皆さんこんにちは。 1998年というと最近のように感じるのですが、もう27年前になりますね。 1990年代前半は臨時列車も多く走っていた大阪駅近郊ですが、この時期になると 仕事も忙しく撮影対象も減って出かけることが減りました。

 

環状線外回り 天王寺行。 ずっと走っていた オレンジの103系。1969年から2016年まで47年間走っていたようです。

 

 

新快速3605M 姫路行。

 

 3605Mは 最後の117系新快速運用で1日1本のみの運転でした。 前の6両は、福知山色の300番台。

 

後は 新快速色の100番台車。中間の2両が福知山色になっていました。

 

ヘッドマークも、223系に合わせた 青い文字に変更されていました。

 

117系が新快速として走っていたのは 1980年から1999年までの19年間でした。

 

現在では 117系というとこの列車しか走っていないようですね。

 

 

よく考えたら 実車をまだ撮影していませんでした。

 

快速1723M 網干行。 この列車の始発駅は JR東海の大垣駅でした。 大垣駅へのJR西日本車の乗り入れは、この時期 夜間の大垣行と 早朝の大垣発の3往復でした。

この列車の次の大垣発の列車は、ムーンライトながら の接続列車でした。

 

113系に埋もれていましたが 少数ながら 115系も運用についていました。

後ろの先頭車は、クモハ115-6539号車。

1982年伯備線電化時に新製された車両で、乗務員室の後ろに鎧窓があるのが特徴です。寒冷地線区向けの耐寒耐雪設備を搭載した車両でした。

 

環状線外回り 京橋 鶴橋 方面行。 ヘッドマークは、Loop ack ? 環状線って意味かと思ったのですが 違うようです。 青色バージョンもありました。

先頭車は、スリー1の クハ103-111号車でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

追伸。 前々回の記事で夢洲駅を取り上げましたが、その後 万博関連の装飾物は順次取り外されているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回 夢洲駅を訪問した記事を投稿しましたが、夢洲駅に行く前に 環状線野田駅で 通勤特急らくラクやまと を撮影に行ってきました。

通勤特急らくラクやまとは、10月14日のダイヤ修正から、特急まほろば号用リニューアルされた 683系6000番台「安寧」「悠久」編成に置き換えられました。

通勤特急ながら 一段豪華な車両に乗れる乗り得列車になりました。

 

7時40分頃に 野田駅の南端に着くと 先客が一人 8時ごろになるともう2人きて 4人で撮影しました。 以前だと 平日の朝などは誰もいないことが多かったのですが、 最近は撮影対象が減って デジカメが普及して 撮影する人も増えたのでしょうね。

 

まずは 現在の大阪環状線の主役 323系。

 

NINTENDO スーパーマリオワールド ラッピング車。

 

ふと目に止まった 「ゆ」の看板。

 

225系普通大阪環状線 天王寺行。 阪和線からの直通快速。

 

そして徐行でやってきた 特急はるか7号関西空港行。

信号待ちで停車しました。 前3両271系 後が281系。

 

221系普通大阪環状線が先行。 この列車は 奈良からの区間快速。

 

信号が変わり 発車。

 

ダイヤ乱れの影響で 西九条駅で 特急くろしお6号と並びました。 

 

特急くろしお6号新大阪行。 この日は、スーパーくろしお復刻塗装車でした。

 

そして 次は、らくラクやまとかと思いきや 背後から列車がやってきました。

1時間ほど 遅れてきた 特急はるか3号でした。

この日は、早朝JR琵琶湖線内で信号故障があって 草津駅始発のはるか3号は、かなり遅れていました。

はるか3号の右に 「悠久」編成が信号待ちしていました。

 

9月に運転開始した直後の 特急まほろば号用リニューアル編成の「悠久」編成。

 

特急らくラクやまと 新大阪行。  豪華ですねえ。。。

 

