皆さん こんにちは。 篠栗線を通って博多駅に来ました。

 

 

佐世保からの普通432M博多行。

車両は 715系近郊型電車 山陽新幹線開業などによって 余剰となった寝台特急型電車581系から改造されました。 交流専用の715系は、九州地区と東北地区に。 交直流両用の419系は、北陸地区で走っていました。

 先頭車は 中間車サハネ581から改造の クハ715ー100番台。 103系に似た 横長の3連窓の前面スタイル 元が寝台車のため屋根が高く食パンに似たスタイルが特徴でした。

 

クハネ581から改造の クハ715−0番台。 こちら側から見ると ヘッドマークに 明星やなは が入っていても 違和感ないですね。 前面の特急マークは外されていますが 側面のJNRマークは残っていました。

 

特急にちりん19号 西鹿児島行。 先頭はボンネット車のクハ481-601。

九州地区の特急列車の短編成化 増発のために不足する先頭車を補う為  余剰だった グリーン車のクロ481を普通車に格下げ改造した先頭車です。 グリーン車時代の小窓に 普通車の座席配置だったので 場所によっては座ると 柱だった席もありました。

大きい にちりんのマークがいいですねえ。

 

特急みどり11号佐世保行 と 特急有明21号 熊本行です。 短編成化による増発で需要の多い区間では 30分間隔で特急が運転されるようになりました。 特急みどりの方は、長崎行特急かもめ号との併結運転はやめて 単独運転になり、列車自体は、両列車1時間おきの運転でしたが、 博多ー佐賀・肥前山口(現在の江北)間で30分感覚で特急サービスが提供されるようになりました

 

特急有明21号熊本行です。 先頭車は クロハ481ー200番台。 乗務員扉の横にグリーン車マークが見えます。 短編成化特急の象徴とも呼ぶべき3両編成で 初登場の時は かなりの衝撃で話題になりました。 先頭車が、グリーン車指定席と普通車指定席の合造車。後ろ2両が自由席車でした。

 

クモハ485−100番台。 3両編成化のため 中間車モハ485を先頭車に改造しました。 クハ481−300番台と同等の非貫通運転台部分が取り付けられました。

この3両編成の熊本行有明と、5両編成の西鹿児島行有明を1時間ごとに運転することによって 博多ー熊本間で30分毎の特急サービスを提供開始しました。

 

宮崎から到着した 特急にちりん10号です。 

先頭車は クハ481−501。 クハ481の500番台車は、こちらも不足する先頭車のために改造されたもので 元は、上越新幹線開業で余剰となった、特急とき号で運用されていた 直流特急型電車の181系から改造されました。

外観状の特徴は 運転台上のヘッドライトがないことと、485系に比べて車高がわずかに低いことでした。

 

右が 特急かもめ11号長崎行。左が 特急有明23号西鹿児島行きです。

需要の多い 長崎行かもめは、7〜8両編成で運転されていました。

 

これにて フイルム切れ  帰路につきました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 小倉駅から移動しました。

 

黒崎駅。ED76-1011牽引のコンテナ列車を撮影しました。 右には、特急にちりん11号西鹿児島行。 この時間帯 この付近では、東京から来たブルートレインが走っていたはずなんですが、一枚も撮影していません。。。。

デジカメがあれば。

 

黒崎駅からは 筑豊本線経由の普通列車で 直方駅の一つ先の小竹駅に来ました。

DD51-1029の単機回送を撮影。

 

普通845D直方始発の篠栗線経由の博多行です。 現在は、電化されて 福北ゆたか線と呼ばれている 筑豊本線ですが、1987年は 石炭輸送がメインだった国鉄時代の雰囲気そのままでした。

 

