皆さんこんにちは。

 

甲子園口駅2番線に停車する583系。

臨時列車「ナインドリーム甲子園」新大阪発甲子園口行です。 筑波の科学万博でもありましたが、583系を使用した 列車ホテルでした。

高校野球観戦客を目的に設定。 でも この年の春と夏だけの運転だったのではないかと思います。

 

春期間運転の時の時刻表

新大阪22時10分発、大阪22時15着 発車は23時59分の甲子園口行 大阪では1時間45分の停車。その後は、朝までどこに止まっていたかは、覚えていないのですが、おそらく 宮原区に止まっていたのでは無いかとも思いますが、翌朝6時30分に大阪駅を発車。甲子園口着は6時45分でした。 その後8時30分まで停車して 自由に出入りできたようです。

甲子園口駅2番線は、大阪方面からの折り返し運転用のホームで、1980年代までは日中も折り返し運転がありましたが、1990年代は、早朝の2本だけなので 列車ホテルを停留させる余裕がありました。

 

103系普通京都行。

 

103系と583系の並び。

京都行の字幕が後ろは間違えているような感じですが、別の電車です。

京都行は 583系側の2番ホームで撮影していました。

 

急行きたぐに号用の583系のうち モハユニット1つとA寝台車サロネ581 の3両を抜いた7両編成でした。

寝台は 中段寝台を畳んだ 2段寝台で運用されていたようです。

時刻表には、Bマークの下に 電3のマークがありませんでした。

 

先頭クハネ581の次の2号車が サロンカー改造のサロ581でした。 グリーン車の販売はなく フリースペースだったようです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

現在の大阪駅のホーム配置や配線は、2004年から始まった改良工事で2010年ごろに完成しました。 それまでの 大阪駅には、6番線と7番線の間にホームの無い中線がありました。

この日はその中線には、臨時特急雷鳥83号になる 白山色 489系電車が待機中でした。

GWや年末年始の一番混雑する期間に運転される臨時特急の編成が留置されていました。 この編成は、 発車時刻が迫ると大阪駅西側にある折り返し線に移動し 先発の9時44分発のスーパー雷鳥3号が発車した直後に11番線に入線。 9時44分に発車していました。

 

11番ホームに移動しました。 臨時特急タンゴエクスプローラー81号 京都駅経由 久美浜行 と 特急雷鳥11号金沢行です。

 

7時35分 タンゴエクスプローラー81号が先発しました。8時6分に京都到着。 対する 雷鳥11号は大阪7時40分発車 京都には8時9分に到着していました。 

タンゴエクスプローラー81号は、大阪ー京都間を31分で走破していました。

京都駅山陰線ホームに到着するためには 転線などの速度制限を考えると 最高速度120km/hのKTR001系のパワーを遺憾無く発揮していますね。 

 

臨時快速 嵯峨野・嵐山ホリデー221号 高槻駅経由 園部行です。高槻駅経由としたのは タンゴエクスプローラー81号と違って京都駅を経由せず、 現在は、廃線になった 梅小路公園西側の 東海道本線から 山陰本線丹波口駅への短絡線を走ったからです。

 

見にくいですが、緑のホリデーの字幕が入っています。 列車は、姫路駅が始発で。 新快速と同じ停車駅に止まって大阪駅に。 大阪駅からは 新大阪 茨木 高槻に停車。 高槻の次は 山陰本線二条駅で その後亀岡駅まで各駅に止まって 八木駅と終着園部駅でした。

 

寝台急行 銀河です。 1990年代は 急行たかやまとともに 朝の定番列車でしたが、撮影しました。

大宮ぐらいから新宿駅経由と 千葉から東京駅経由で 品川か横浜で連結して 大阪6時頃着で岡山行の夜行列車できませんかねえ。

 

この後、ある列車を撮影に甲子園口駅に移動しました。

その前に ふれあいSUNIN号が通過しました。

臨時快速お座敷楽々ふるさと号 播但線経由米子行です。

全席グリーン車扱いで、この列車も料金を押さえる為か 快速列車として運転されていました。

「ふれあいSUNIN」は、国鉄時代の1986年に 米子鉄道管理局が改造したジョイフルトレインで 両端の1号車と3号車がお座敷車両。真ん中の2号車が お座敷の車内の真ん中に ソファーを設置した洋風室を設けいていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

