この記事についてaiに評価してもらいました。
■ 「良いルールを作れば組織は動く」のか?
「主語を曖昧にするな」
「誰が何をいつまでにやるかを明確にせよ」
こうした主張を聞くと、多くの人は「その通りだ」と感じるだろう。
実際、曖昧なルールによって組織が混乱する場面は少なくない。
例えば、
「気づいた人が掃除しましょう」
というルールでは、
- 誰がやるのか
- いつやるのか
- やらなかったらどうなるのか
が分からない。
結果として、
「自分ばかりやっている」
「なぜあの人はやらないのか」
という不満が生まれる。
その意味では、
「誰が何をいつまでにやるかを明確にする」
という主張には一定の妥当性がある。
しかし、この種の記事には大きな問題がある。
それは、
ルールを明確にする
↓
人が動く
という単純なモデルで人間を説明していることである。
実際の組織は、それほど単純ではない。
■ ルールは行動生成式のどこを改善しているのか
社員の行動生成式で考えてみる。
行動 = 機会 × f(想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待)
想起 = その場面で行動を思い出せるか
理解 = 何をすればよいか分かるか
納得 = 行動の意味や価値を受け入れているか
実行可能 = 実際に実行できる状態か
評価期待 = 実行したときに評価や成果が返ると期待できるか
ここで重要なのは、
ルールは何を改善しているのか
である。
例えば、
「Aさんが月曜日16時までに掃除する」
というルールを考える。
このルールによって改善されるのは主として理解である。
誰がやるのかが分かる。
何をやるのかが分かる。
いつまでにやるのかが分かる。
つまり、
理解 = 高い
状態になる。
しかし、
理解が成立しただけで人は動くだろうか。
■ 理解だけでは人は動かない
例えばAさんが、
「なぜ自分だけ掃除なのか分からない」
と思っていたとする。
この場合、
理解は成立している。
しかし、
納得
が成立していない。
また、
「今日は顧客対応で手一杯だ」
なら、
実行可能
が成立していない。
さらに、
「掃除しても評価されないし、やらなくても何も言われない」
なら、
評価期待
も成立していない。
つまり、
理解 = 成立
納得 = 不成立
実行可能 = 不成立
評価期待 = 不成立
という状態である。
この状態でルールを明確化しても、人は動かない。
記事は、
ルールの明確化
を過大評価し、
行動成立条件全体
を見落としている。
■ 「誰が何をいつまでに」は十分条件ではない
マネジメント記事では、
「誰が何をいつまでに」
が魔法の言葉のように扱われることがある。
しかし実際には、
これは理解を成立させる条件に過ぎない。
例えば、
Aさんが毎週掃除する
というルールを設定したとする。
ところが、
BさんもCさんも掃除しない。
Aさんだけが負担を背負う。
すると、
「なぜ自分だけなのか」
という不満が生まれる。
ここで問題になっているのは、
理解
ではない。
納得
である。
ルールが明確であることと、
ルールが受け入れられること
は別問題なのである。
明確なルールは、
良いルール
にもなり得るし、
不満を増幅するルール
にもなり得る。
■ 多くのルールが形骸化する本当の理由
企業には大量のルールが存在する。
- ナレッジ共有ルール
- 会議準備ルール
- 整理整頓ルール
- 報告ルール
しかし、多くは形骸化していく。
なぜだろうか。
理由は単純である。
評価期待がないからである。
例えば、
ナレッジ共有をしても評価されない。
共有しなくても何も起きない。
この場合、
評価期待 = 不成立
になる。
すると、
理解しているにもかかわらず行動しない
という現象が発生する。
現場で起きている問題の多くは、
ルール不足
ではない。
評価期待不足
なのである。
ところが記事は、
ルールを決めれば解決する
という説明に終始している。
ここには大きな限界がある。
■ 「気遣いをなくせば摩擦は消える」のか
記事の中でも特に危険なのが、
ルールがあれば気遣いは不要になる
という主張である。
しかし現実の組織は例外だらけである。
例えば、
顧客担当者が急病になった。
重要顧客から緊急連絡が来た。
このとき、
ルールだけでは対応できない。
誰かが状況を見て動く必要がある。
つまり、
組織運営には
ルール領域
と
裁量領域
が存在する。
ルールだけで運営できる組織は存在しない。
むしろ優秀な組織ほど、
どこまでをルール化し、
どこからを裁量に任せるか
を明確にしている。
記事は、
ルール100%
裁量0%
に近い発想になっている。
これは組織を硬直化させる危険がある。
■ 「上が怒るよ」が問題なのはなぜか
記事では、
「上が怒るよ」
という言い方を強く批判している。
方向性としては正しい。
しかし説明は浅い。
本質的な問題は、
責任主体の曖昧さ
ではない。
判断基準の曖昧さ
である。
例えば、
「上が怒るからやれ」
という指示は、
行動理由を
上司の感情
に依存させている。
すると部下は、
なぜやるのか
を理解できない。
本来なら、
「顧客対応品質を維持したい」
「事故を防ぎたい」
「チームの生産性を上げたい」
という目的があり、
その結果としてルールが存在する。
目的
↓
判断基準
↓
行動
という接続が必要なのである。
単に
「私がそうしてほしい」
と言えば済む問題ではない。
■ 本当に重要なのはルールの種類を区別すること
さらに記事は、
ルール
を一つの概念として扱っている。
しかし実際には複数種類が存在する。
行動ルール
例:毎日17時に報告する
役割ルール
例:Aさんが担当する
優先順位ルール
例:顧客対応を最優先にする
判断ルール
例:利益率を重視して判断する
エスカレーションルール
例:100万円以上は部長承認にする
これらは役割が全く異なる。
現場改善では、
どの種類のルールが不足しているのか
を見極めなければならない。
単純に
「ルールを明確化しよう」
では不十分なのである。
■ ルールは行動生成の一部でしかない
この記事は一般的なマネジメント記事として見れば悪くない。
少なくとも、
- 主語を明確にする
- 誰が何をいつまでにを明確にする
という具体的な提案がある。
しかし原理レベルでは不十分である。
なぜなら、
ルール → 行動
という単純モデルで人間を説明しているからである。
実際には、
行動 = 機会 × f(想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待)
であり、
ルールはその一部しか説明できない。
ルールが改善するのは主として、
理解
と一部の想起である。
しかし、
納得
実行可能
評価期待
が成立していなければ人は動かない。
つまり本当に問うべきなのは、
「良いルールとは何か」
ではない。
「なぜ人はそのルールどおりに動くのか」
なのである。
ルール設計は重要である。
しかしそれは、人間行動を生み出す仕組み全体の中の一つの部品に過ぎないのである。