国鉄時代の1974年 筑豊地区の急行列車用に新製された キハ66型近郊型気動車です。キハ47の車体に117系と同様の転換式クロスシートを配した車両で キハ66+キハ67の2両固定編成 確か 15編成ほどが製造されました。 しかし キハ66系が投入されても 旅客の減少に歯止めが効かず 数年後に列車は、急行から 列車名もそのままに 快速に格下げ 料金不要になりました。

 

普通832D直方行。 吉塚始発で篠栗線経由の列車でした。

 

ローカル気動車普通列車の真骨頂ともいうような3両全て違う車両。前から キハ47+キハ65+キハ58。 急行列車が減り キハ58やキハ65が それまでの普通列車用だった キハ20やキハ45系列を置き換えて ローカル線の主役になっていった時代でした。 

 

普通2638レ 原田発直方経由門司港行きです。

 

DD51-1070号機牽引 4両編成でしたが、 ラッシュ時などにもなると8両編成などの長い列車もありました。 

 

1970年代後半は主役だった 50系普通用客車。寝台特急の青のブルートレインに対して 赤の車体だったので レッドトレインとも呼ばれてもいました。

 

この後 4分後の50系の普通837レに乗って飯塚まで レッドトレインの20分ほどのミニ旅。

終点の飯塚駅で 続行で来る 博多行を待つ間に撮影。

中線で休む キハ35の2両編成・ 側面のサボは、上山田となっていました。 廃線直前の上山田線 上山田行の気動車でした。 上山田線は、飯塚駅から 日田彦山線の豊前川崎駅を結んでいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 まずは 大淀川で撮影した最後の一枚から

 

上りの普通566M宮崎行です。先頭はやはり グリーン車サロ455改造のクハ455-600番台です。  一段下降窓の外観は、違和感たっぷりでした。 日豊本線 大分-西鹿児島間と 鹿児島本線の西鹿児島ー熊本付近までで 運用されていました。

 

これを撮影して 宮崎駅に戻って 普通電車で西鹿児島駅に戻りました。 鹿児島市内には、 銭湯的な 日帰り温泉が多数あって どこかは忘れましたが、 駅近の温泉に入って さっぱりして 西鹿児島19時54分発普通2522レに乗りました。 この普通2522レには 普通列車ながらB寝台が2両連結されていました。 ともったいぶりましたが、宮崎まで3時間かけて走った後は、宮崎からは 急行日南 門司港行になりました。西鹿児島からは 通勤客輸送 と 宮崎への最終列車を兼ねていました。 座席車が混雑するのは、国分駅付近までで そのあとはガラガラ 都城と宮崎付近で 旅行客が乗ってくるといった感じでした。 その宮崎駅でも満席になることはなく この時は1ボックスに一人程度でした。

 

翌朝は 小倉駅で下車しました。

普通129M南福岡行。 415系交直流近郊型電車です。 わかりにくいんですが この列車は、12両編成で運転されていました。 この時の乗り鉄旅での目的の一つは この12両編成を見ることでした。 鉄道ダイヤ情報で 運用が乗っていたのを参考にしていました。できれば 隣に止まっている ローズピンクの旧交直流色が良かったんですが。

 

当時の最新型 415系1500番台車の 普通小郡(現在の新山口駅)行。 1986年 直流近郊方の211系と同様の軽量ステンレス車体にモデルチェンジした番台で、 常磐線とこの北九州地区に新製配備されました。 座席は オールロングシートでした。

現在では、関門トンネルを通る普通列車は、下関までで JR西日本区間には、乗り入れていませんが、当時は、小郡駅や、宇部線の宇部新川まで行く列車もあり、小郡発熊本行という 6時間近くかけて走る長距離鈍行もありました。

 

普通133M博多行。 ローズピンクに前面のみクリームの帯を入れた 交直流近郊型電車の国鉄色です。 最後尾は クハ411-118号車でした。

 

