皆さんこんにちは。 今年もこの時期がやってまいりました。10月10日に発売開始

最寄りのBookfirstで買ってきました。 本当は、阪急の公式オンラインショップで購入しようと思っていたのですが、 同時発売の6300系50周年記念グッズが発売開始半日で売り切れてしまっていたので 送料もかかるので 書店で買いました。

 

壁掛け版は 2000系と2300系です。

 

そして 卓上版は、

6300系が採用されています。

 

そして セット購入特典は、

このクリアファイルでした。

 

 

阪急電車の公式オンラインショップで購入できますが、 どうも クリアファイルのついた 壁掛け 卓上セットは 売り切れているようです。  単品の方は販売していました。

 

ところで 関西万博も終わり 明日14日からは JR西日本ではダイヤ修正 いよいよロングシートの快速うれしートが誕生しますね。

 

宝塚駅のホーム。

白い丸印 4扉の乗車位置にも新しい「うれしート」マークが。

 

そして 乗った電車が321系でした。

321系の方は、座席が1人分に分かれているので 席番シールは 網棚部分のみ。 うれしートの案内は 優先座席の案内の下にひっそりと貼ってありました。

 

うれしート設定時は、大きいのれんがつけられるので 間違うことはないでしょうが。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回は、1986年のお正月に十三駅で撮影した写真です。

 

特急梅田行 6330Fです。 破魔矢をイメージした 初詣ヘッドマークつき。

一番後ろの6430号車の扉横にステッカーが貼ってありますが、これは、当時の四条大宮駅と西院駅のホームが 7両編成分しかなかったため 8両編成の特急や急行は 上下列車ともに最後尾の1両がホームにかからず 扉が開かなくなっていました。 その両駅では 乗降が不可能になることを注意した掲示でした。

そのドアカットは、この1986年の年末に10両編成対応工事が完了し終了しました。

 

臨時特急宝塚行 3052F。 当時は、お正月期間の日中に15分間隔で 臨時特急が運転されていました。停車駅は、梅田 十三 石橋(石橋阪大前) 川西能勢口 中山(中山観音) 清荒神 宝塚だったと思います。

 

発車した 宝塚行と到着した梅田行 臨時特急。

 

普通宝塚行 7014F。前年1985年の夏に新製されたところでした。 最初から小窓が設置されていて まだHマークも付いていました。  この編成は現在 神戸線所属ですね。

 

発車した 臨時特急梅田行 3154Fでした。

 

特急梅田行 6352F。

6300系が運用開始したのは、1975年 今年がデビュー50周年にあたり 今月から嵐山線運用の6300系に記念ラッピングや ヘッドマーク それに記念グッズの発売も開始されたようです。

 

特にこの6352Fは 正面表示幕の塗り分けが当初は違ったため その塗り分けを再現した記念編成となっているそうです。 しかし 心配なことに 9日の木曜日の朝 嵐山線で車両故障があり2時間ほど運転見合わせとなる事故があったのですが、その当該編成が6352Fという噂を耳にしました。。。
 

臨時特急宝塚行7002F。

 

普通梅田行5002F。  この時に 臨時特急でもない 普段の5000系を撮影したのは、 1985年にこの5002Fが表示幕改造を施行されたためでした。

 

臨時特急梅田行 3052F。

 

特急梅田行7006F。現在は 京とれいん 雅洛になった編成です。  7006Fは、6両編成で新製されて この3ヶ月ほど前に8両編成化されたところでした。

 

西宮北口駅に帰ってきました、ちょうど西宮競輪が終了した帰宅ラッシュ時。 今では 奇跡の一枚かも。

臨時特急三宮行 5006F。

 

西宮北口始発の臨時特急で 運行標識板。 当時でも滅多にみられない列車でした。 というか この時間帯にはあまり乗らなかったからかもしれませんが。

 

駅も工事現場みたいですが、ダイヤモンドクロスの撤去が進み 下りホームを三宮方向に移設している最中でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 1987年の九州編の続きという感じになります。  九州に出かける前に 関東地方の友人宅を訪問 その際に小田急電車を撮影に行きました。