ところで 今年の6月に 置き換えられる前の ノーマル287系で運転されていた

らくラクやまと も 撮影していました。

特急らくラクやまと 新大阪行。 くろしお号用 287系の増結編成を使用していました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 プチ万博ロスに落ちている 管理人です。

先日 夢洲駅をのぞいてきました。 関西万博には 5月に一回行ったきりになってしまい 8月のお盆の頃に9月の予約を考えている間に行きそびれてしまいました。

5月に行った時は 西ゲートを利用したので 今回は 初夢洲駅となりました。

(お詫び 予約投稿時間を間違えて 昨夜に一時的に公開されていましたすいません)

 

ところで 皆さん こちらをご存知でしょうか?

日本絵画で 盆栽?の絵かと思ったら よく見ると 『夢洲』。

夢洲駅利用の方は、行きは 入場することに気が入ってしまって 振り返ることはなかったのでは? そして帰りは混雑で降りることに精一杯でこれに気づかなかった方も多いのではと思います。 これを撮影した場所は。

構内から地上への大階段。これの向かいの壁にありました。

 

10月25日に訪問された方のネット動画では、この「盆栽 夢洲」も撤去されてしまったようです。

 

駅構内に戻って ホームから改札階に上がりました。

改札機の列。閉幕後の後処理の関係者の方の利用が中心ですが、閉幕後 万博ロスで訪れる人も 私みたいに多数おられました。

 

この右手に大型スクリーンがあります。

このスクリーンは、スポンサーの広告が流れているのですが、 その中で話題になっているのを動画で撮ってきました。

 

 

 

ミャクミャクが 催促していました 🤭

 

改札を出ました。

正面に券売機。

その右に ローソン。 結構狭い店でした。 会期中は大混雑だったようです。 現在は、会場で働く人々などの利用が多いようです。

近づくと 「何か 誤用でしょうか?」と話しかけられました。

 

階段を上がりきったところ。 正面はパネルで封鎖 関係者以外はそれより先に進めませんでした。

 

今後 跡地の開発などが進んで このえきが再び混雑することはあるのでしょうか?

 

壁の向こうに 東ゲートの屋根が見えました。

 

駅舎の東側。 やはり広大なゲート前広場は見えませんでした。 会場を移すライブカメラを早朝からよく見ていましたが 早朝からこの場所に多くの人が走り 並んでいましたね。

 

突き当たりまで行きました。 

駅舎の反対側は コンコースに降りるエレベーターがあります。

 

ゲートの正面。 こちら側は、会期中からの黒い金網の柵だったのが そのままになっているので ゲート前広場などが見られます。 皆さん ここまで歩いてこられて写真を撮られていました。

 

望遠で。

同じく望遠で大屋根リングを。

 

ライブカメラが設置されていた 横浜冷蔵の建物。

 

確か カルバートと呼ばれていた外の道路とゲート前広場への入り口。会期中夜間はこのように封鎖されていました。

開催期間中は、深夜から?ここで並んで待ち 朝4時30分ごろの開門と同時に広場に入り 夢洲駅横の場所に毎日並ぶ常連と呼ばれた人々がいました。 大阪メトロの始発は、5時40分ごろに夢洲駅に着くので それまでに並べるので夜中から待っていたようでした。 そして会期末期 当日引換券を求める人々が多数集まってニュースになっていたのもこの場所です。ここから 高架道路を左手に曲がってずらっと テントや寝袋で徹夜組が多数いました。

 

その高架下から。

隣の舞洲に渡る 夢舞大橋と清掃局の煙突 とEXPOの旗。  JR桜島駅などからのシャトルバスは この橋を渡っていました。

 

これも見納め。

 

東の端まで来ました。 この先は進めませんでした。

左の道路は、コスモスクエア方面に通る 夢咲トンネルに繋がっています。 大阪メトロもこの下を通っています。

 

夢洲駅舎。

 

続いて 駅まで戻って 駅舎の西側に。

正面に大屋根リング。 この辺りの部分が、保存されるのでしょうか?

