渦中の災害ボランティアに行ってきた。
とりあえず言えることは、今回の災害規模がでかすぎるということだ。

ボランティア参加前、悠長にも原子炉問題が無ければ日本はすぐに回復するだろうと考えていた。
全然違った。


阪神淡路大震災を振り返る。
都市部で人も多く、犠牲者も多数出た。
しかしながら、ダメージを受けた地域は極地的であり、復興に携わる人がすぐ向かえる場所に位置していた。

今回、被害を受けた地域は広範囲におよんでいる。
一番の原因としてはテレビでも散々取り上げている津波である。
そして、山を越え、海岸線に位置する地域へ支援者が容易に行ける訳ではない。

ボランティアに参加したのは、たった一つの地域。
だが、それだけでもとてつもなく広い範囲である。
全国から支援団体(警察、自衛隊含む)が来ているのだが、人手は足らないだろう。

そんな地域が海岸線に点々としているという事実。
ゴールの見えない暗闇を灯りも無く、一歩ずつ探りながら歩いている様な感じ。

残った家や、仮設住宅の話。
誰が悪い訳でもないのに、憎しみあってしまうことが悲しいと感じた。

立場が違えば、見える景色や考え方も変わってくるものである。
東京に戻って来て、目に見える全てのものが安っぽく見えた。
節電だ、何とか言ってるのは正直、バカらしい。
実際に作業を依頼された家に電気が通るのは7月以降の話である。
もっと他にやることがあるだろう。自分も考えなければならない。

今回のことをどの様に捉え、自分の中に染み込ませていくのかは、それぞれ自由である。
たった数日であったが、ただ一つ言えるのは、人生を変えるのには十分な経験であった、ということ。
嫌でも色々考えてしまう。

今は壊れたものを片付ける段階。
復興、立て直しというのはまだまだ先の話である。
本日、出社は無くなり、自宅謹慎になった。出社した人たちも昼過ぎに帰宅した様だ。
スーパー、コンビニからは飲料物が棚から消えている。水、菓子パン、インスタントラーメン、携帯充電器もなかった。
電車も止まり、自転車の販売が好調である。経済的に消費が最も促進されている日々。皮肉なことだ。

時代が便利になり、排除し始めていたものへ頼り始めている現状。
公衆電話、懐中電灯、ロウソク、ラジオ、ガスコンロ、ボンベ、使い捨て乾電池。
過剰気味な僕らの生活は今、本当に必要なものを求め始めてる。

人と人との繋がりが希薄になりつつある世間が、互いに補完しあい始めている。
どんなに困難な状況に陥っても、踏ん張る日本人は脅威である、というのを過去に聞いたことがある。
過酷な状況を投げ出さず、辛抱強く今の現状を改善しようと頑張っている。
そんな粘り強さを今の現状に置き換えた時、鳥肌がたった。

地震が発生した日以来、脳みそがゆらゆらしている感覚がある。
地震が来たと勘違いして、水の入ったペットボトルを見つめてしまう。
ろくに運動もしていないのに、疲労感が抜けず、とても眠い。
時が過ぎるのを待つしかないのか。

こんな状況でも人の為に働いている人たちを尊敬する。
正直、祈ることしか出来ない。
自分を生かすことしか出来ない。
何か出来るのか。何が出来るのか。
昨日、大きな地震があった。
震源地は東北であったが、東京でも大きな揺れを感じた。
マグニチュード8.8
心に残ったことを羅列。

発生直後は建物の倒壊よりも、落下物に注意。周りの目を気にしてたら自分の身は保証出来ない。大きな揺れが治まったらすぐに屋外へ避難する。生き埋めになる危険性がある。
まずは火災に注意。
近くに製油所、油田はないか。爆発に巻き込まれる可能性はないか。
20分。水害に注意。海からの津波、川の防波堤決壊。目視してからの行動は手遅れ。マラソン選手から2~3キロの距離は逃げ切れない。巻き込まれたらおしまい。白黒のみ。
原子力発電所からの放射能漏れは起きる。半径3キロ、10キロで避難。
地震発生後、本震と同等の余震が発生する可能性がある。翌日まで、一日おいてから、また、一ヶ月以内。専門の研究者は結果論で物事を考えるので、予測出来ない。
電車は止まる。バスは動き、車も使えるが、渋滞がひどくなる。無理に帰ろうとせず、周辺地域の災害避難所へ行くことも考えなければならない。
寒い時期は体を冷やさないようにすることが重要。体の芯から暖まる飲食物を摂取すべき。
眠れるうちに体力を回復しておく。心のざわめきも治まる。
水を溜める。飲料用ではなく、衛生問題へ向けた事前策。

目に見える災害、被害者を目にしていないため、自分は安全であると心のどこかで考えていることが恐ろしい。
自宅へスムーズに帰れず、ガスが止まっているという現状は、自分が既に被害者であるということを自覚させる。
瞬間的な出来事で変わってしまう世界、現状。
正直、まだ現実の実感が出来ないでいる。
自分は大丈夫、ということを考えている自分もいる。
一週間もすれば忘れてしまいそうだ。
自分を生かす覚悟は必要である。