撮影場所は 多分 新百合ヶ丘駅付近だったと思います。

 

小田急電車はほとんど知識がなく それも40年前なので 画像中心になります。

まずは、保存車両だと思って、敷地外から望遠で撮影しました。 2200系でしょうか。

 

5000系の普通新宿行。阪急電車でいうと 神宝線系統の3000系と同期だったのででしょうか。 

 

3100系 特急はこね号。 当時の主力特急型電車。 幼少期は 百科事典で必ず見る憧れの電車でした。

 

8000系の急行箱根湯本、江ノ島行。  最初は ここが どこかも思い出せなかったのですが。 この写真の左の架線柱の黄色い看板に百合が丘の文字がありました。

小田急8000系というと つい最近西武鉄道に譲渡された車両ですね。 小田急では 1983年製造ということです。

 

4000系の普通本厚木行。 40年前  まだ非冷房車が本線で活躍していました。

 

SE車 3000系特急えのしま号。 国鉄も含めて 日本の特急型電車の元とも言える電車。

 

1957年 国鉄東海道本線での速度試験で 当時の狭軌政界最高速度の時速145km/hを記録。国鉄電車特急の開発にデータを提供したそうです。

 

特急あしがら号新宿行。

連接車の5両だったので ちょっと寸詰まりになってしまいました。

 

NSE3100系 上り 特急はこね号です。 

 

準急 本厚木行です。

 

下り 特急あしがら号。NSE3100系 こちらも 幕式改造のリニューアル車。 2枚目のNSE3100系の車両は 485系ボンネット車みたいな、アクリル板のホームベース型のヘッドマークで改装前の姿でした。

 

9000系の急行新宿行です。  この車両 小田急では8000系より先輩みたいなんですが。 9000系は 1972年製造らしいです。 営団地下鉄との乗り入れ用に開発されて 営団地下鉄との関係で 5000系から飛んで 9000系になったとか。 

 最初にこの9000系の写真を見たときは、その前面スタイルに衝撃を受けたのですが、 その後に、阪急にも8000系が登場したときは それ以上に絶句するほどの驚きでした。 

 額縁スタイルの前面デザインを、全国に広めた元祖ですね。

 

LSE7000系の特急はこね号です。  NSE3100系をスマートにして車内設備を改良した形式でした。

 

2600系の普通新宿行。

8000系 急行新宿行です。当時のラッピング車で 小田急走るギャラリー。ポケット号でした。

 

最後に SE車3000系の特急 あさぎり号 御殿場行です。

現在の 特急ふじさん号の前身となる列車でした。

 

これを撮って 終了としました。 日中の短時間で、当時の小田急の特急車全部を撮ることができ満足な一時でした。

 

御覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  大阪関西万博も後わずかで終了ですね。 開幕前は私も否定的な考えで 行くことはないと思っていましたが、 いざ 開幕すると 一度は話の種に行って見るのもいいかもと考えが変わり 5月に一度行きました。 

その時の模様も記事にしました。

 

その後7月ごろにもう一回と思っていのですが 猛暑に心折れてしまい そのまま行くことはできませんでした。  そん中 この記事が目に止まり

 

行ってまいりました。

 

大阪駅構内 大丸百貨店1F入り口付近で 今日(9日)までの開催でした。

白いミャクミャクのフィギュアに パビリオンスタッフが 想いを込めて作成したフィギュアが展示されていました。

 

最終日 9時50分ごろに会場に到着 もう150人ぐらいが並んでいました。

赤と青のEXPOカラー?