 

西ゲート方向。

改めて見ると 本当に巨大な構造物ですね。

 

手前のフェンスに 外の道路に出られる出口があって 外には関係者以外出れないのですが 警備員さんに断って その出口の網のないところから撮らせてもらいました。 それでももう一つ柵はあるのですが。

警備員さんから 万博にはこられたのですかと 声をかけられ しばらく会話が弾みました。 やはり 万博のスタッフの方々は気さくな方ばかりな感じですね。

 

これを最後に変えることに。

 

帰りの電車は 大阪メトロと相互乗り入れしている 近鉄7000系 そのトップナンバー車でした。 1984年登場の40年選手。 大阪メトロの方の同期にあたる20系は 去年2024年に全社引退してしまいましたが、こちらの方は 後継車両の発表はないようです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 根府川駅からは 熱海を通り越して 富士駅まで来て 身延線に乗りました。 この辺りの写真は全くなく 沿線の印象としては 西富士宮までは市街地を走っていて そこからは山間部に分け入って行った感じでした。

 

甲府駅に到着。

甲府駅に停車中のクモユニ143 です。 昭和56年7月近畿車両製造となっています。 1981年のなので新製直後ですね。

身延線の旧型国電を115系に置き換えた際 同時に製造された 郵便荷物合造車です。1980年代前半は 地方線区でも鉄道郵便配送が行われていたようです。 ワインレッドに白い帯は、身延線色です。

 

乗車してきた 115系2000番台車。

身延線専用で新製された車両でした。 新造車でしたが、クーラーの搭載はなく 冷房準備工事車となっていました。

 

甲府駅からは、中央本線上り普通電車に乗って 東京駅に戻りました。

甲府からの普通電車の終点だった 立川駅か八王子駅だったと思います。

 

183系 特急あずさ。

ここからは、中央特快に乗って 東京駅へ。 東京駅では、そのまま 9番ホームへ行き 大垣夜行の席取り合戦に参戦。小田原過ぎたあたりで ワンボックス二人ぐらいになったように思います。 翌朝は、まだ真っ暗な5時40分の大府駅で下車。

武豊線の乗りつぶしに。

武豊駅の駅名板。早朝の武豊線は、真っ暗であまり印象にありません。

 

次の写真は ホームの縦長の駅名板から 岐阜駅で撮影。

多分 特急ひだ3号高山行。

この間 写真がなく 記憶が曖昧なのですが、名古屋駅からは 中央西線の普通中津川行に乗って 多治見駅で下車 そこから 太多線の乗りつぶしに向かい。太多線の終点美濃太田からは高山本線上り普通で岐阜駅に到着、着いた直後の車内から撮影したようです。

 

岐阜駅からは、東海道本線を西に。 米原を超えて 大阪に帰る前に もう2路線乗りました。

 

柘植駅です。 草津から乗ってきた 草津線の113系。

 

ホームの反対側で、関西本線の上下列車と接続。 左側のキハ40他の普通奈良行が先に発車。

 

続いて 普通亀山行も発車していきました。 こちらは ロングシートのキハ35系列の4両編成でした。 このキハ35系列は、関西本線(今の大和路線)の電化前 湊町(JR難波)ー天王寺ー奈良間の通勤通学輸送に活躍していたそうです。

 

もう一度113系の写真。

右にレッドトレイン50系が昼寝しています。

1983年の時刻表より。

草津線のページ。 50系客車の普通列車が2往復走っていました。上りの普通は、1本は亀山始発 加太峠を越えて草津線を経由して京都行。 もう1本も柘植始発の京都行で朝の通勤通学輸送に特化した列車でした。1980年代前半 まだ東海道本線を客車普通列車が走っていました。

京都に到着した編成の1本は、回送で草津に戻り 草津発の2730レで柘植に到着、翌朝の2729レまで留置されていたようです。

残りの1本は、夕方の2746レ京都発柘植行となり 柘植到着後は 亀山まで回送されていたようです。

 