9番線に 移動しました。 ヘッドマークは スルーしてください。 早過ぎる 折り返し運転への準備。。。。。 ヘッドライトまで 赤く輝いていました。

 

JR宝塚線篠山口発の ほくせつライナーでした。1992年まで 上りの「ほくせつライナー」は キハ65系エーデル車で運転されていました。 夜の下り篠山口行きは 183系電車で、上下で車両が違いました。  キハ65系エーデル車は、 上りのほくせつライナーで大阪到着後 宮原区で折り返してきて 特急エーデル北近畿1号となっていました。 

 

 臨時特急マリンタンゴエクスプローラー号 京都駅経由 久美浜行です。 先日完全引退したKTR001系特急型気動車。京都発の特急として1990年に 北近畿タンゴ鉄道開業と同時に登場しました。 1992年に第二編成が導入され 多客期に 大阪始発の臨時特急として運転されるようもになりました。 夏以外は、 タンゴエクスプローラー81号となっていました。

 

急行たかやま 飛騨古川行です。 キハ58系のヘッドマーク付きの急行ということもあり、大阪駅に行くと ほぼ撮影していました。 夏の多客期ということもあり 6両編成に増結されており。 それもオールたかやま色でした。  曇り空の方が 上手く撮れました。

 

2番線 普通電車 新三田行です。 低運転台 JR西日本バージョンの冷房改造車の黄色の103系4両編成です。過渡期なレアな写真かもしれません。  ホームは、山陰方面への海水浴客などでかなり混雑していました。

 

その103系発車の後2番線に入線したのは 急行みやづ 天橋立行です。 2両編成ですが、急行の字幕が入って 往年の急行列車の貫禄がありますね。

 

次の写真からは、別な日に撮影した写真になります。

大阪駅4番ホームです。 485系の回送マークの編成が到着しました。 

向日町からの 送込み回送かと思いきや。

 

米原からの びわこライナーでした。 多分 前の300番台にもヘッドマークはあったはずですが 新大阪発車後幕回ししてしまっていたのかもしれません、後のボンネットにも専用のヘッドマークがついていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

 

臨時急行 マリン若狭 湖西線 北陸線 敦賀経由 小浜線の若狭高浜行です。 キハ181系で運転されていましたが、全席指定席の急行列車として運転されていました。 側面に マリンスッテカーを貼った専用編成が用いられました。

 

隣の11番線に 神戸始発の 特急スーパー雷鳥・信越1号 長野行が到着しました。 2分の停車で先に発車しました。  1990年代前半は、 先の シャレー軽井沢と合わせて 夏の行楽シーズンも 直江津経由で 関西と信州を結ぶ臨時列車が運転されていました、しかし 利用率が振るわなかったのか2000年ぐらいには 静かになくなっていました。

 

臨時快速ムーンライト九州 京都行です。シュプール号用14系座席車を使用していました。 冬のシュプール号運転期間などは、 青い14系座席車で運転されていたと思います。

 

臨時急行マリン城崎221 城崎行です。  急行の字幕もいいですねえ。

この時急行運用についていたのは、1992年に製造された 最新車が使われていたようです。

 

寝台急行銀河です。 2008年に廃止されてから 17年が経ちましたね。 

現在 東海道を走る定期夜行列車といえば サンライズ出雲・瀬戸だけになりました。 しかし その285系もそろそろ老朽化の兆しがあるのか、先日心配な出来事がありましたね。 上列車が営業運転中 配電盤から煙が出て 車内に充満 滋賀県近江駅で 運転打ち切りになったとか。

 

臨時快速 マリン但馬 播但線経由 鳥取行です。  茶色の塗装のEF58-150が牽引していました。  

 

客車は 先日静かに去ってしまった サロンカーなにわ。マリンのステッカーと専用ヘッドマークが付けられた マリン仕様となっていました   当時の時刻表には、全席グリーン車指定席 欧風客車で運転とありました。 大阪を7時30分に発車。 姫路には8時49分着で 当時の新快速の始発が、大阪7時46分発で姫路8時57分着とギリギリ 逃げ切っており EF58牽引の客車列車ながら 俊足でした。