10時開場 展示場所はかなり狭いため 30人前後に分けて 一回5分の制限時間を設けられていました。

 

30分ぐらいで 順番が回ってきました。 おそらくこれだけの人気になるとは想定外だったのではといった感じの展示場でした。

5分しかないので 実物をじっくりという余裕はなく 写真を撮って後でゆっくり見るるしかない感じでした。

 

コシノジュンコさんと 藤原紀香さん

 

山中伸弥教授。松本幸四郎さん 瀧野由美子さん

 

酒井 藍さん 他 よしもとの皆さん。

 

真ん中の通路で入れなかったので 小さくなりましたが 真ん中の段左が はるな愛さん。 そのうえが ゆい小池(ゆいちゃみ)さんでした。

 

 

見応えあるイベントでした。

 

その後 ミャクミャクグッズを求めて 大丸5Fの公式ショップに向かいましたが 整理券方式で 1時間30分待ち その次に 新大阪駅在来線改札内駅マルシェのコーナーは 待ち人なしでしたが めぼしい ぬいぐるみ キーフォルダーは売り切れ。 それではと 新幹線23番24番ホーム上の公式ショップにも行ってみましたが、万博会場が移動したような行列で 結局断念しました。。。 ただ これらのショップは11月まで空いているそうなので 熱が冷めていなかったら 行こうかと思います。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 早岐駅での撮影の後の行程だけは、思い出しました。

 

早岐駅で撮影した後は、現在は第三セクター鉄道になっている 松浦線を乗りつぶしに行きました。 早岐から有田駅に向かい 伊万里駅を通って反時計回りで佐世保駅へ出ました。 佐世保からは、時間を潰しながら 小倉駅へ向かい 小倉では事前に調べていた駅前付近の銭湯に行ってサッパリしてから 門司港に向かいました。 

この日の宿は、急行日南号。最初は自由席利用のつもりでしたが 座席夜行連泊の疲れには耐えきれず B寝台に乗って 西鹿児島まで向かいました。 急行日南号の門司港発車は 22時50分、 自由席車だと 小倉からは遅めの通勤客と一緒になってしまいましたが、寝台車の方は ガラガラだったように思います。 宮崎発車は 6時21分、ここからは普通列車2541レになり 朝の通勤通学列車になりますが、やはりB寝台車の方は 静かなまま。 ヒルネ状態で 9時16分終着の西鹿児島までゆったり過ごしたように思います。

 

西鹿児島駅。ホームの時計を見ると10時20分ごろ。 快速錦江2号宮崎行。車両自体は、川内駅始発の普通列車で 西鹿児島駅で20分ほど停車している間に列車番号が変わって 快速錦江2号になりました。  錦江湾に浮かぶ桜島の噴火を模したヘッドマークが付いていました。 

 

快速錦江1号で西鹿児島に到着した編成。 最後尾が グリーン車改造のクハ455-610号車。1時間後の折り返しで 快速錦江4号になるはずだったんですが ヘッドマークが付いていませんでしたね。 

 

この後は、西鹿児島11時26分発 指宿枕崎線普通745Dに乗車。錦江湾から桜島を眺め 開聞岳の横を抜け 2時間半 着いたのは、

終点の枕崎。 現在もこの駅名標残っているんでしょうか?

 

乗車してきた745D。 折り返し時間は、わずか4分。 駅前を散策する余裕もなく この列車に乗って戻りました。

当時のダイヤでは 山川ー枕崎間、1日6本の運転でしたが 日中の明るい時間に往復できるのは、この745D~758Dだけでした。 朝は 西鹿児島5時20分発で 次が6時間後のこの列車。その次は3時間半後の15時過ぎ、枕崎から帰りは この列車を逃すと 4時間後の夕方17時46分までなかったので仕方なくこの列車で折り返しました。 行きも帰りも このキハ58-726に乗車。 山川ー枕崎間は、そんなにスピードが出ていなくても 上下左右に激しく揺れていた記憶があります。 真ん中は、キハ20。一番前は、キハ40ですね。

 

往復5時間近くかけて戻ってきた西鹿児島駅に またこの列車が停車していました。

さようなら大隅線の旅 大隅半島一周号。 日本国有鉄道 鹿児島鉄道管理局。 

 

数日前に朝の西鹿児島駅でも撮影した さようなら大隅線の旅 大隅半島一周号。

前回の列車は 主催が 鹿児島駅となっていました。

後は、国鉄色 後期型パノラミックウィンドウのキハ58でした。

多分ダイヤは一緒で、主催が駅や鉄道管理局となって 数日間にわたって運転されていたようです。 

 

