や骨董品を集めだすのだろう。これは所有欲か。
はたまた綺麗な女性を囲って、酒池肉林の日々をおくるのだろうか。性欲と所有欲、支配欲と自尊心の充足かな。
その先は何か。そこまで行けば満足するのか。次の日に不慮の死をむかえたとしても、良い人生だったと言えるか。
隣の芝は青く見えるとは昔の人は良いことを言う。

自分は今どの辺にいて、何を欲しているのか。
何の為に生きているのか。
死の瀬戸際に、本当にしたかったことは何と答えるだろうか。
またしばらく自分の中を迷走することにしよう。