話がそれましたが、柘植からの帰りは、草津線を折り返し 途中で貴生川線を往復 してから 帰途につきました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 大垣からは 駅付近で銭湯があったのかあまり覚えていないのですが、待合室などで休憩し 早めにホームに 並ぶ人はなく容易に席を確保できました。

翌朝4時40分に東京到着。 次に乗車したのは この列車。

185系使用 6時4分発の 普通熱海行に乗りました。 大垣夜行の折り返し 165系使用の静岡行などを見送って 早朝の東京駅で1時間半ほどぼっとして185系に乗りました。

小田原付近までは、がらがらで、快適に惰眠をむさぼりつつ2時間の185系普通を堪能しました。

 

7時57分に熱海に到着して すぐに撮影しました。

寝台特急あさかぜ4号。

 

乗車してきた 185系。

 

折り返しも 普通電車で東京駅に戻りました。 東京到着後は 特急踊り子7号に。

 

熱海駅からは 伊東線を往復します。

伊東駅にて 特急踊り子2号東京行。  185系の投入当初は、153系急行伊豆号で運用されていた列車を特急に格上げして運転されていました。 踊り子号改称前の 伊豆急下田行特急あまぎ号の,3往復分は、特急踊り子号になってからも183系で運転されていました。 国鉄特急色の踊り子号はこれだけしか撮っていませんでした。

 

伊東駅で撮った 伊豆急100系電車です。 国鉄乗りつぶしがが目的でしたので、 伊豆急は撮っただけで 伊東線を折り返しました。

 

熱海駅に戻ってからは 根府川駅に。 鉄橋が有名ですが 撮影地まで行く余裕はなく渡っただけで駅で撮影。

113系下り普通熱海行。

 

特急踊り子3号伊豆急下田・修善寺行。

 

寝台特急さくら 東京行。 

 

さくら号を撮影後は 次の目的地に移動するために下り方面の列車に乗りました。

熱海で乗り換えて 丹那トンネルを抜けて 三島駅付近で 富士山を初めて撮影しました。

 

この後は身延線に乗ります。

 

つづく。

 

ところで 先日 JR東日本の秋の臨時列車情報で 東京ー御殿場駅間で 特急「Mt.Fuji御殿場」号が運転されると知りました。10月13日と26日に1往復の運転だそうですが、 1983年は その先代となる列車がまだ走っていました。

時刻表のちょうど真ん中です。 急行東海1号静岡行+急行ごてんば1号御殿場行。

東京ー御殿場間1日2往復運転されていました。 廃止直前は 急行東海号が、グリーン車2両組み込みの12両編成。 急行ごてんば号は、自由席4両編成で 併結区間の東京ー国府津間では、東海道本線最長の16両編成で走っていたそうです。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 前回 夜行普通列車 山陰号に乗車して 早朝の京都駅に到着しました。 京都駅からは、4分の接続で 5時28分始発の普通922M米原行に乗り 米原乗り換えで 7時過ぎに大垣駅につきました。

 

普通223M美濃赤坂行。117系6両編成でした。

1979年 阪急6300系京阪3000系などに対抗すべく 京阪神地区新快速用としてデビューした 117系は 1982年名古屋地区でも 快速列車で走っていた153系を置き換えて デビューしていました。

 

心霊写真ではないと思います。 終点の美濃赤坂駅で車内から鳥居型駅名標を撮影。

ところで この時の乗り継ぎ旅は 青春18きっぷを使って 夜行3泊4日の行程でした。 その中で 核になった一つが この美濃赤坂支線でした。

1984年9月号時刻表から

当時の美濃赤坂支線は、朝3本 昼1本(土曜休日のみ運転)夜5本しかありませんでした。 なんと8時代の225Mを逃すと 平日は夕方まで列車がなく 乗り潰すには難関線区でした。  ホテルに泊まるとか 新幹線を利用することは論外でしたので その答えが 京都駅始発の列車から乗り継ぐという方法でした。 それに乗るには、夜行「山陰」号に乗ることとなり となると前日は 山陰地区にいなければいけなくて 結果として 逆算していくと 大阪6時始発の快速で西に向かい 姫路乗り換えで 赤穂線 伯備線 大社線を乗りつぶして 夜行「山陰」に乗るという旅程になりました。