 

現在なら 3蜜どころか ホームから転落するほどの人が集まったであろう 臨時列車ですが、 御覧のように 閑散とした雰囲気で落ち着いて撮れたはずなのに、 興奮していたのか ボケボケの写真になってしまいました。

 

113系快速 播州赤穂行。

 

普通列車用のグリーン料金で乗車できたのに いつでも乗れそうな気がして結局乗らずじまいで終わってしまいました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回からは1992年のJR編。

 

大阪駅3番線です。

臨時急行シャレー軽井沢 神戸行です。 列車名通り 軽井沢と関西地区をダイレクトに結んでいた列車です。  シュプール号の夏版的列車でした。

大阪からは 湖西線 北陸本線を通り 直江津から 信越本線に入って 軽井沢に向かっていました。 この上り列車は、軽井沢20時5分発で 長野21時11分 富山0時48分  そして大阪6に時30分 終着神戸には7時5分となっていました。 軽井沢の教会?と 高原をイメージしたヘッドマークがついていました。  当時の時刻表によると 急行きたぐに 用の583系が使用されていたようで、A寝台も連結されていました。 急行きたぐに との違いは、3段寝台の真ん中の中段寝台を畳んで B寝台も二段式として運転していたようです。

 

10番線に EF65-PF+20系の列車が到着しました。

 

臨時寝台急行雲仙 新大阪行です。  急行あおもり や 霧島 の写真は多いのですが、 雲仙の方は少ないです。

 

長崎18時32分発 大阪に6時47分着でした。 同じ区間を走る 定期の寝台特急あかつきは 長崎を 急行うん前より1時間以上遅い19時47分発で 大阪には7時27分着 所要時間では30ほど早い感じでした。  所要時間及び 2段寝台と3段寝台の違いに 幅も狭い。 一世を風靡した 元祖ブルートレイン20系も 時代には勝てず、 もはや特急料金をもらうレベルではなく 臨時急行として走っていました。1980年代だとあかつき82号として走っていましたが。

その1980年代の急行雲仙というと 定期列車で 14系座席車使用の夜行急行でしたね。

 

寝台特急つるぎ です。  新潟と大阪を結んでいた寝台特急です。 沿線の 富山県 立山連峰の中の剱岳からとられ ヘッドマークも剱岳がモチーフでした。

テールマークも ヘッドマークと同じデザインでした。 B寝台二段式ばかりの7両編成で、 大阪と新潟県をダイレクトに結ぶのが指名だったためか 途中の富山県 石川県 福井県の駅には停車しませんでした、それが仇となって 夜行需要の減少 急行きたぐにの存在もあって この4年後に廃止になりました。 

 

急行きたぐに  です。 583系になる前の14系客車で運転されていた頃は、 青森まで運転されていましたが、 新潟以北が 特急いなほに置き換えられ 先の寝台特急つるぎと同じ 大阪ー新潟間の列車になりました。 客車時代から 需要があったためか  583系になっても A寝台車が改造ながらも連結されていました。  A寝台車 B寝台車 グリーン車指定席 普通車自由席 と乗車する際の選択肢も多く 急行ということもあり つるぎと違い 沿線の主要駅 中規模駅にもこまめに止まって 旅客を集めたためか、2012年10月まで走っていました

 

ヘッドマークは新潟県の地図と 佐渡おけさの踊り子さんが描かれていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 最後に 仁川駅で撮影。

 

普通宝塚南口行8020F。 8020Fは、 この1992年7月に製造された編成で 6両編成で新製後 すぐに今津線で走り始めて 6両編成時代はほぼ今津線で走っていた印象があります。

 

普通宝塚行3072F。 この編成は、3000系で 8両編成から6両編成の今津線用になった 最初の編成でした。

 

普通宝塚南口行 2250F。

 

この6025Fも 今もほぼ今津線で走っています。

 

普通西宮北口行8020F。

 

普通宝塚南口行 6013F。1990年代前半は、月替わりぐらいで6000系6両編成グループが今津線で走っていました。

 

普通西宮北口行 6025F+2250F。

 

下り方先頭車 2251号車。

 