快速3121M南福岡行。 後ろの4両は、雨樋下に 帯がありません。 この編成は、国鉄時代の1986年に 常磐線から転属してきた500番台の編成でした。

1987年 当時の九州地区の普通電車は。811系などのJR型電車はまだ登場前で 415系や475系の国鉄電車天国で、多種多様な編成で運用されていました。

 

普通722D下関行だったと思います。 先頭車は キハ45−70号車。その後ろには キハ28とキハ20が連なった3両編成みたいでした。

この列車は 日田彦山線添田駅始発で 田川伊田駅から 田川線経由 行橋駅から日豊本線に入り 小倉駅を通って 関門トンネルを潜って 下関に向かっていました。  田川線は、現在 第三セクター平成筑豊鉄道になっています。

 

ところで 隣のローズピンクの電車が 気になりませんか?

普通南福岡行です。この小倉駅始発列車でした。  ホームと反対側の扉が開いていますが、これは 事故ではなくて通常対応。 国鉄時代の旧型客車の名残か、駅での折り返し時 車内整備の関係で ホーム反対側の扉を開けて整備していました。なぜ開けているか、それは行き先サボ交換のためでした。

 これは、東京駅や上野駅でも日常的な光景でした。 もちろん車内に乗ることもできます。

 

先頭車はクハ421-52号車。 車両の後部ですが、すごい違和感ありませんか 屋根の上に 丸い大型の通風機が2個乗っていました。  そしてその下の窓が鎧戸になっています。 これは、車両の後部 ボックス席一つ分を潰して 冷房装置を搭載しているためでした。

ところで このクハ421は、1961年に製造された 421系国鉄交直流近郊型電車で 九州地区向けの電車です。今では JR車両でも標準の車体長20m両開き3扉の近郊型スタイルを初めて採用した形式でした。 

 

特急いそかぜ号 米子行。キハ181系3両のミニ特急でした。 

国鉄時代 福知山線山陰本線を経由して 大阪と博多駅を結んでいた キハ82系特急まつかぜ号が走っていました。 そのキハ82系を キハ181系に置き換える際に 列車も 米子駅で分割 西半分が 特急いそかぜ号となりました。

 

これを撮影した2年前の1985年 私は、博多駅から 特急まつかぜ4号に乗って 大阪までお別れ乗車しました。 7両編成で グリーン車と食堂車も営業していました。

 

では その1985年の写真を。

博多駅のパタパタ。下関の上に新大阪の文字。

 

米子駅で前に3両増結しました。

 

大阪駅21時10分に到着。 所要時間12時間58分 今では考えられない長距離特急でした。 この時は、貧乏大学生で 乗車するのが精一杯で写真は少なめ。しかし その分奮発して グリーン車に乗り 食堂車には、2回いきました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 JR西日本の快速列車の有料座席サービス。 「うれしート」

JR東日本の普通列車グリーン車みたいな 専用車両を使用するのではなく 既存の車両をのれんで区切り ネット予約で座席を指定するサービスです。 ネットのチケットレス予約で300円 必ず座って帰れるということになります。 みどりの券売機で購入すると 530円になります。

 

2023年10月のダイヤ改正から 大和路線とおおさか東線の快速の一部で始まりました。

221系223系225系の転換クロスシート車の基本的に最後尾の10席が 指定席になります。 また指定席エリアには 利用者しか入るとができず 立ち席利用はできなくなっています。

 

 

 

その後の2年間に 近畿地区の各線の一部快速列車に設定されていき 今年の10月ダイヤ改正で JR学研都市線・東西線 尼崎ー北新地ー京橋ー四條畷ー木津間の一部快速にも設定されることになりました。

ここで注目されるのが、この区間を走る快速列車は 全て片側4扉ロングシート車両の207系と321系。 近鉄電車などにある ロングシートからクロスシートに転換できる車両ではありません。 ロングシート車の最後尾の後部から2番目の扉までの区画が指定席エリアになります。

321系と207系のリニューアル車両は、扉間6人掛けに座席が区分けされているのですが、207系の未更新車には、登場時からの7人掛けロングシート車が存在します。

 