 

大垣に戻って 次に乗車したのは こちら。

当時は 国鉄樽見線と呼ばれていました。 (現在は第三セクター樽見鉄道となっています)

その樽見線929Dに乗ります。 とその前に途中下車して駅前散策。

当時の大垣駅舎です。

 

929Dは 4両編成でしたが、ガラガラ 40分ほどで終点に。

現在は、中間駅の神海駅となっていますが、国鉄時代は、終点の美濃神海駅と呼ばれていました。

 前の2両は、キハ20の前面にキハ28と同じような片側2扉の車体だった キハ26形で 以前は準急列車として運用されていた車両でした。

 

これも心霊写真ではありません。 後の2両は、当時最新型のキハ48系でした。40系列気動車の一つで 片運転台片開き2扉デッキ付きの車体でした。 これの両運転台がキハ40。両開きデッキなしが キハ47です。

 

キハ48の台車。寒冷地向けのキハ48には、空気バネ台車が使用されていました。

ところで 美濃神海駅のホームは、3両分ぐらいしかなく 列車の両端の扉は、完全にホームから外れていました。 ホームがないのに扉が開いてます。

 

帰りは、エアサスの効いたキハ48の方に乗って 大垣駅に戻りました。

次に乗ったのは 117系快速浜松行に乗車。 当時の名古屋地区の快速は日中大垣ー浜松(豊橋)間に1時間に1本の運転で その117系快速には、山と海を背景にした専用のヘッドマークがついていました。

 

117系快速の終点浜松駅で 普通460Mに乗り継ぎ 掛川駅で降りました。 そこからは 現在の第三セクター天龍浜名湖鉄道になった 国鉄二俣線に乗車しました。

二俣線は、浜名湖の北側を 東海道本線の掛川駅と新所原駅を結ぶ路線です。

 

二俣線に乗って おそらく 佐久米駅付近。

浜名湖の湖岸すれすれに走り 目の前を東名高速道路が通っていました。

 

2時間ほどかかって新所原駅に到着しました。 奥が乗ってきた キハ20系。

 

ちょうど通過した EF65 0番代牽引のコンテナ列車。

 

新所原駅からは 今夜の寝床を確保するために大垣駅に戻ります。

名古屋地区の夕方は、普通列車しかなく 新所原16時42分発の普通大垣行に乗車しました。

途中の豊橋駅付近の機関区に停車中の119系近郊型電車を車内から撮影。 国鉄が飯田線の旧型国電置き換えように製造した形式で 飯田線でしか見られませんでした。

 

新所原から 2時間10分 ラッシュ時間帯の窮屈な113系に揺られて 疲れ果てた頃に19時前に大垣駅に到着しました。 多分 駅近で食事をして 銭湯があったかは覚えがないのですが、待合室で少し休憩してから 発車の30分前ぐらいにホームに向かい340Mを待ちました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。1983年の春休み 国鉄チャレンジ20000km に 挑戦していた時の青春18きっぷ使用の乗りつぶし旅です。 乗ることに専念していたので 写真は少なめで ピンボケが多い写真です。

 

早朝の姫路駅です。 大阪駅を始発6時の快速721Mに乗りました。

到着したホームの向かいに新大阪行の寝台特急が停車していました、かなりのピンボケですが、 グリーン車 サロ581とその前が食堂車サシ581です。 食堂車は日営業でした。

 

発車しました。 寝台特急彗星4号新大阪行でした。

 

