皆さん こんにちは。 早岐駅での撮影の後の行程だけは、思い出しました。
早岐駅で撮影した後は、現在は第三セクター鉄道になっている 松浦線を乗りつぶしに行きました。 早岐から有田駅に向かい 伊万里駅を通って反時計回りで佐世保駅へ出ました。 佐世保からは、時間を潰しながら 小倉駅へ向かい 小倉では事前に調べていた駅前付近の銭湯に行ってサッパリしてから 門司港に向かいました。
この日の宿は、急行日南号。最初は自由席利用のつもりでしたが 座席夜行連泊の疲れには耐えきれず B寝台に乗って 西鹿児島まで向かいました。 急行日南号の門司港発車は 22時50分、 自由席車だと 小倉からは遅めの通勤客と一緒になってしまいましたが、寝台車の方は ガラガラだったように思います。 宮崎発車は 6時21分、ここからは普通列車2541レになり 朝の通勤通学列車になりますが、やはりB寝台車の方は 静かなまま。 ヒルネ状態で 9時16分終着の西鹿児島までゆったり過ごしたように思います。

西鹿児島駅。ホームの時計を見ると10時20分ごろ。 快速錦江2号宮崎行。車両自体は、川内駅始発の普通列車で 西鹿児島駅で20分ほど停車している間に列車番号が変わって 快速錦江2号になりました。 錦江湾に浮かぶ桜島の噴火を模したヘッドマークが付いていました。

快速錦江1号で西鹿児島に到着した編成。 最後尾が グリーン車改造のクハ455-610号車。1時間後の折り返しで 快速錦江4号になるはずだったんですが ヘッドマークが付いていませんでしたね。
この後は、西鹿児島11時26分発 指宿枕崎線普通745Dに乗車。錦江湾から桜島を眺め 開聞岳の横を抜け 2時間半 着いたのは、

終点の枕崎。 現在もこの駅名標残っているんでしょうか?

乗車してきた745D。 折り返し時間は、わずか4分。 駅前を散策する余裕もなく この列車に乗って戻りました。
当時のダイヤでは 山川ー枕崎間、1日6本の運転でしたが 日中の明るい時間に往復できるのは、この745D~758Dだけでした。 朝は 西鹿児島5時20分発で 次が6時間後のこの列車。その次は3時間半後の15時過ぎ、枕崎から帰りは この列車を逃すと 4時間後の夕方17時46分までなかったので仕方なくこの列車で折り返しました。 行きも帰りも このキハ58-726に乗車。 山川ー枕崎間は、そんなにスピードが出ていなくても 上下左右に激しく揺れていた記憶があります。 真ん中は、キハ20。一番前は、キハ40ですね。
往復5時間近くかけて戻ってきた西鹿児島駅に またこの列車が停車していました。

さようなら大隅線の旅 大隅半島一周号。 日本国有鉄道 鹿児島鉄道管理局。
数日前に朝の西鹿児島駅でも撮影した さようなら大隅線の旅 大隅半島一周号。
前回の列車は 主催が 鹿児島駅となっていました。

後は、国鉄色 後期型パノラミックウィンドウのキハ58でした。
多分ダイヤは一緒で、主催が駅や鉄道管理局となって 数日間にわたって運転されていたようです。
この後は、あまり覚えていないのですが、 また夜行の今度は、「かいもん」自由席で北の方に向かいました。
急行かいもんを 早朝博多駅で下車。 香椎線に乗りに行ったような気がします。

多分 香椎線のどこかの駅で撮った一枚。キハ31+キハ47+キハ58の3両編成の普通列車。
その後は 鹿児島本線を北上 八幡駅にて。

博多行きの415系1500番台とキハ47の並び。 キハ47は、筑豊本線からの八幡止まりの普通列車で折り返し 直方方面に戻った列車です。
そして 小倉駅。

ローズピンクの交直流近郊型電車 普通門司港行。

先頭は、クハ421-83でした。 同じクハ421でも 低運転台の初期型は引退していましたが、高運転台車はまだ現役でした。
続いて 日田彦山線にを完乗して 日田駅。

左のキハ66が 小倉から乗ってきた 普通735Dです。日田彦山線は、 2017年の豪雨被害で 南側の添田駅ー夜明駅間が被災し BRTバス輸送に転換されてしまいました。 しかし この区間の山の斜面をのんびりと下る風景を ゆったりとした転換クロスシートで乗り通せたのが強く印象に残っています。
日田彦山線完乗の後は、門司港に戻り その夜は、急行かいもんに自由席に乗車。早朝の西鹿児島駅に戻りました。 急行日南の方は、比較的全区間空いているのですが、急行かいもんの場合は、博多からは 新幹線乗り継ぎ客などで自由席はほぼ満席になって 熊本付近までは混雑している印象でした。

西鹿児島からは、普通国分行に乗車。 錦江湾の向かい側 朝焼けと桜島を一枚。山頂右端から 噴煙がたなびいていました。
国分駅には 7時22分に到着。国分駅からは、いよいよ 私も大隅線に乗りました。この大隅線 なかなか乗り潰し派にとっては、乗るのに難しく、国分駅からだと これから乗る7時26分発626D志布志行のあとは、13時46分発までなく 国分発の午前中は、この7時26発のみ 次の13時46分発かは、15時24分17時36分18時20分21時2分発大隈境行6本のみでした。 本数的には、鹿屋ー志布志間の方が多かったようですが、全線を走る列車は 5本しかなく、志布志から乗るにも国分から乗るにも日中に乗ろうとすると2本ぐらいしかありませんでした。
国分駅から1時間30分途中の古江駅にて 行き違い待ち合わせのために停車。

国分駅を発車後 桜島の東側を通って古江駅に到着。 車内は、マニア以外にも比較的地元の方も乗っていた印象があります。

そして やってきたのは、キハ20の2両編成普通垂水行。乗車してきた志布志行普通は、古江までに大隅境駅と垂水駅で国分方面への列車と行き違い この列車が3本目の列車となります。 この列車は日豊本線との接続駅国分までは行かず、垂水駅止まり。まだ朝の9時なのですが、次の国分駅まで行く列車は、13時過ぎまでありませんでした。西鹿児島への快速大隅や 宮崎への快速佐多も走っていましたが、日中は、列車がほとんど走っておらず非常に利用しづらい路線でした。
列車は この古江駅付近からガラガラになり 鹿屋駅を出て 大隅半島を縦断すべく山間部に入ってから 徐々に地元の方が増え始め 志布志に着く頃には、満席になっていました。 鹿屋ー志布志間は、列車本数も倍増し一定の支持はあるようでしたが この乗車直後に廃線となりました。
国分駅から 3時間 10時23分に志布志駅に到着しました。

鳥居型の駅名標。 志布志駅には 1987年のこの時は、3方向から大隅線と都城からの志布志線、宮崎からの日南線が乗り入れる南九州のターミナル駅でした。

そのためか 駅の南西側には 志布志機関区が広がっていました。
その 大隅線と志布志線は1987年3月で廃線。志布志機関区もなくなり 志布志駅は 日南線の終着駅となっています。
この後 日南線に乗って宮崎方面に向かい 大淀川鉄橋で撮影しました。
御覧頂きましてありがとうございました。