207系S64編成。 この篠山口方先頭の クハ206−2017号車が指定席車両の運用に入ることになります。

 

先日 宝塚駅で折り返し間合いで車内を観察できました。

クハ206−2017号車です。向かって右奥の乗降口2つ目までが指定席エリアになります。

 

車内に入りました。指定席エリアになる場所です座席の手すりの上に3個連なる吊り革部分に暖簾がつきます。  座席は 1992年に新製された当時のロングシートになります。

 

網棚をよく見てください。 下り方(三田・篠山口方)が1号車になり その運転台方向から 1~6の席番が割り振られます

 運転台に向かって左側が1A~6A 。

右側が 1D~6Dになります。

リニューアル前のシートは 4人掛けと3人掛けに区分けされていました。そのため 3Aと4Dの座席はシートの分かれ目になって ハズレ席になりますね。

 

窓のさん縁や壁面に席番がつけられて緑のテープで小さく区分けがされていました。

一応シート区切り部分に当たらないようになっていますが、恐らくは運用開始になると4Dの人は区切り部分になってしまうと思います。

 

このシートに座るのに300円 高いのか安いのか。

私は このシートの方が好きだったりします。 7人掛け想定で区切りがないので 比較的ゆったり座れます。 転換シートと違って足元も広く 有料部分には立ち客が来ないので足も伸ばせ 圧迫感もありません。 平日ラッシュ時の列車は途中駅からの着席保証はなく 疲れた時などは ご褒美として予約するのもありかなと感じます。 実際、JR宝塚線の丹波路快速のうれしートも最近はかなり埋まっているように感じます。

 

営業開始は、関西万博閉幕の翌日 10月14日からです。

 

余談ですが、臨時快速EXPOライナーも10月13日までの運転になります。

 

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

1987年つながりで 3月に九州地方に乗り潰しに行った時に 宮崎駅ー南宮崎駅間にかかる 大淀川橋梁で撮影しました。。

1980年代後半の 20代の頃は、バイト代を乗り鉄に注ぎ込んで、九州や四国山陰方面に出かけていました 九州に行くときは 夜行列車で九州入り ワイド周遊券を駆使して 急行かいもんと 日南の自由席を宿代わりに 1週間ほど乗りまくったりしていました。 今回もその時の1日です。

 

この時は、JR化直前の国鉄時代の最後で 門司港から 急行かいもんで西鹿児島に行き 配線間近の大隅線 日南線を乗り継いで宮崎に至りました。

 

撮影地についてすぐに 475系の3両編成が宮崎方面に走っていきました。 南宮崎駅には、車両基地があって そこから宮崎駅始発列車の回送が運転されていたようで 時刻表には乗っていないので 少しびっくりでした。

 

快速錦江4号 西鹿児島(現鹿児島中央)行。 1枚目の475系が帰ってきました。

ヘッドマークも白から 錦江に代わっていました。

 

ローズピンクにクリーム色の475系交直流急行型電車。

1980年代半ばまでは 急行錦江号として 急行で走っていましたが、 特急列車の増発で 九州各地の急行は 車両ダイヤはほぼそのままで 料金不要の快速に格下げされました。 快速錦江号は、宮崎ー西鹿児島間を結ぶ列車でした。  現在は、特急きりしま号になっています。

 

ちなみに 画面左が 宮崎駅小倉大分方面 右手が 南宮崎駅都城鹿児島方面です。

特急にちりん28号博多行です。

西鹿児島発 大分小倉経由 博多行で 西鹿児島12時35分 宮崎14時42分 大分18時10分 小倉19時57分 博多には20時53分の到着でした。所要時間8時間20分ほどかかっていました。 485系の7両編成で グリーン車1両と指定席車と自由席車の構成でした。 確か この頃は、普通車は簡易リクライニングシートも装備されておらず 2人掛けの回転シート席だったと思います。 以前 青函連絡船の船内でご紹介した 青い座席でした。

