- 前ページ
- 次ページ
ポレポレ東中野は、ドキュメンタリー映画を中心に上映するミニシアターです。
前回ここに来たのは2024年12月、大島新監督の「シアトリカル」を見にきた時です。
その時公開されていたのがこの「どうすればよかったか?」でした。
その後、監督の藤野知明さんが映画の内容を書籍化したこともあり、再映されることになったらしく。それが今回の「十三代目片岡仁左衛門」と重なりました。行くたびにポスターや掲示されている資料を見ることになり、やはり何だか気になるなと思い映画を見ました。
藤野さんの8歳年上のお姉さんが発症したのは、医学部に入学し、解剖の実技に失敗した後とのこと。
(1983年くらいかと思われます。)
最初の画面は黒い画面に、お姉さんが発症したと思われる日に意味不明の言葉を大声で叫んでいる音声から始まります。
おさまらない叫びに救急車を呼び、医師で研究者の両親の知り合いの医師がいる精神科の病院に搬送されるのですが、医師の話を聞きに行った両親は、「どこも悪いところはない、問題ない」と言われたとお姉さんを連れ帰ります。
当時、高校生だった監督は姉の叫び声に怯え安心できなかったようですが、両親は姉の病気を認めない。常に発作を起こす姉と頑なに受診を拒む両親との生活に限界を感じ、藤野さんは大学を卒業後就職を機に家を出て地元を離れます。
発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省ごとにHVカメラで家族の姿を記録し始めます。その当時は公けにするつもりはなく、いつか受診に結びつけられた時の参考になればとの思いだったと言います。
帰省なので、お正月とかお墓参りとか。両親に警戒されないようにの家族旅行、親戚の話を聞く様子や食事の様子などが何年間にも渡って撮影されています。
しかし、そうした家庭の様子には常に何かをつぶやき会話が成立しない姉の様子、母に受診を迫るもお父さんをまず説得しなくちゃとか、姉が訪れた親戚の叔母に暴言を吐く姿などが記録されます。
ある時には、姉は一人で外出し行方不明となりニューヨークのホテルから呼び出されます。そして両親は玄関に南京錠をかけ荷物でバリケードを築き閉じ込めるようになるのです。映像を見ると家の中が次第に荒れ始めるのが感じられました。姉を外に出さず外出もしなくなり、彼女の髪は伸び放題、べたべたになっていく…。苦しそうだと思いました。
帰省するたびにこんなに様子がおかしくなって行くのに、両親は日常のこととして、淡々と姉の奇行に対応するのです。研究者だった両親は、4浪して医学部に入った娘が医師国家試験を受けられるように働きかけ、父はいつか一緒に研究論文を出すための実験を母親とともに試みたといいます。
訪れるたびに状態が悪くなっていくお姉さんの様子が、克明に記録されていることとは相反することなのに…。何故、両親は彼女の病気を認められなかったのかと思ってしまいます。
病気を発症してから20年以上がたった時、母に認知症の症状が現れ、父が母を自宅で介護することになり、お姉さんは精神科の病院に入院。
初めて統合失調症の治療を受け退院します。その後は笑顔も見られ、台所で洗い物をしたり弟である藤野監督と話しをしたりするようになるのです。この変化によって、藤野監督はこの長年の記録を作品にまとめようと決めたといいます。しかしお姉さんはステージⅣの肺がんとなります。姉が望むように外出をしたり普通の生活を送れるようにと実家近くに戻りサポートをします。
認知症の母が亡くなり、お姉さんもがんで亡くなった後、脳梗塞で体が不自由になった父と向き合います。そして、お姉さんのことを映画にしたいのだといいます。父はそれを了解しますが、なぜ姉の病気を治そうとしなかったのかとの問いかけには、はっきりとしたことは言わなかったような気がします。
この記録が大切なのは、20年以上に渡って帰省した弟という視点からの定点観測で家族がいつの間にか陥っていった先が、はっきりと残されていること。そして、それが福祉的な視点から見ればいつしか虐待とも言えるような歪んだ状態になっていたこと。それにも拘わらず、両親はとても真摯に生活していたと思っていたこと。(肉体的な虐待はなかったようです)
