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「言葉だけでメモをする人は二流である」

そんな主張を見かけることがある。

たしかに、人は言葉にした瞬間に安心してしまう。「分かった」と思った瞬間に観察をやめてしまうこともある。これは実感として理解できる人も多いだろう。

しかし、本当に問題なのは「言葉だけのメモ」なのだろうか。

実は、このテーマを深掘りすると、見えてくるのはメモ術の問題ではない。人間の認識そのものの問題である。

■人はラベルを貼った瞬間に観察をやめる

記事の中では、改札の例が紹介されている。

初めて通る駅では周囲をよく観察する。しかし何度も通ううちに、「ここは改札である」と認識した瞬間、それ以上細かく見なくなる。

これは確かにその通りである。

人は世界をそのまま見ているわけではない。

膨大な情報を処理しきれないため、

改札
看板
上司
部下
顧客

といったラベルを貼りながら理解している。

そして一度ラベル化すると、それ以上観察しなくなる。

問題はここにある。

■本当に問題なのは「言葉」ではない

ところが記事では、

ラベル化すると観察をやめる
だから言葉だけのメモはダメ

という結論になっている。

しかし、これは少し飛躍している。

実際に起きているのは、

観察停止

である。

言葉のメモが悪いわけではない。

例えば、

「顧客は納期を重視している」

というメモを書くこと自体は悪くない。

問題は、その一文を書いた瞬間に、

なぜ納期を重視しているのか
どの業務が影響しているのか
誰が困っているのか
他の優先条件はないのか

といった観察をやめてしまうことである。

原因はメモ形式ではない。

理解したつもりになることである。

■細部を忘れることは悪いことなのか

さらに言えば、人は細部を忘れるべき存在でもある。

例えば営業担当者が、

顧客のネクタイの柄
会議室の壁紙
入口の観葉植物

を完璧に覚えていても、それだけでは成果にはつながらない。

重要なのは、

顧客の目的
顧客の制約
顧客の意思決定構造

である。

つまり仕事では、

細部を記憶する能力

よりも、

細部から構造を抽出する能力

の方が価値を持つことが多い。

記事は細部を覚えることの価値を強調しているが、抽象化の価値についてはほとんど触れていない。

■本当に見るべきなのは行動の構造である

例えばマネジメントの現場では、

「あの部下はやる気がない」
「あの部下は主体性がない」
「あの部下は報連相ができない」

といったラベルが頻繁に使われる。

しかし、これらは原因ではなく現象の説明である。

本当に見るべきなのは、その行動がなぜ成立していないのかという構造である。

私は社員の行動を、

行動 = 機会 × f(想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待)

という形で捉えている。

想起 = その場面で行動を思い出せるか
理解 = 何をすればよいか分かるか
納得 = 行動の意味や価値を受け入れているか
実行可能 = 実際に実行できる状態か
評価期待 = 実行したときに評価や成果が返ると期待できるか

例えば報告が遅い部下がいたとする。

そのとき、

「報連相が苦手な人」

というラベルを貼れば観察は終わる。

しかし構造的に見ると、

報告することを思い出せていないのか
何を報告すればよいか分かっていないのか
報告する意味に納得していないのか
忙しくて報告する時間がないのか
報告しても評価されないと思っているのか

という全く異なる可能性が見えてくる。

ここで重要なのは、細部を覚えることではない。

観察を続け、構造を推定することである。

■仕事ができる人は「風景」で覚えているのか

記事の後半では、

仕事ができる人は風景で記憶している

という主張が出てくる。

しかし、本当にそうだろうか。

例えば優秀な営業担当者は、

顧客の机の配置
応接室の風景

を覚えているから成果を出しているわけではない。

覚えているのは、

誰が決裁者なのか
どこが制約なのか
競合は誰なのか
何が購入条件なのか

といった構造である。

優秀なマネジャーも、

部下の表情そのものを覚えているのではない。

表情や言葉を手掛かりに、

想起
理解
納得
実行可能
評価期待

のどこが崩れているのかを推定している。

つまり彼らは、

風景を記憶している

のではなく、

風景から構造を推定している

のである。

■本当に掘るべきだったテーマ

このテーマの本質は、

言葉か風景か

ではない。

人は観察した世界をどう圧縮して理解しているのか

である。

人間の認識は、

現実
知覚
ラベル化
抽象化
行動

という流れで進む。

改札を改札として認識すること自体は悪いことではない。

むしろ情報処理のために必要な能力である。

問題は、

そのラベルが正しいと思い込み、
再観察をやめてしまうこと

にある。

■ラベルを疑い続ける人が強い

マネジメントの現場でも同じことが起きる。

部下を見て、

やる気がない人

というラベルを貼る。

すると観察が止まる。

しかし本当に見るべきなのは、

想起が崩れているのか
理解が崩れているのか
納得が崩れているのか
実行可能が崩れているのか
評価期待が崩れているのか

である。

顧客に対しても同じである。

価格に厳しい顧客

というラベルを貼った瞬間に観察は止まる。

本当に見るべきなのは、

どの目的を達成したいのか
何が制約になっているのか
どの代替案と比較しているのか

である。

優秀な人ほどラベルを使わないわけではない。

むしろ積極的にラベルを使う。

ただし、そのラベルを絶対視しない。

常に再観察し、再推定する。

そこに差が生まれる。

■まとめ

この記事には、

「人はラベル化すると観察をやめる」

という重要な洞察が含まれている。

しかし、

言葉だけのメモが悪い
風景で記憶しよう
仕事ができる人は風景で覚えている

という結論には飛躍がある。

本質はメモ術ではない。

人間はラベルによって世界を理解する。しかし、そのラベルを疑わなくなった瞬間に観察は止まる。

だから重要なのは、

言葉を捨てることでも、
風景だけで覚えることでもない。

自分が貼ったラベルを疑い続け、
構造を再推定し続けること

である。

仕事ができる人が見ているのは風景そのものではない。

風景の奥にある構造なのである。