 

日南線普通335D 志布志駅経由の都城行です。

首都圏色のキハ20と 九州色のキハ47 2両の3両編成。 まだ 国鉄時代なので JRマークはついていません。 また、キハ20の方は、この後 廃車が見込まれているので 塗装の変更もなかったようです。 この前の キハ20の1両が、志布志から都城行になっていたようです。

 

九州色に変更された 457系電車。 南宮崎への回送です。

最後尾の車両は、グリーン車格下げ改造のクハ455-600番台です。

急行型車両の短編成化の際 不足する先頭車を中間グリーン車の改造でまかなっていました。 この600番台は 直流型急行電車165系の サロ165からの改造という異色の車両でした。 車内は、中央の窓3つ分ほどが グリーン車用リクライニングシートを向かい合わせで固定。 出入り口付近は、ロングシートになっていました。

 

特急にちりん9号 西鹿児島行です。 先の28号と同じく 博多ー西鹿児島間の列車でした。  九州新幹線はもちろん開通前でしたが 鹿児島本線経由の 特急有明号にのると 4時間40分前後でしたので 乗り通す人は恐らく ・・・ぐらい?

それにしても 在来線特急で8時間というと 東京ー大阪間よりも長いですよねえ。

 

ボンネットの大きなヘッドマークも 太陽輝く 絵入りマークでした。

 

急行えびの3号宮崎行です。熊本と宮崎を 肥薩線 吉都線経由で結んでいた急行列車です。 あの有名な矢岳峠を越えて走っていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 1987年3月 伊丹線と箕面線を走っていた 初代1010系を撮影に。

 

旧伊丹駅を発車した普通塚口行です。 1108F。

後に 能勢電に譲渡された編成みたいです。阪急伊丹駅は 1995年の震災の際 駅舎が崩落し 全面的に建て直されました。

当時の伊丹駅は、 北側に延伸できるように計画されており 延伸が実行されていたら 2面4線の対比設備のある中間駅になる予定でした。 1108Fの走る線路が下り本線 右に分かれるのが下り待避線。 左の線路が上り待避線になって 上り本線にあたる場所の線路は施設されていませんでした。

 

普通伊丹行 1102F。 初代1000系は 阪急電車初の高性能モーター採用電車でした。 試作車が1000系 神戸線用量産車が1010系 宝塚線用が1100系でした。

支線区に転用されてからは、区別がなくなりました。

 

 

続いて 石橋駅(現石橋阪大前駅)に移動しました。正午過ぎに 箕面線運用車の車両交換がありました。

回送 1110F。 雲雀丘花屋敷の車庫を出庫してきて 石橋駅の梅田方本線上で折り返し 配線の関係で 一旦下り本線に転線 

 

箕面駅3号線に入線していました。

 

さて 1110号車というと現在は、

普通神戸三宮行 1010F。 現在の1000系では 車番の付番方式が変更になったので 1110号車は神戸方先頭車になっています。 初代は 梅田方でした。

 

交換相手の1102Fが 4号線に入線。 1110Fは行き先表示を掲げて 普通箕面行として4号線から営業運転に入りました。 現在では、4号線には固定柵が設置されて列車の発着はできなくなりました。

 

1102Fの方は、上り本線上で折り返し 雲雀丘車庫に回送されました。

 

さて 現在の1002号車というと。

通勤急行神戸三宮行 1002F。 2024年トムとジェリー号で走っていました。

新しい付番では、1155号車は 1005Fの中間車になります。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

特急梅田行 6357Fです。一番奥の京都線は撮りずらかったのか、 流し撮りというものにチャレンジしていました。  いかにも 素人然とした 失敗写真ですね。

 