お姉さんが発症された時期の精神科医療はまだまだ軟禁だとか薬漬けが当然な時期であったとも思うし、もしかすると両親はそうした状況を分かっていたから娘を連れ帰ったのかもしれない。しかし、完全に孤立した家庭の状況を何年にも渡って映像で見ると、「何とかできなかったのか?」という思いにやはりなります。
映画は実家を離れる車に向かい、両手を振るお姉さんの姿で終わる。生き生きとした笑顔のその姿を見ると、大切なことは何なのかが、また勇気を持ってこの長い記録を発表した藤野監督の思いが伝わってくるのでした。

追記
藤野監督のインタビューで、自分は結婚していないから家族に迷惑をかけることはないが、あるとすれば親戚が傷つくことかもしれないという心配が、公開へのハードルだったと語られていていました。10代の終わりから藤野監督自身の人生も、大きく影響を受けた…決して後ろ向きではないと思いつつも重い事実だなぁと感じたのでした。また、亡くなった母や姉の了解は得ていない、死者のプライバシーには配慮していないのですと気にしていたことにドキュメンタリーという手法の大変さを感じました。
2005年、2013年に続いて再々演となる「鉛の兵隊」ですが、私は今回が初めて。
死の大佐、一木清直(後半・久保井研)率いる旭川第7師団の幽霊部隊(終戦間地下の1942年8月ガタルカナル島で全滅、戦況の悪化を隠すためその事実が発表されなかった、故郷旭川では近親の隊員の姿を見たという話しがあちこちで聞かれた)を月寒冴(藤井由紀)と七々雄(岡村慶人)の姉弟と共に見た二風谷ケン(福本政樹)。彼はスタントマン事務所「ドタンバ」のソファーで今夜も幽霊部隊を追う三人の夢を見た。
幽霊部隊の影に引きずられるように自衛官となった月寒七々雄は、戦禍の残るムサンナ州へ向かったという。弟の七々雄の身を守ろうと姉の冴は、二風谷にどっかでいつか「弟にすり替わって」と。かつて故郷鷹栖町で路頭に迷った祖母と二風谷を救ってくれた月寒一家のため、二風谷は何とか冴の依頼に応えようとスタントマン事務所「ドタンバ」に待機している。そこへ七々雄が姿を現すが、彼の左腕は長く垂らしたコートの袖に覆われ…その左手の親指と人差し指に包帯を巻いていた。ムサンナ州で彼は指紋を失い脱落した。七々雄が失った指紋を探すため(そして実は二風谷自身も失っていた指紋を探すため?)二風谷は「ドタンバ」を飛び出した。
七々雄の身替わり=スタント(スタントマンは、自分自身を消すんです。依頼者の身になり代り)=二風谷の指紋探しに、アンデルセンの「鉛の兵隊」(窓から投げ出されどぶ地下道をさ迷う?)のイメージを重ねて。幽霊部隊の「闇の霊力が死んだ古い指紋の渦で、うめきをあげ」二風谷は失われた指紋を探り続け、地下の下水口の渦屋(指紋の渦を集める謎の商売を営む渦屋鈴子(友寄有司)の店)にたどり着く。
唐作品の魅力である細部へのこだわり、今回は指紋だなぁと。ムサンナ州でドラム缶にたまる水に映る「断食月の満月」に触れようとした七々雄は指紋を失い、二風谷もまた熱く溶けて膨らむ砂時計のガラス玉に手を触れて指紋を失っていたのです。その指紋がついた砂時計を二風谷が渦屋の看板の中から見つけて七々雄に手渡して指紋の話は終わります。
その意味は何か。彼は自分の指紋=闇の幽霊部隊の霊力の呪縛を
「置いていこう 一センチの世界の丘や谷など
お前をのみこむ渦や崖をたどっていくのなら
ひ弱な魂
気づかないのか
外の風が、あんなにもお前の胸をたたいているのが」
とつぶやいて下水口から去って風吹く夜の町へ姿を消すのです。唐十郎は、2005年当時の自衛隊のイラク派遣を発端にしながら、戦いへ向かう呪縛からの解放を問いかけているようにも思えます。
この主筋に死んだ恋人を追い求め、命がけのスタントをする荒巻シャケ(久保井研)、七々雄の上官匠(影山翔一)、「ドタンバ」に敵対する大スタント事務所の代表ジャコマン(藤森宗)、その部下の散面(岩田陽彦)、「ドタンバ」所属の占い師のスタント散里おひめ(加藤野奈)、かつて入れ墨師をする父と鷹栖町で橋の上にいて月寒一家に拾われた小谷(大鶴美仁音)らが絡み、コトバが様々に飛躍した世界が繰り広げられます。