その現在の姿が、

7190号車。同じ位置で撮影しています。 よく考えると この車両も 今年で満50歳です。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 前回の続きです。 逆瀬川駅から 宝塚南口駅方面に歩いて 線路沿いの小学校付近で撮影。

 

普通宝塚南口行 6025F+2250F。 列車後方に 逆瀬川駅の橋上駅舎が見えています。

 

振り向いて一枚。 わかりにくいですが、6025Fの後から3両目付近に ダブルクロスが設置されていました。 宝塚行の電車はここで上り線に転線していました。

 

普通西宮北口行3072F。 宝塚南口駅を発車して高架を降ってきたところです。

 

この後は、宝塚南口駅を過ぎて 定番スポット武庫川大橋で撮影。

普通宝塚行 3072F。

 

3072Fが 戻ってきました。

 

サイドビューを少し撮影。 3516号車。 菱形パンタグラフを2台搭載していて 中間車ながら存在感がありました。

 

下り方の先頭車 3023号車。

 


普通宝塚行 6025F+2250F。 

見にくいですが、行き先表記の方も2文字です。 6025号車の背後に 逆U次型の架線柱が立ち並んでいます。 下り線の高架橋脚は ほぼ完成していたようです。

そして 背後の山の斜面 高層マンションのラビスタ宝塚の建設も進んでいました。

 

普通西宮北口行 6025F+2250F。

 

2250号車。

 

2720号車。長期VVVFインバータ制御試験車。

皆さんも ご存知でしょうが、2200系は、1975年に製造された車両で 省エネ制御を試験するために8両編成1本が作られまし。  車体は、阪急電車初のワンハンドルマスコン 表示幕装備でした。 6000系は 2200系の車体に5100系の制御機器を組み合わせた車両です。 

この2720号車は、1985年にVVVF制御を試験するために製造されました。 1992年に製造当社の試験車両の中間電動車は 用途が終わったために 付随車化されて 6000系列に組み込まれて この4両だけが2200系として残りました。 そして 1995年1月 この場所で2200系の運命を大きく変える出来事が起きました。 

阪神淡路大震災。 この記事の写真の6025号車がアップになっている位置で 脱線しました。 その際 右側に映る2721号車は損傷激しく廃車になりました。

震災後は、皆さんもご存知の通り 改番されて現在に至っています。

 

普通宝塚行 6013F。 幕回しが終わって 西宮北口になっています。

 

この後 宝塚駅方面に進んで。

普通西宮北口行6013F。 背後に新しい高架橋が見えています。

 

普通宝塚行3058F。左の建物が宝塚大劇場。 線路の下を進んでいくのが 花のみちです。  背後には、1994年に開館した 手塚治虫記念館がある場所になります。 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。

 

駅の西宮北口方で撮影。

 

普通西宮北口行 6025F+2250F。

表示幕が 誤乗防止のために 区間表記ではなく行き先になっていました。

ところで 右側の2号線には、上下列車が交互に発着するので 誤乗防止のために 単線運転期間のみ パタパタが一台設置されていました。

上の写真の一部を切り取りました。

パタパタを撮るということまでは気が回らなかったので これでご辛抱ください。

2号線 普通宝塚行。 次の西宮北口行は1号さんから発車します。と案内されていました。

 

普通宝塚行3068F。 その宝塚行が2号線に到着。

 

通常の複線運転と 逆パターン。 この運転シーンが見られたには、単線運転開始の1990年9月から 下り線の高架が完成した1992年11月までの約2年間でした。

 

準急梅田行7004F。 この7004Fは、現在6両編成なって今津線専用になっていますね。

 

次の宝塚南口始発の列車は、6013Fでした。

 

と この写真を見て 今気づいたのですが、1号線側にもパタパタが設置されていました。

この時点では 稼働していないようでした。 下り線の高架工事が完成すると この1号線側で 上下列車の発着が行われるので すでにこの時点で準備されていたようでした。

 

この後 一駅隣の逆瀬川駅に移動しました。

普通宝塚南口行 8020F。 単線運転開始当初は、行き先表示幕には、「西宮北口ー宝塚南口」と区間表記がされていました。

 

1991年8月に撮影しました。

普通西宮北口行 7016F。

 

この狭い幕の中に 4文字の駅名を二つ 詰め込んでいました。

 