宝塚線 普通梅田行 3070Fです。 登場当時は、神戸線も走ったかもしれませんが、 私が撮影しだしてからは、3070Fは宝塚線専用だったような気がします。

 

神戸線普通梅田行3058Fです。  映画で有名になった?3058F。 確か神戸本線8連車でも最後まで走った運行標識板車だったと思います。

 

普通三宮行 5006Fです。標識板車を狙って ここに来たんですが、当時は 5000系の字幕車が珍しくて1枚。 しかし この後もう一回リニューアルをして 白帯を入れるとは思いませんでした。

 

宝塚線 急行梅田行 3160Fです。 3000系の宝塚線専用系列になる3100系 晩年は 路線の区別なく支線区で活躍していましたが、この頃は全車が8両編成で宝塚線の主力として走っていました。

 

神戸線特急梅田行 6両編成時代の7022Fです。 山陽電車の須磨浦公園からやってきました。

画面の右端 武富士の看板の向こうに写るビルは、 現在のJR大阪駅サウスゲートビルディングですね。 当時は アクティ大阪と呼ばれていました。 現在では、手前にJR大阪駅ノースゲートビルや、グランフロント大阪等のビルが ぼこぼこ出来ましたので 見る事は出来ませんね。

 

普通三宮行 3058F。

 

神戸線普通梅田行 2058Fです。  初代2000系 丸みを帯びた車体 フルマルーンに銀色輝くアルミサッシ窓 片側3扉両開き。現在の阪急電車のスタイルを確立させた形式です。

元祖阪急型電車の2000系8両編成で 本線を走る姿が記録できました。 この頃は あまり意識してなかったため 2000系の本線時代の写真はほとんどありません。

 

この編成が最後まで 神戸本線を走った初代2000系です

 

普通三宮行 3072F。  冷房改造後の3000系で初めて支線運用に入った編成だったと思います。 6両編成で今津線に入線 字幕改造されずに引退しました。

 

このネガの最後の3枚。

早朝6時過ぎの梅田駅。 急行河原町行6354F。

 

1980年代後半 京都線急行の始発列車は 6300系が運用についていました。

 

梅田6時16分ごろ発で 河原町到着後は 通勤特急運用になったと思います。 

長岡天神駅や桂駅始発の普通にも6300系が運用に入っていましたが、定期的に急行運用に入っていたのは この列車だけだったと思います。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 最近1988年のJRの記事が続いているのですが、1988年前後のの阪急電車はというと あまり写真が多くありません。 その中で 十三駅東の淀川橋梁付近で撮影した画像を フルマルーンばかりだけでなく 運行標識板車もたくさん走っていました。

 

 

普通雲雀ヶ丘花屋敷行。5136Fです 現在は能勢電鉄に譲渡された編成です。 5100系の8連は、Mc-T-T-Mcの4連を、2本併結したのが、基本だったのですが

当時の5136Fは、 Mc-T-T-Mc+T-T-Mc-Mcと 宝塚よりに画像のように Mcの2両編成を作っていました。  当時の朝ラッシュ時の10両編成運転時の増結編成の予備車となっていました。

 京都線には 普通梅田行の2813Fです。

 

十三駅方面。 9号線の電線が映り込んでしまっています。

 

最近は この場所には行ってないのですが、2022年に再訪した時の写真でも

急行大阪梅田行7011F。 やはり宝塚線や京都線の撮影には不向きです。

 

1987年の戻ります。

普通梅田行5012F。

 運行標識板時代の5000系は、伝統的な阪急スタイルだったんですが、2度の改造を経て 現在は、別形式みたいになりました。  ただ この5012Fは、2023年に覇者になっています。

リニューアル後の5012Fはこちら。

十三駅 普通神戸三宮行 5012F。

神戸線最古参の5000系も 今津線に6本。 絶滅危惧種になっていますね。

 

1987年 

淀川橋梁を行く 5012F。

 