姫路駅では 関西万博で究極の駅そば店を出店して有名にもなった まねき食品の 駅そばで朝ごはん 115系に乗り継いで岡山へ。 

岡山からは 普通927Mに乗りました。 927Mは 岡山発の米子行で所要時間4時間40分かかりました。 その途中の駅(不明 新見駅?)で 行き違いの 381系特急やくも号を1枚。  伯備線は、この前年(1982年)に電化されました。 まだ ピカピカの新型特急だった381系です。

 

米子からは 普通285Mに乗り換え。 伯備線電化と同時に電化された米子ー出雲市間の区間運転に一日4往復115系電車が走り始めました。 

多分 途中の荒島駅で キハ82系特急まつかぜ4号新大阪行と行き違いました。

 

寝台特急出雲4号東京行。 出雲市駅で撮影。

出雲4号は、浜田駅の始発で この出雲市駅で食堂車を含む付属編成を連結して東京駅を目指しました。 この列車も最後の定期寝台特急になりました。

右に停車する20系は 急行だいせんの車両です。

 

次に 国鉄 大社線に乗りました。

大阪発 急行だいせん1号。この出雲市駅で 浜田行と大社行に分割されました。 その分割されて普通163Dになった方に乗車。

 

大社駅の出札窓口だったと思います。大社線は1990年に廃線。 大社駅の駅舎は 国の重要文化財に指定されて 現在も保存されています。

 

この後は、出雲市駅に戻り 19時23分発 普通826レ 京都行に乗りました。

10系B寝台車1両を連結した 夜行普通列車山陰号です。

 

この時は 旧型客車の座席で一夜を過ごしました。

京都が近づいてきて ボックスにも人が乗ってきて目が覚めた 二条駅で一枚。

山陽新幹線開業で余剰になった581系電車が 分散留置されていました。

この後 近郊型の715系か419系に改造された車両群でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。1986年夏の写真です。この年の夏は、7月の下旬から10日間ほど 初めて北海道に乗り潰しに行き その帰り道での撮影です。

 

青森から 夜行列車に乗ったのは確かですが 覚えがありません。多分 急行八甲田。

12番線で回送直前の 寝台特急北陸 EF64-1006号機。

その後は、上野駅で撮影することなく 両国駅に移動。

 

臨時快速 鴨川ビーチ 外房線経由 安房鴨川行。

 

臨時快速 青い海号 内房線経由の館山行。

 

夏の房総半島方面の海水浴臨時列車でした。1970年代の私が小学生ぐらいの頃から、鉄道雑誌などで夏の臨時列車として紹介されていました。 両国駅地平ホームが始発駅で 内房線経由が 「青い海」 外房線方面が 「白い砂」だったと思います。

1980年だいまでの房総半島への海水浴需要は大変大きく、夏休み期間中は 臨時に別ダイヤが設定されるほどでした。

 

1985年7月時刻表から。

外房線の時刻表。

 

内房線の時刻表。 巻頭の付録のページに収録されていました。

 

この後は、どこかに乗り潰しに出向いて写真がなく。

多分 原宿駅。 もしかすると最初で最後の 原宿ぶらりをしたのかもしれません。

 

多分入場券で入った 東急渋谷駅。

 

3枚だけ 東急電車を撮影しました。

 

最後は 東京駅に。

臨時特急踊り子58号。機回しが住んで回送発車待ちの状態でした。 始発駅は、伊豆急下田駅です。 夏の海水浴シーズンには、185系電車だけでなく 14系客車を使用した臨時特急も運転されていました。

隣の113系 ホームと反対側の扉が開いていますね。 まだ 東京駅でもサボ交換の光景が見られました。

同じく1985年7月号

右のページの 普通指定席と自由席のみの踊り子が 14系客車踊り子号。

左のページ 多分週末限定で 14系サロンエクスプレス東京使用の 踊り子号も運転されていました。

 

ところで 踊り子58号の写真で ホームで並んでいるのは、大垣夜行を待つ人です。時刻は20時ごろ。 列車の入線まで まだ3時間以上ありました。

 

