この記事についてaiに評価してもらいました




「危機のときこそリーダーは明るく振る舞え」

マネジメント論ではよく語られる話である。

実際、コロナ禍のような不確実性の高い状況では、リーダー自身も不安を抱えている。それでも部下の前では前向きな言葉をかけ、不安と戦う姿勢を示すことが大切だという主張には一定の説得力がある。

しかし、この説明には重要な問題がある。

それは、部下が本当に見ているものが何なのかを取り違えていることである。

この記事は、

不安と戦う決意を見せる
部下が安心する
この人についていこうと思う

という構造で説明している。

だが、実際に起きていることはもっと構造的である。

■ 人は状態を実現するために行動している

そもそも人は感情だけで行動しているわけではない。

誰もが、

主体
実現したい状態
制約
行動

という構造の中で行動している。

これを状態実現構造と呼ぶ。

例えば部下なら、

部下
成果を出したい
情報が足りない
上司に相談する

となる。

経営者なら、

会社を存続させたい
売上が減少している
資金調達を行う

となる。

危機とは、この制約が一気に増える状態である。

売上がどうなるか分からない。
雇用が維持できるか分からない。
事業が継続できるか分からない。

つまり未来が未確定になる。

部下が感じている不安の正体も、この未確定状態なのである。

■ なぜ部下はリーダーを見るのか

部下も自分なりに状態を実現しようとしている。

しかし危機時には、自分では処理できない制約が発生する。

例えば、

会社の資金繰り
事業継続の判断
人員配置
顧客との交渉

などである。

担当者には権限も情報もない。

つまり制約を処理できない。

そこで部下は、

誰がこの制約を処理するのか

を見るようになる。

その相手がリーダーである。

つまり部下は、

リーダーが好きか嫌いか

を評価しているのではない。

自分が処理できない制約を処理してくれるか

を評価しているのである。

■ なぜその5つの能力が評価されるのか

一般的にリーダーに求められる能力として、

問題解決能力
責任引受け能力
支援能力
判断能力
方針提示能力

が語られる。

しかし重要なのは、

なぜその5つなのか

である。

これは人類共通の神秘的なリーダー能力ではない。

部下が委譲している制約を分類した結果である。

問題解決能力 = 問題そのものを解消する能力
責任引受け能力 = 失敗リスクを引き受ける能力
支援能力 = 不足資源を補う能力
判断能力 = 未確定状態を解消する能力
方針提示能力 = 集団を同期させる能力

つまり部下は、

この人は問題を解決できるか
この人は責任を負うか
この人は助けてくれるか
この人は決められるか
この人は方向を示せるか

を見ているのである。

これはすべて、

制約処理能力

への評価に還元できる。

■ 安心感の正体

記事では、

決意を見せる
安心する

と説明されている。

しかし安心感とは何だろうか。

安心感とは、

安心感 = 状態実現可能性が高いという予測

である。

さらに言えば、

安心感 = リーダーが制約処理を継続すると予測できる状態

である。

例えば、

会社の現状を理解している
方針を示している
意思決定している
責任を引き受けている

なら安心できる。

逆に、

何も決めない
何も説明しない
責任も負わない

なら不安になる。

つまり安心感の原因は、

明るさ

ではなく、

制約処理への期待

なのである。

■ 「決意」が評価される理由

ではなぜ、

「できることは全部やる。一緒に乗り越えよう」

という発言が評価されるのか。

それは決意そのものが価値だからではない。

その発言から、

この人は逃げなさそうだ
この人は責任を負いそうだ
この人は行動しそうだ

という予測が形成されるからである。

つまり、

発言
責任を引き受ける意思を推定する
今後も制約処理を続けると予測する
安心する

なのである。

安心感を生んでいるのは決意ではない。

決意の背後にある将来行動への予測である。

■ 「演技力」が本質ではない

記事後半では、

危機のときこそ演技力が必要

という話になる。

しかしここでも原因と結果が逆転している。

例えば、

資金調達を進める
取引先と交渉する
経営判断を行う
組織へ説明する

という行動を継続しているリーダーなら、必ずしも陽気である必要はない。

逆に、

何も決めていない
何も進んでいない
何も説明していない

にもかかわらず、

「大丈夫だ」
「なんとかなる」

と笑顔で言われても安心はできない。

なぜなら人が求めているのは、

感情表現

ではなく、

未来状態の予測可能性

だからである。

■ 演技はシグナルであって本質ではない

もちろん、演技そのものを全否定する必要はない。

問題は位置づけである。

明るい振る舞い
落ち着いた態度
前向きな発言

が評価されることはある。

しかしそれは、

制約処理能力そのもの

ではない。

制約処理能力を推定するためのシグナルである。

部下は、

落ち着いている
状況を把握しているかもしれない

自信がある
打ち手を持っているかもしれない

と推測しているのである。

つまり、

演技
安心

ではない。

演技
制約処理能力を推定する
安心

なのである。

記事はこの部分を取り違えている。

■ 「この人についていこう」の正体

記事では、

「この人についていこうと思われるリーダー」

という表現が使われている。

しかし、

ついていこう

は説明ではない。

結果ラベルである。

部下の中では、

この人が判断する
組織が安定する
雇用が維持される
生活が維持される

という成立仮説が形成されている。

その結果として、

この人についていこう

という行動が生まれるのである。

重要なのは、

ついていこう

という言葉ではない。

どのような成立仮説が形成されたのかである。

■ まとめ

この記事は、

「危機時には不安を抱えながらも逃げずに向き合うべきだ」

という点では妥当である。

しかし説明原理が感情論に寄り過ぎている。

本来リーダーとは、

部下が処理できない制約を処理する存在

である。

部下が評価しているのは、

明るさでもない。
演技力でもない。
ポジティブさでもない。

この人は制約を処理できるか。
この人は未確定状態を減らせるか。
この人は責任を引き受けるか。

である。

危機時のリーダーシップの本質は、不安を隠すことでも、不安を見せることでもない。

部下が処理できない制約を引き受け、未来を予測可能にし、状態実現への道筋を示し続けることである。

感情表現が評価されるとしても、それは制約処理能力を推定するためのシグナルに過ぎない。

この記事は危機時の現象を捉えている。しかし、その現象を生み出している原理までは説明できていない。

その結果、リーダーシップの本質を制約処理ではなく感情表現へと矮小化してしまっているのである。