宝塚線を行く 3080Fの急行梅田行です。 丸急看板も普通に見られました。

 

急行宝塚行 6001F。

 後から3両目にパンタ付きM車の6601が連結されています。 現在では、T車4両を真ん中に集中させた8連ですが。 登場当時は、写真のような、Mc-T-M-T-T-M-T-Mcという編成でした。 そして 6000系もフルマルーンでHマーク付きが標準でした。

 

特急須磨浦公園行6015Fです。 神戸線は、現在も日中10分間隔で特急と普通が運転され、特急は全て新開地行ですが、 当時は、20分に1本は、6両編成で山陽電車の須磨浦公園まで運転されていました。

 

京都線を行く普通梅田行 2815Fです。 京都線の初代特急型電車の2800系 6300系と交替後は 3扉ロングシート化されて 急行運用に入っていましたが、それもこれも 1987年には、7300系と交替。7両編成になって 普通列車専用になっていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。今回も1988年の大阪駅ですが、4日に撮影した分です。

 

真冬の7時頃 曇り空で 露出不足の写真が続きます。すいません。

 

ホームライナーの びわこライナーです。 現在は、特急らくらくびわこ1号 となっている列車です。 1987年の10月に運転が始まりました。 専用のヘッドーマークがボンネット側にはついていました。

 

回送で発車する びわこライナーを急行きたぐに。

 

寝台急行銀河。運行終了から17年近くが過ぎ 20代ぐらいまでの方だと 列車の銀河と聞くと 117系が浮かぶかもしれませんが、 我々だと この列車になりますね。 24系特急型寝台客車に置き換えられても 急行だった銀河。 この時もB寝台車が10両に増結されて A寝台車1両電源車1両の堂々たる12両編成でした。

 

龍の文字の凧をモチーフにした 賀正 ヘッドマーク付き。EF65-1099号機の所属機関区のお手製だったと思います。

 

急行ちくま。 年末年始輸送対応のために 座席車7両B寝台車3両に増結されていました。 急行列車で それも夜行列車 本数は減っていましたが 良い時代でしたねえ。

 

特急しなの9号長野行です。

 

撮影したこの時は 基本編成で9両でした。 その編成の後4両。 この後の1988年3月のダイヤ改正で、381系の短編成化して 増発することになったために 中間車のサロ381を先頭車のクロ381に改造するなどして 基本編成が4両か6両になりました。 後の4両は、短編成化が完了した基本編成で 中間の先頭車は、クロ381にななっています。 この1月の時点では、しなの号の全列車が 基本的に9両編成で 4号車がグリーン車になっていたために 改造の終わった4両編成の前に既存の5両を連結した 9両編成ということになっていました。

 

ダイヤ改正直前の貴重な一コマでした。

 

103系の普通高槻行と福知山線の普通大阪行。 103系の方は全車非冷房車の編成でした。

福知山線に 初めて走ったのは 黄色の113系でした。

 この塗装の113系は、2024年7月ごろから リバイバル列車として 福知山駅周辺で走っています。 去年私も撮影に行ってきました。

福知山駅にて 普通城崎温泉行。 ヘッドライト以外は ほぼそのままですね。

 

環状線外回り 京橋行。 当時は、宝塚線以外の後期型高運転台のクハ103系は、珍しかったので撮影しました。 ヘッドマークは、形から分かるように 交通科学館のPRヘッドマーク。 「たのしいゆめがいっぱい」交通科学館 弁天町駅下車 とあります。

特急北近畿2号 大阪止まりです。 まだ 直流化改造前の485系時代の特急北近畿号です。 JNRマークも残っていました。

 

583系は 臨時特急雷鳥83号富山行 と 新快速京都行の117系。当時の新快速は大阪駅9時台以降の日中のみの運転で この9時28分発の新快速が姫路方面からの1番列車でした。 

 