寝台特急瀬戸 宇野駅行。 まさか 最後の定期寝台特急になるとは思いませんでした。

この後は、 大垣夜行の行列に私も加わりました。

 375M 普通大垣行。 時刻は、21時頃だと思いますが、 夏休みの最中でも、発車の2時間以上前で 御覧の待ち客で 余裕で座席は 確保できました。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

まずは 1987年4月時刻表から。

東海道本線下り その1から

赤い文字での落書きが 運用形式。左端 品川発の一番列車が 乗車した721M185系。 東京発5時46分 静岡行323Mが大垣夜行の折り返し165系です。東京発の場合は、入線時刻 番線が表記されているので 予想がしやすくなっていました。

次の熱海行725Mは 185系の運用。 729Mは かっこして211系となっていますが、 当時の211系は 登場して間も無くで編成数が少なく 限定運用になっていました。 7時25分発の521Mも185系でした。

 

続いて 上りの時刻表。

右端 721Mの折り返し 784Mが185系で 東京着9時26分12番線に入ります。

 

右端 特急踊り子5号 伊豆急下田・修善寺行。 入線時刻が9時26分 12番線になっています。 こう見ることによって 185系使用の乗り得普通列車を発見していました。  ですので 725Mも521Mも追っていくと 特急踊り子号になっていました。

 

熱海駅からは 小田原駅に移動しました。

箱根登山鉄道 1000形 ベルニナ号。 1981年に登場した第一編成の方です。

当時の箱根登山鉄道45年ぶりの新型電車だったそうです。

 

そのあとは、 念願の小田急鉄道の3100系NSEに乗車。新宿に向かいました。

新宿駅に到着した はこね号。

当時は かなり期待して乗車したのですが、 期待しすぎて 少しがっかりした記憶があります。 阪急電車に比べて 速度が遅く ノロノロ運転で徐行しているのかと思ったら 通常運転でがっかり? そして走る喫茶室も楽しみにしていたのですが、閑散期で ガラガラだったためか 紅茶を頼んだのですが、 あまり良い印象が残っていません。。。

 

新宿到着後は 国鉄中央線に乗って 立川で乗り換えて 青梅線に乗車しました。

青梅線の終点 奥多摩駅。

新宿から113系の普通電車で立川に行き そこから、写真にも写る 103系の非冷房車に乗って奥多摩にきました。 特に印象に残っていないんですが。 駅前に移る バスがすごく時代を感じますね。

 

多分駅構内で入れ替えをしていた EF64-1021号機。

 

普通立川行。 これに乗車して 拝島駅まで戻って 五日市線に乗りました。

 

終点の武蔵五日市駅にて 普通拝島行の新型?201系。

 

この次の行程が思い出せないのですが、最後の2枚。

浅草駅の次の駅 当時は 業平橋駅と呼ばれていた駅で 撮った 東武特急きぬ号です。 今は とうきょうスカイツリー駅と改称していますね。

 

小田急ロマンスカーとともに 図鑑で見てずっと憧れだった 東武特急1720系DRC。

この度は、有料私鉄特急巡りの旅でした。

 

この東武鉄道の特急列車ですが、この時に乗ったのか 写真が残っていないので曖昧なのですが。

朝のけごん号で 日光まで乗ったことがあります。 こちらは 満席で 通路側しか取れず またあまり動き回るのもはばかられてじっと座っていました。 霧の濃い直線線路を疾走していた覚えしかありません。 写真が全くないので この時に乗ったのか覚えがありません。  車内販売を利用した記憶も無く サービスが良いと聞いていた アテンダントさんも確か 一度通り過ぎただけだったような。

こちらの 東武特急も あこがれが強かった分 拍子抜けした残念な印象しか残っていません。

 

この時に乗ったのなら、 日光から帰って来て、 狭い浅草駅を離れて 業平橋駅できぬ号 を撮ったのかと思います。

 