しかし 乗り間違える人が続出して 方向幕を 青地に白文字で 宝塚南口 と片くされました。 

工事開始から1年後ぐらい に変更されていたと思います。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 工事中で雑然とした宝塚駅を離れて 隣の宝塚南口駅で撮影を続けました。

 

普通西宮北口行 3068F。 下り線宝塚行線路には 仮設の車止めが設置されていました。 鉄橋を渡った所から 高架化工事をしていましたが、電車は、鉄橋の手前まで。

 

回送 5012F 上り梅田行準急の送り込みです。。3068Fが発車した後に 上り線を逆走で宝塚に向かいました。

 

普通宝塚行 3058F。 回送の続行で 宝塚に向かいました。

 

宝塚南口駅で行き止まりになっている下り線に到着した 普通西宮北口行8020F。 高架工事期間中は 宝塚ー宝塚南口間は、単線で運転をしていました。  宝塚ー宝塚南口間は 単純に往復するだけで5〜6分かかるので どうしても 10~12分間隔でしか、宝塚への列車は運転できませんでした、それでは、ラッシュ時の輸送力が不足するので 宝塚南口で折り返す列車が運転されていました。

 

準急梅田行 5012F。

 

単線運転期間中は、宝塚南口駅でも上列車の並びが見られました。

 

続いている続行の 普通西宮北口行 3058F。

線路右側の建物は現在は、タワーマンションになっています。

 

左が、先発の西宮北口行3058F 、右が次発の西宮北口行 8020Fとなります。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回からは 30年ほど前の1992年 高架工事真っ最中の阪急宝塚駅編です。 工事開始から1年以上が経過して 地上駅は仮ホームとなっています。

 

普通梅田行 3060F。宝塚駅 仮設2号線から発車しました 阪急宝塚駅周辺は、旧来の建物群などは全て撤去が終わり、 高架線路や駅構造物の建設 駅前再開発ビルの建設 周辺道路の付け替えなど 大規模な工事が行われていました。 

 

工事中の高架橋脚の隙間を縫って 西宮北口から 回送されて来た8001Fが到着しました。 折り返し 今津線経由準急梅田行です。 地平ホーム時代は、今津線は6両編成分の1号線を発着。 平日朝運転の準急梅田行は、宝塚線用の2号線から発車していました。

 

その今津線用仮1号線から撮影しました。 今津線経由準急梅田行 7012Fです。

7012Fの走る線路が 今津線から2号線への連絡線で 8001Fは 左の高架橋の下を潜って2号線に入線していました。 手前の線路が、今津線の線路で単線運転です。 踏切は工事用の踏切で一般の人は通れなかったと思います。

 

駅を出て三田方から ホームを撮影しました。 仮2号線に到着の今津線経由準急梅田行3050F。

 

7011F 石橋経由急行梅田行。 

高架工事完成後現在の宝塚駅は、10両編成対応の島式ホームが2面。 今津線用2線 宝塚線用2線となり 平日朝ラッシュ時は 完全に分離されていますが、 地平ホーム時代は、長らく 今津線用6両対応の1号線と 2号線3号線の8両対応ホーム1面の 2面3線の構造でした。 この時の今津線用 1号線ホームは、右手の高架工事中の駅舎の南側に離れて 従来からの1号線ホームに発着していました。 しかし 高架構造物に囲まれてしまって 撮影が困難だったかと思います。  左手がJR宝塚駅 国道176号線側になり、7011F左上に見える建物が、 北側改札口と 駅南側にあった 店舗の入った 仮設店舗になります。

 

宝塚駅を発車した 普通西宮北口行 3072F。 国道176号線の歩道から撮影。

7012Fを撮影した1号線ホームからちょうど対角線上に反対側になります。

 

宝塚駅を発車した 急行梅田行5128F。 1枚目の3060Fと反対からとったことになります。背後の高架が新しい宝塚線になります。

 

梅田方に振り向いて撮りました。 桁下注意の枠の下が 国道176号線になります。 現在だと 阪急とJRの駅前ロータリーの下に潜っていく176号線と そのロータリーに向かう側道の分岐付近になるでしょうか。

JR宝塚線は、この画面の左端になります。

 

御覧頂きましてありがとうございました。