1984年まで JR西日本の583系は 夜は九州方面の寝台特急で走り 昼は、特急雷鳥号で 食堂車営業の13両編成で走っていました。  その583系も 1988年では 定期列車は、急行きたぐに のみになってしまい それ以外は、臨時特急の雷鳥号や、シュプール号での運用についていました。

 

9番線に EF66−44号機が入線してきました。 

 

14系 サロンカーなにわを牽引していました。 ホームは、撮り鉄だらけで この2枚をこの角度で撮影するのが精一杯でした。 団体臨時列車だったと思いますが、事前にパンフレットで 運行時間帯が判明していたみたいです。

 

奥の11番線に 特急雷鳥の485系が停まっていますが、和風車「だんらん』が写っていました。 金色の帯が入っており 電車特急に 掘りごたつ?付きのお座敷車両が連結されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

新快速京都行です。網干始発で 大阪駅は9時29分発車。姫路方面からの上り新快速の一番列車になります。 現在では ほぼ早朝から深夜まで12両編成で運転されている新快速ですが、1988年代後半までは 朝夕のラッシュ時は外れて 日中のみの運転でした。

この列車の後は 15分間隔で運転されるんですが、 ただ日中の大阪駅より西側の区間は 全て姫路行になっていましたが、東側の運転区間は、 1時間にそれぞれ 京都行 草津行 湖西線方面近江舞子行 彦根行が各々1本となっていました。 しかも日中は、米原までいかず 彦根折り返していました。

 

福知山線からの 普通大阪行です。 黄色の113系800番台。

 

続いて 特急北近畿4号です。 この列車は通過でした。

 

EF66-37牽引のコンテナ列車を撮影。右端が5番ホームの福知山線の上り線です。 他のホームや改札口とは地下道で結ばれていました。

 

ところで 奥に見える ガーター橋は、1984年に廃線になった 通称 尼崎港線の鉄橋です。

1978年10月の時刻表より。 正式名称は、福知山線ですが、 塚口駅から分岐し 東海道本線を跨いで尼崎港駅に向かっていました。  全線単線で、この支線の尼崎駅は、時刻表上は 同一駅になっていますが、 もちろん 改札内で繋がってはおらず 現在の尼崎駅からは、徒歩で5分?ほどの あの写真に写る ガーター橋のすぐ左の築堤上にホームがありました。  列車は、一日2往復 川西池田ー尼崎港間で運転されて 私も一度だけ乗りに行ったことがあるのですが、(写真は残っておらず)

DD13型機関車に 旧型客車1両だったと思います。  貨物列車は 数往復運転されていた様です。

旅客営業は1981年に終了、 その1980年ごろは、列車は 塚口駅ー尼崎公益の運転だったと思います。

 

余談が長くなりましたが、1988年のこの日は、この後大阪駅に移動しました。

特急雷鳥9号 金沢行です。 まだ JNRマークが残っていますね。

 

後ろの方に歩いて行きますと。

ゆうとぴあ和倉が連結されていました。

 

10番線に 急行但馬2号が到着。 右のキロ65も元は急行型気動車だったとは 思われない変身ぶりでした。

 

キハ65改造の キロ65欧風気動車使用 臨時特急 ゆうとぴあ和倉 和倉温泉行です。北陸新幹線開業前の七尾線直通サンダーバードの原型ですね。  当時の七尾線は 非電化でしたので、 直通運転するにあたり、気動車が使用されました、北陸線内は 特急雷鳥に牽引されて運転されていました。

 

 

特急白鳥 青森行です。 こちらも クハ481にJNRマークが残っていて 国鉄時代の面影が。

 

ところで この写真で最後と思っていたのですが。もう一枚ありました。

先日公開した 1988年函館駅にての記事の一枚目の写真。 この写真が、 大阪駅の帰りに撮影したものでした。 この写真 よく見るとホームの時計が写っていて

11時30分となっていました。  時間的にも 特急白鳥を撮影した後になる感じでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。