この後は、あまり覚えていないのですが、 また夜行の今度は、「かいもん」自由席で北の方に向かいました。

 

急行かいもんを 早朝博多駅で下車。 香椎線に乗りに行ったような気がします。

多分 香椎線のどこかの駅で撮った一枚。キハ31+キハ47+キハ58の3両編成の普通列車。

 

その後は 鹿児島本線を北上 八幡駅にて。

博多行きの415系1500番台とキハ47の並び。 キハ47は、筑豊本線からの八幡止まりの普通列車で折り返し 直方方面に戻った列車です。

 

そして 小倉駅。

ローズピンクの交直流近郊型電車 普通門司港行。 

先頭は、クハ421-83でした。 同じクハ421でも 低運転台の初期型は引退していましたが、高運転台車はまだ現役でした。

 

 

 続いて 日田彦山線にを完乗して 日田駅。 

左のキハ66が 小倉から乗ってきた 普通735Dです。日田彦山線は、 2017年の豪雨被害で 南側の添田駅ー夜明駅間が被災し BRTバス輸送に転換されてしまいました。 しかし この区間の山の斜面をのんびりと下る風景を ゆったりとした転換クロスシートで乗り通せたのが強く印象に残っています。 

 

日田彦山線完乗の後は、門司港に戻り その夜は、急行かいもんに自由席に乗車。早朝の西鹿児島駅に戻りました。 急行日南の方は、比較的全区間空いているのですが、急行かいもんの場合は、博多からは 新幹線乗り継ぎ客などで自由席はほぼ満席になって 熊本付近までは混雑している印象でした。

 

西鹿児島からは、普通国分行に乗車。 錦江湾の向かい側 朝焼けと桜島を一枚。山頂右端から 噴煙がたなびいていました。

 

国分駅には 7時22分に到着。国分駅からは、いよいよ 私も大隅線に乗りました。この大隅線 なかなか乗り潰し派にとっては、乗るのに難しく、国分駅からだと これから乗る7時26分発626D志布志行のあとは、13時46分発までなく 国分発の午前中は、この7時26発のみ 次の13時46分発かは、15時24分17時36分18時20分21時2分発大隈境行6本のみでした。 本数的には、鹿屋ー志布志間の方が多かったようですが、全線を走る列車は 5本しかなく、志布志から乗るにも国分から乗るにも日中に乗ろうとすると2本ぐらいしかありませんでした。

 

国分駅から1時間30分途中の古江駅にて 行き違い待ち合わせのために停車。

国分駅を発車後 桜島の東側を通って古江駅に到着。 車内は、マニア以外にも比較的地元の方も乗っていた印象があります。

 

そして やってきたのは、キハ20の2両編成普通垂水行。乗車してきた志布志行普通は、古江までに大隅境駅と垂水駅で国分方面への列車と行き違い この列車が3本目の列車となります。 この列車は日豊本線との接続駅国分までは行かず、垂水駅止まり。まだ朝の9時なのですが、次の国分駅まで行く列車は、13時過ぎまでありませんでした。西鹿児島への快速大隅や 宮崎への快速佐多も走っていましたが、日中は、列車がほとんど走っておらず非常に利用しづらい路線でした。

 

列車は この古江駅付近からガラガラになり 鹿屋駅を出て 大隅半島を縦断すべく山間部に入ってから 徐々に地元の方が増え始め 志布志に着く頃には、満席になっていました。 鹿屋ー志布志間は、列車本数も倍増し一定の支持はあるようでしたが この乗車直後に廃線となりました。

 

国分駅から 3時間 10時23分に志布志駅に到着しました。

鳥居型の駅名標。 志布志駅には 1987年のこの時は、3方向から大隅線と都城からの志布志線、宮崎からの日南線が乗り入れる南九州のターミナル駅でした。

 

そのためか 駅の南西側には 志布志機関区が広がっていました。

その 大隅線と志布志線は1987年3月で廃線。志布志機関区もなくなり 志布志駅は 日南線の終着駅となっています。

 