この後 大阪に戻るのですが 帰りは、料金を払って こだま号自由席でゆったり帰ったのかなっと 思います。 座席は 0系転換クロスシートでしたが 小田原付近からは ガラガラで3人掛けを向かい合わせにして 6人分を独り占めで4時間 ゆったりと帰りました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1986年の冬 名古屋から伊豆方面に出かけた記録です。

少しピンボケの写真が含まれます。

 

特急はまかぜ2号 大阪止まり。 この時は、青春18切符を使って出かけました。

この写真を撮った後 おそらく左奥に見える 117系新快速で名古屋に向かいました。

 

名古屋からは、名鉄新名古屋駅に行き 憧れの名鉄特急に乗りました。

確か 終点の新鵜沼駅だったと思います。 この列車に乗ってきました。

1984年に登場した 名鉄の8800系特急型電車で 観光輸送に特化した 豪華な車内設備が特徴でした。 前面展望席は、それまでの赤い7000系と変わって 客室が運転席の上に位置するハイデッカー構造になりました。

 

駅を出て 犬山橋のたもとで撮影。

折り返し 上り特急パノラマDX豊橋行。

 

当時の犬山橋は、鉄道道路併用橋でした。 2000年に隣に道路専用橋が完成して 現在のような形になりました。

この日は、2月の平日の夕方とあって 車内はガラガラでした。

 

ピンボケの 普通新岐阜行。犬山線方面から新鵜沼を通って 各務原線に直通していました。 デボ800型電車だと思います。 1935年から 1996年ごろまで走っていた吊り掛け駆動電車だったようです。

 

パノラマ車ではない 特急西尾行。 当時の名鉄の特急電車は、転換クロスシート車で 座席指定料金300円でした。 ちなみに パノラマDXは 500円となっていました。

 

このあと、ぶらぶらと 大垣夜行の始発駅大垣駅にむかい、165系の372Mに乗って 東京方面に向かいました。  372Mは 大垣駅を22じ15分の発車で、下りの東京駅とは違い ほぼ発車直前でも座席の確保は容易ですが、豊橋付近までは 通勤列車となっているので やはり深夜帯にボックス席をキープしたければ やはり始発から乗るのがベターでした。

 

一夜明けて 早朝4時15分の横浜駅で下車。折り返し 東海道線下り一番電車の721Mに乗りました。 721Mは特急型電車185系の間合い運用で 沼津行。 沼津で折り返し普通784Mになって東京駅に戻り特急踊り子5号になっていました。

その721Mを熱海駅で降りて 伊東線〜伊豆急行と乗り継いで 伊豆高原駅に7時22分に到着しました。

 

伊豆高原駅に停車中の リゾート21。伊豆急2100系電車。

当時の時刻表には、リゾート21使用の普通電車は別記があり、運用変更がなければ確実に乗ることができました。  

写真のリゾート21は、時刻表上では 伊豆急下田発の普通

熱海行 なんですが。 下田からは在来車両で来て 伊豆高原駅で、車両交換し リゾート21で熱海に向かう電車でした

 

伊豆急下田からの電車がつくまでは 車内には誰もいずにましきり状態でした。

珍しく 車内を撮影していました。

 

現像するまで ボケているとは気づきませんでした。 デジカメ時代だと しょこの電車もまとめて撮りまくっていたんでしょうが。


前面展望を堪能して熱海まで乗りました。

 途中の伊東駅では、若干の観光客の乗車があって前面展望席は賑やかになりました。

熱海駅に到着しました。

 この編成は。1985年に登場した 第1号編成で6両編成だったようです。 特急としての東京乗入れもまだ行われていなく、 ロイヤルボックス車も連結されていない頃で。 純粋に 線内の観光客向け普通電車として走っていました。

 折り返しは、普通伊豆急下田行に。冬の早朝 豪華普通列車にじっくりと乗ることができました。

 

つづく。

 

御覧頂きましてありがとうございました。