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「私、何も得意なことがないんです……」
部下からこんな相談を受けたことがある上司は少なくないだろう。
そんなとき、多くの上司は「そんなことはないよ」と励まし、その人の長所を伝えようとする。
この対応自体は間違っていない。しかし、「強みを伝えれば自信がつき、行動が変わる」と考えるだけでは、まだ十分ではない。
本当に重要なのは、「強みを伝えること」ではなく、「部下の認識を現実に近づけること」なのである。
■「強み」という言葉では、本質が見えなくなる
「資料作成が速い」「数字のミスが少ない」「顧客との会話が上手い」。
こうした能力を、一般には「強み」と呼ぶ。
しかし、「強み」という言葉はあまりにも曖昧である。
能力なのか、経験なのか、それとも他人と比べて優れている点なのか。その区別がないまま議論されてしまう。
重要なのは、その能力そのものではない。
本人が、「自分にはこの能力がある」「この能力を使えば成果を実現できる」と認識しているかどうかである。
つまり、問題は能力ではなく、その能力に対する本人の認識なのである。
■部下が間違っているのは、能力ではなく認識である
部下が「自分には何も得意なことがありません」と言うとき、本当に能力がないとは限らない。
資料作成が速い人もいる。
細かなミスを見つけるのが得意な人もいる。
顧客との信頼関係を築くのが上手い人もいる。
それでも本人は、「これは誰でもできる普通のことだ」と思っていることが少なくない。
つまり、現実と本人の認識がずれているのである。
我々は、このような認識を「成立仮説ネットワーク」と呼んでいる。
成立仮説ネットワークとは、主体が「ある状態を実現するには、何が成立している必要があるか」について持っている仮説のネットワークである。
例えば、部下が
「自分には得意なことがない」
と思っているとする。
すると、
「だから難しい仕事は任せてもらえない。」
「経験を積む機会も増えない。」
「成果も出せない。」
というように、一つの認識が別の認識を支えながら、一つのネットワークを形成していく。
これらは独立した考えではない。
「自分には得意なことがない」という仮説を起点として、複数の仮説がつながっているのである。
■リーダーの役割は、認識を更新することである
だからこそ、リーダーの役割は「褒めること」ではない。
部下が持っている成立仮説ネットワークを、現実に近づけることである。
例えば、
「君の資料は、いつも他部署から分かりやすいと言われている。」
「そのチェックのおかげで、大きなミスを何度も防げている。」
「お客様が安心して相談できるのは、君の話し方があるからだ。」
こうした具体的な事実を示すことで、部下は初めて、
「自分には成果につながる能力がある。」
という新しい仮説を持てるようになる。
すると、
「難しい仕事も任せてもらえるかもしれない。」
「もっと挑戦してみよう。」
という、その先につながる認識も変わり始める。
一つの仮説が更新されると、それにつながる仮説も更新されていく。
これが、成立仮説ネットワークを更新するということである。
単なる励ましではない。
現実に基づいて認識を更新しているのである。
■行動が変わるのは、認識が変わるからである
では、なぜ認識が変わると行動も変わるのか。
我々は、人の行動を次のように表している。
行動=機会 × f(想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待)
ここでいう、
機会とは、その行動を行う状況やタイミングが存在することである。
想起とは、その場面で、その行動を思い出せることである。
理解とは、何をすればよいか分かっていることである。
納得とは、その行動の意味や価値を受け入れていることである。
実行可能とは、時間・能力・権限・環境などの制約を踏まえ、自分は実行できると認識していることである。
評価期待とは、行動した結果が、上司や同僚、顧客、自分自身、あるいは組織の評価制度や報酬制度を通じて適切に評価・反映されると認識していることである。
部下が「自分には得意なことがない」と思っていれば、「自分にはできる」という認識は弱くなり、実行可能は低下する。
「どうせ評価されない」と思えば、評価期待も低下する。
挑戦する意味を感じられなければ、納得も低下する。
つまり、成立仮説ネットワークが更新されることで、行動生成式の成立条件も変化するのである。
その結果として、行動が変わる。
重要なのは、「強みを伝えたから行動が変わった」のではない。
認識が現実に近づいたから、行動が変わったのである。
■過小評価も過大評価も、同じ原理で説明できる
この考え方の重要な点は、過小評価だけを扱う理論ではないことである。
部下が自分を過小評価していれば、その認識を現実まで引き上げる。
反対に、自分を過大評価していれば、その認識を現実まで修正する。
どちらも目的は同じである。
成立仮説ネットワークを現実に近づけることである。
「強みを見つける」という考え方では、この二つを同じ原理で説明することは難しい。
しかし、「認識を更新する」という視点に立てば、過小評価も過大評価も、同じ構造として理解できる。
■リーダーが本当に見つけるべきもの
リーダーが見つけるべきなのは、「強み」ではない。
部下の成立仮説ネットワークのどこに、現実とのずれがあるかである。
自分の能力を過小評価しているのか。
成果につながる条件を誤解しているのか。
評価される条件を勘違いしているのか。
あるいは、自分には実行できないと思い込んでいるのか。
その認識のずれを理解し、現実に近づけるよう支援することこそが、リーダーの本質的な役割である。
「強みを伝える」という行為は、そのための数ある手段の一つにすぎない。
本当に部下の行動を変えるのは、褒め言葉ではない。
現実に基づいて成立仮説ネットワークを更新することなのである。