この後 日南線に乗って宮崎方面に向かい 大淀川鉄橋で撮影しました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は 九州の西 早岐駅からです。  

早岐駅付近には、早岐客貨車区があってその敷地付近から撮影しました。

 

寝台特急あかつき号。ED76-77牽引。営業運転時に撮影したのかと思いましたが

佐世保駅に終着後 この早岐客貨車区に戻ってきて 夕方まで留置されるために入れ替え作業中のところでした。

この時期には、九州島内でも寝台特急にはヘッドマークがついていました。 14系15型での運転で2両目に座席車オハ14が連結されていました。 この車両 後のレガートシート車ではなく 4列簡易リクライニングシートの普通車指定席車で 1986年11月に連結開始、4年後の1990年に長崎編成にレガートシート車が連結された時に外されました。

 

車両基地にバックしてきた あかつき号。

 

早岐駅に到着する 特急みどり1号佐世保行。 画面左方向が 早岐駅になります。

特急みどりは、 1976年に長崎本線 佐世保線の電化が完成と同時に走り始めた佐世保行特急です。 今では 4両編成の特急は、当たり前の存在ですが、 国鉄時代の1970年代半ばでは、4両編成の特急は異例でした。 しかし 博多ー肥前山口間は、長崎行 特急かもめと併結されていたので肥前山口までは 12両編成と貫禄のある特急でした。

 

特急みどり号は。早岐駅で5分の停車後 スィッチバックして佐世保駅に向かいました。 

 

特急みどり6号博多行きです。 ほぼ日中1時間おきに運転されていた みどり号は、上下の列車が この早岐駅で行き違っていました。 発着番線は固定されていたと思いますが、 上り下りの同じ名称で同じ編成の特急が ほぼ同じ時間に同じ方向から到着して 同じ方向に発車していくというややこしい状況でした。 

4両編成ですが、博多方先頭ボンネット車は、全室グリーン車のクロ481になっていました。

 

早岐駅の外れの留置線に眠る車両。 この車両を撮影するために早岐駅にきました。

低運転台のクハ421。 1960年に登場した 交直流近郊型電車の初期型先頭車。153系急行電車の初期型と同じ 低運転台車でした。 この初期車は、JRに継承されることなく廃車が決定していて この時期はすでに運用から外れてこの場所に留置されていました。 

低運転台のこの車両が留置されているのを雑誌で知って訪れました。

 

片側両開き3扉セミクロスシートの近郊型と呼ばれるスタイル。 そのスタイルは 直流型111系113系が有名ですが、元祖は、1960年に登場したこの401系421系の交直流型電車の方でした。 ちなみに111系は、1962年の登場だったそうです。

 

ホームに戻って 発車した715系。

普通鳥栖行。 逆光なのが残念なのですが、クリームに緑の帯の国鉄色塗装です。 1984年登場から2年ぐらいは、715系はこの緑の帯の塗装でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。朝晩がめっきりと涼しくなってきて 過ごしやすくなってきました。 昨日(5日)の夜 月が綺麗に見えていたので ひさびさに撮って見ました。

 

シャッタースピード遅めで 輝く 月。 昨日は 満月の二日前 十三夜の月だったそうです。 左側が若干陰っていました。

 

シャッタースピードを上げて 適正露出。 クレーターがはっきりと見えて いつまでも見ていられますね。

 

ちなみに 中秋の名月 というのは 旧暦の8月15日の夜の月に当たるそうで その日が 今日になるそうです。今日の月の出は、16時41分(東京)です。

ただ 今夜の月は、満月の一歩手前だそうで 満月になっているのは明日(7日)の夜だそうです。

 

ところで 先月9月8日の満月の日は 3年ぶりの皆既月食がありました。

明け方4時過ぎ 目が覚めた時は うっすらと地球の影から出かかっていました。

暗いと なかなかAFや露出が難しく クリアな画像は撮れませんでした。

 

 