今回は登場人物も多く、よりイメージは多方向に広がって行く感じ、その分からなさに翻弄される感は増します。それが唐芝居の魅力でしょうか。
今回の「鉛の兵隊」について座長代行の久保井研は「現在の世界情勢との関わりということもありますが、我々の中にテントで芝居をやることが好きな人間をすこしでも増やしたいということがありました。『鉛の兵隊』は役が多く、若手の役を増やすのが可能でそうしたものを役者に感じてもらいたいと思ってます。」(「紅テント覚醒」より)
二風谷ケンを演じた福本政樹はじめ若手の芝居には唐戯曲ならではの熱があったと思います。また、観客にも若い人たちが多かったのが、おばさんとしては嬉しく。2024年5月4日に唐十郎が亡くなり、唐十郎が座長であった唐組は、代行久保井研のもと新たな時代を走っている。他にもテント芝居はあるけれど紅テントの原点を背負って立つ唐組には、本筋を歩んで行ってほしいと思うのです。若手のそれぞれの役者について触れられなかったけれど、台詞の熱量に力も伴って期待出来ると思えました。

「寿式三番叟」
又五郎の翁が厳かに出て、米吉の千歳は華やかな雰囲気。歌昇と虎之介の三番叟は、歌昇の舞は落ち着きがありダイナミックな力強さ、虎之介は軽やか。
御名残大歌舞伎の舞台が始まるのだなあという厳かな清らかな雰囲気に包まれました。

「源平布引滝 義賢最期」
大千穐楽の早朝には、大阪松竹座の前に佇んでいた愛之助(アメブロ)。御名残大歌舞伎の演目に大怪我をして封印していた「義賢最期」を決めたその想いに胸を打たれます。
先日の「十三代目片岡仁左衛門〜若鮎の巻」では、十三代目の脇に控える千代丸時代の姿がありました。
十三代目のお弟子さんたちへの注意を懸命に台本に書き留めている姿が印象的でした。まだ少年のような面差しで中学生くらい?その頃からの私などがはかり知れない苦労や挑戦などの思いがあるのだろうなぁと…。
お芝居は
義賢の子を身籠っている葵御前(吉弥)を何とか無事に逃したいという思い。折平(隼人)と恋仲の待宵姫(壱太郎)は、小万(孝太郎)の登場で心乱れながらも義賢を残し去って行く。葵御膳も待宵姫もそれぞれに立ち去りがたい気持ちを表現していたと思います。それを見送る義賢の気持ちまだ見ぬ子への思い…。
実はその正体を多田蔵人行綱と気づいている奴折平と義賢のやり取りからは、平家打倒を志しながらも悲壮な雰囲気が強く感じられ、その気持ちと松竹座の閉場への思いが重なってしまう感じ。
清盛の使者としてやって来た長田二郎(當吉郎)を討ってからの、最期を覚悟しての壮絶な立ち廻り。久々に見たので次々に飛んで来る矢の数に、こんなに凄かっただろうかとびっくり。
軍兵たちが取り囲み、花道での件があっていよいよあの「戸板返し」、そして素襖大紋での蝙蝠見得からの「仏倒れ」は分かっていても張り詰めた空気になります。一回一回が命懸け。(痛みから直ぐには起き上がれない日もあったと紀香さんのインスタにもあった)更に大千穐楽の緊張も重なり、松竹座の客席全体が最後の一回も無事にと祈るような気持ちだったと思います。
そして、やはりこうした大役を引き受けて観客の心を惹きつけられる上方の役者は愛之助ではないかなぁと思ったのでした。
さて、松竹座最後のお弁当はこちら。

最後は「鰯賣戀曳網」
勘九郎、七之助兄弟による三島由紀夫の人気狂言。
禿を突き飛ばす演出はなくなり、今月は「義賢最期」をリスペクト(?)して勘九郎の猿源氏がミニ仏倒れをさりげなくやってたり。鴈治郎さんが可笑し味を見せ。七之助の蛍火はもうすっかり勘九郎の猿源氏にはなくてはならない感じで。
何しろ明るく楽しい気持ちで打ち出しとなりました。このメリハリ(?)が先月に引き続き御名残公演は楽しかったかもしれません。
そうそう、四月の写真も売っていたので仁左様の松王を買い足し。あの「大當り伏見の富くじ」の吉太郎さんの猫ちゃんも買ってしまいました。


