故郷の広島での9日間 | 夢は、世界中の再非行を減らし、笑顔を増やすこと

夢は、世界中の再非行を減らし、笑顔を増やすこと

僕は、情けないことですが、再非行を増やし、笑顔を減らしてきた、元非行少年
今の夢は、世界中の再非行を減らし、笑顔を増やすこと
自分と未来は変えられる
でも、一人では変えられない

8月11日~15日、21日~24日の9日間は、生まれ育った広島を拠点に過ごすことができた。
 
父、弟、弟の家族、妻の母、妻の姉、姪っ子と食事をし、楽しい時間だった。
弟の子どもたち、姪っ子は、とても可愛かった。
我が家の娘たちとも、仲良しで嬉しかった。
 
一人で新幹線に乗り、福岡で母の家に一泊二日させてもらった。
急なことだったが、母はパート先の会社に相談をして休みをとってくれたので、久しぶりに、母と二人でゆっくりと時間を過ごすことができて、何よりも深い幸せを感じた。
弟と僕しか家族と呼べる人がいなくなっている状態の母のこれからについては、母や妻とも話し合っていきながら、これからのことを真剣に考えて、準備をしていきたい。
 
以前は不良交友の位置づけであった、親友、先輩、後輩との再会も嬉しかった。
親友たちの司法書士事務所や、設立中の会社の事務所、飲食店などにも行かせてもらい、すごく大切な刺激や学びももらえた。
 
再サポ役員と、再非行を減らし、笑顔を増やすために、学びの視察もおこなった。
岡山少年院、風の家、食べて語ろう会、奈良少年院、あらんの家。
 
広島少年院で約50人の少年たちに講演もさせてもらえた。
 
視察の日の夜には、食べて語ろう会の中本忠子さん、広島少年鑑別所の小出さん、元中国地方更生保護委員会の山田さんがお声かけしてくださり、広島の国際ホテルで、中国地方の矯正、保護の方々、広島県の方、僕が18歳の時に付添人を担当してくださった恩人の秋田智佳子弁護士、多くの皆さまと懇親会もさせてもらえた。
 
世界一大好物の広島つけ麺を、かず、ひこで食べることもできた。
 
広島拘置所では、20歳の青年と面会をさせてもらった。
彼とは社会では一度も会ったことはないが、壮絶な過去、家庭環境があり、知人の紹介の縁で3通も手紙をくれている。
彼が再犯をせずに、笑顔を取り戻していくことができるように、さまざまな他機関、多職種の方と連携しながら、できることをさせてもらいたいと思います。
 
写真の安佐南区役所は、安佐南区民文化センターで保護司の方々と打ち合わせをさせてもらったあとに、目に飛び込んできたので写メを撮った。
2007年3月19日の深夜に、妻と一緒に、籍をいれた場所。
保護司の打ち合わせでは、有馬保護司もきてくださった。
有馬保護司は、僕が14歳から20歳まで保護司を担当してくれた山根五郎さんの後任の保護司。
悲しいことに山根さんはお亡くなりになったが、山根さんの後任の有馬さんと、今もこうやって繋がれていることに素直に喜びを感じる。
打ち合わせの内容は、来年7月におこなわれる、広島の社会を明るくする運動の講演について。
 
広島で生まれ育ち、再非行を増やし、笑顔を減らし、多くの方に取り返しのつかない被害を負わせてしまった。
今は、愛知を中心にしながら、再非行を減らし、笑顔を増やす取り組みをさせてもらっている。
今の僕では、直接、広島で今の活動をさせてもらうのは難しいけど、間接的な形でできることから、広島での活動について真剣に考えていきたいと、気持ちを固くした。
 
 
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