次の皆既月食は、来年2026年3月3日 20時〜21時にかけて 東の空で起きるそうです。 絶好の時間帯なので 楽しみに待ちたいと思います。
 
御覧頂きましてありがとうございました。
 

皆さん こんにちは。 3回前の1987年博多駅の記事の続きになります。 というか 博多駅の記事では 最後に大阪駅に帰りましたが、今回は、その時の乗り鉄旅行の始まりの部になります。  ややこしいですね。

 

1987年3月の乗り鉄旅 おぼろげに思い出しました。 旅の始まりは、関東に引っ越した友達を訪ねて 東京に出向き 都内の私鉄などを撮影後 記録を残していないので 本当によく覚えていないのですが どうも 急行かいもん号で 早朝の西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)に降り立ちました。

 

特急有明10号博多行。西鹿児島駅6時54分発で博多には 11時23分に到着していました。

現在だと 6時56分発のさくら542号があり 博多を通り越して 新大阪に10時59分に到着してしまいます。新幹線は早いですね。 特に 熊本ー鹿児島中央間の時短効果が大きいようですね。 現在だと45分ですが、今の肥薩おれんじ鉄道を走っていた 当時の特急有明号だと 熊本までで3時間ほどかかっていました。

 

博多方先頭車のクモハ485。 トイレ洗面台部分を後方に移設して運転台を設置した中間車改造の先頭車。

乗務員扉と客用乗降口の間に トイレ窓と表示幕があるのが特徴でした。

 

九州地区のジョイフルトレインだった キハ58系らくだ号。

 

そのらくだ号を使用した 団体臨時列車 さようなら大隅線の旅号。

この1987年3月のダイヤ改正で廃止された 日豊本線国分駅から分かれて 桜島の東側を通って 鹿屋から志布志駅までを結んでいた大隅線をめぐる お別れ団体列車でした。 何日間か数日運転されたようです。

 

普通宮崎行。クハ455-600番台。

 この車両も短編成化用の改造車でした。中間グリーン車を改造した先頭車も多く存在し 一段下降窓のサロを改造した車両もありました。 かなりバラエティー豊かだったと思います。  車内は、出入り口付近はロングシート 真ん中は、リクライニングシートを向かい合わせ固定のボックスにしていました。

 

東洋のナイアガラ 曽木の滝。 あまり観光地を行くことはないのですが、この時は、ガイドブックで見て 行ってみたいところだったので訪問しました。

今は廃線となった、肥薩線の栗野駅と鹿児島本線の水俣駅とを結んでいた 山野線。 その山野線の中心駅だった、薩摩大口駅から バスで20分ぐらいの所にあります。

 

この時は、3月上旬の平日という事もあり、他に観光客らしき人も無く 少し寂しかった記憶があります。水量が多いともっと迫力のある風景になるようです。 

 

 

現在 曽木の滝に行くには、公共交通機関はなくなったようで、 九州新幹線 新水俣駅から 車で45分などとなっていました。
 
キハ52。撮影場所不明。 おそらく 水俣駅かと思います。 当時の時刻表をたどると 曽木の滝を見た後に薩摩大口駅に戻り そのまま 山野線普通の430Dに乗って水俣駅に向かったと考えられるので。 

その後鹿児島本線の普通列車に乗って 熊本駅に。

熊本駅16時35分発 寝台特急はやぶさ号 東京行。

やはり 東京発着のブルートレインは、長大編成で貫禄がありますねえ。 電源車

の前が A個室寝台のオロネ25 その2両を含む後ろの7両が 当時の日本最長距離を走る寝台特急で 西鹿児島ー東京間を走破。 その編成の前に熊本から 食堂車とロビーカーを含む8両を連結して 総勢15両の青い客車と電気機関車で東京に向かっていました。

 

地平時代の熊本駅の西側には、熊本機関区がありました。

入れ替え作業中の気動車3両編成。 手前のステンレスの青帯気動車は、キハ31。

国鉄末期1986年頃に製造された 軽量ステンレス車体に ドアや冷暖房装置にバス用の部品を多用して コスト低減を図った 一般型気動車で 九州地区にのみ20両ほどが製造されました。 車内は、1+2列の新幹線0系の廃車発生品の転換クロスシートが設置されていました。 

 

ネガの次の一枚が いきなり別府駅です。

キハ58系普通のタウンシャトル。 急行由布号の間合運用。
 
大分発別府行きの普通列車で 大分ー別府間の都市圏ダイヤの一翼を担っていました。
 
確か急行火の山3号 別府止まり。 急行火の山号は、 熊本と大分・別府間を豊肥本線経由で結んでいた急行列車で この写真は、 別府に到着した 火の山3号の車両が 大分の基地に回送されるところだったと思います。
 
御覧頂きましてありがとうございました。
 

皆さんこんにちは。 最後に 川西能勢口駅の状況です。

 

4号線 能勢電鉄ホーム。設置工事の関係から 電車の停止位置が 梅田・日生中央方面に約1両ほどずれました。

 

先端から2両分で区切られて 以前あった 喫煙室も行けなくなっています。

 

柵付近から撮影。 梅田方面3号線ホームは まだ 補強工事の段階。

 

1・2号線ホーム。 ほぼ工事が完成していました。

 

それもそのはず。

11月20日木曜日 始発より稼働するようです。

 

年内には、3号線4号線にも設置が完了するようです。

 

話題かわって 車内ポスター。

今年だけの組み合わせ。

 

2025年を代表する出来事ですね。

 

この流れで 車内の中吊りを撮ってみました。

マナー啓発。

 

星のカービィ。

 

阪急沿線などのイベントPR。

 

能登半島応援。 阪急沿線以外のPRポスターも見られます。

 

最近は、あまり見かけなくなった 商品宣伝ポスターもありました。

ビール新発売! こちらは 裏表一枚でした。

 

阪急バスも。

 

以上が 現在の阪急車内の標準バージョンでした。

 

宝塚駅の階段にはこちらが。

歌劇ではなく 梅田芸術シアターの演目ですが、 確か 卒業された方の公演ですね。 このポスターが壁両面に貼られいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 先日 帰宅時に宝塚線を回って 豊中駅 石橋阪大前駅 川西能勢口駅のホームドア設置状況などを見てきました。

 

と その前に 早朝の宝塚駅。

自動改札機の真ん中に柱がある所。 シンプルに PRiVACEの コマーシャル。

 

阪急アートトリップ 芸術の秋 秋の神戸線沿線 芸術イベントPRキャンペーン。

 

まだ実車には出会ってないのですが、 神戸線に1編成 装飾列車も運転されています。

 

その後 乗車した 6001F車内。

「走る阪急写真館」 阪急電車の新しいイメージPR?

詳しくは 公式HPを

 

ブロ友さんが 紹介されていました。

ブロ友さんは、偶然撮影列車にも出会われたようです。

 

さて それに関連するのか 最寄りの神崎川駅の時計。

マルーンの高級仕様に。 全駅に波及するのでしょうか?

 

フルマルーンに乗って 豊中駅に行きました。

 

駅の宝塚方先端。 ホームの補強状況を見てみると ホーム端から1両分ちょっとのところで仕切られるようです。

 

下りホーム。

 

梅田方部分。 右が下り線 左が上り線。 下りホームは、手前で左に区切られているように見えますが この灰色黒線部分がスロープになっていて ここからホーム先端部分に向かって盛り上がって仮設ホームになっています。

下り列車停止位置はこれより手前になりますが、上り列車はホームタンマですsみます。

ホーム端部分。 この位置までに柵ができるのかも知れません。

 

続いて 石橋阪大前駅に。こちらは すでにホームドアが稼働しています。

 

下り方の梅田方部分。 かなり窮屈です。 中津駅などはこんな感じになるのでしょうか。

 

急行大阪梅田行6007F。 駅撮りはギリ可能。

 

宝塚行ホーム中程付近。

 

下りホームの先端。 上り電車は停車中です。

 

発車した普通大阪梅田行。 

 

完成した ホームドア。 もちろん ホームタンにはいけません。

 

ところで 6月は こんな感じでした。 4ヶ月で完成したみたいです。

 

つづく。

 

御覧頂きましてありがとうございました。