先日、自動車メーカーに勤める患者さんと話をした。
車が欲しくなり中古車サイトを見たとき、「安い順」に並べて見るのは一番ダメだと言う。
常識的な業者間の価格から大きく逸脱したものばかりが並ぶ。
半分より下は情報として削除するくらいでなければ、真っ当な一台にはまず当たらない、と。
車好きなら当然の話だが、無知であれば「安い順検索」は常套手段だ。
安すぎる価格は、誰もが一度は怪しいと思う。
だが「欲しい」という感情が、正しく判断する目を曇らせる。
欲しすぎて。
好きすぎて。
――恋は盲目、である。
逆に高すぎる場合はどうか。
根拠のない自信なのか、最初から二重価格なのか。
「今だけ○円!」「先着何名様!」
それを書く側も、すぐに飛びつく買う側も、どこか自分自身に盲目だ。
それは本当に、正当な自己評価なのか。
それは本当に、今の自分に必要なものなのか。
いまだに日々治療をしながら、私は葛藤する。
今日のこの治療は、患者さんから毎回いただく料金に見合った提供ができたかどうか。
時には第三者の意見をもらうこともある。
毎回、数千円というお金をいただいているのだから。
例えば私の仕事の場合。
問診票に「会社員」と書かれていても、デスクワークの人と穴を掘る人では、同じ治療はしない。
「腰が痛い」と言っても、運転手でもタクシーとトラックでは違う。
子どもや学生なら、三月と新学年の四月では違う。
四月の春と、七月八月の夏休み・夏合宿でも治療は変わる。
問診票を見た瞬間に、そんな治療のパターンが数十浮かばないなら、それは経験ゼロだ。
須らく、経験なのである。
相場だけを根拠に、自分の身の丈を超えた価格設定をしているかどうか。
それは明敏な人には、すでに見透かされている。
そんなサービスに、1万円は払われない。
耳ざわりの良い謳い文句の広告に、どうか騙されぬよう。
妙に肩書きをビンビンに出したり、最新設備を前面に押し出した店に惑わされぬなかれ。
それが料理であれ、治療であれ。
最後に問われる一番大切なのは、人の心なのだから。
昨今、本当に何でも値段が上がって嫌になる。
小さくなり、量まで減って、少なくなった日には正直腹が立つ。
そんなお菓子やケーキを前にした子供のガッカリした顔など、できれば見たくない。
その話は少し前にも書いた。
当院は開院以来、三十年、実質一度も値上げをしていない。
今の料金設定の理由は、当然ながら開院当時にまで遡る。
そもそも「治療として人を治す」身として、
料金とはどうやって決めるべきなのか、という話になる。
若い頃、学生時代にバイトをしながら、いくつかの治療系スクールに通った。
それは身体の仕組みに興味があったからであり、
働くため、稼ぐために通ったわけではなかった。
その後はスポーツメーカーに就職し、いわゆる普通のサラリーマン。
お陰さまで様々なスポーツの局面に触れることはできたが、
それでも開業治療家としての経験はゼロに等しい。
スポーツに関わっていたから、
スポンサーを付けて競技をしていたからといって、
それはまったく別の話。
違う経験であり、違う土俵だ。
自分を振り返ったとき、
先輩と同じ料金設定など論外。
同時期に学んだ知人ですら、経験は十年先を行っている。
同時期に開業した人間で見ても、期で言えば後輩の後輩の、さらに後輩。
だから、自分が合わせるべきレベルの価格は、そこ。
先輩の半分以下。
「街の相場」で値段を決めるなど、愚の骨頂で超論外。
身の程知らずも甚だしい。
もちろん、いつか値上げをしなければならない日が来るかもしれない。
だが、今ではない。
まだ暇な日もある。
空いている時間もある。
それを埋められないのは、完全に小生の努力不足だ。
それを、今来てくれている患者さんに負担させるなど、
漢気が許さない。
小生より腕の良い人間など、五万といる。
だがそこだけ、その漢気だけは負けたくないし、負けているとも思っていない。
患者さんに一番理解してもらいたい、人間性の部分だ。
とはいえ、自分自身、三十代・四十代を振り返れば、
患者数は今の倍以上、
スタッフも社員四人に加えてバイト、
日々手一杯で、未熟で、自惚れていて、
反省することばかりだ。
だからこそ、これからも、
これまでの経験をフルに活かし、
自分自身を見つめ直しながら、
さらに精進を積み重ねていきたいと思う。
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昨年末から急に新規の問合せが増えた。
場末の肩もみ屋、企業イメージは赤羽のスナックな当院としては、誠にありがたい話である。(赤羽最高!)
問合せが増えるのは嬉しい。
だが、常にガッツリ治療中のため、小生が直接電話に出ることはほぼ出来ない。
昨今、必要な情報はネットでいくらでも手に入る。
それでも来られる方の多くは、**文字や言葉では表現できない「何か」**をどうにかしてほしくてやって来る。
診察とは、まずそれを代わりに言語化してあげること。
その上で初めて診断が始まる。
流石にそれは小生の担当である。
電話を切った後。
実際に来られて、帰られた後。
「今日、話をしただけでも少し力になれたのではないか」
毎回、そんなことを考える。
先日も、子供さんの相談で来られたお父さんがいた。
関節が柔らかすぎる。
その関節の周りには筋肉が無いから、どうしようもない。
病院でそう言われたという。
確かに、その関節周囲には筋肉は無い。
だが、その関節の動きに関与する筋肉はいくつもある。
走る時に使う筋肉。
跳ぶ時に使う筋肉。
止まる時に使う筋肉。
筋肉の問題だとしても、単なるパワーの話ではない。
命令伝達、つまり神経系かもしれない。
感覚系の問題かもしれない。
血管や血流の不具合かもしれない。
特に今が旬のウィンタースポーツでは、
ブーツ、冷え、寒さ、寒冷ストレスの影響も大きい。
先週は、早朝の低温下ランニングで
体幹の深部筋を痛めた患者さんもいた。
――書き始めたらキリがない。
とにかく、やれること、提案できることは山ほどある。
知識や資格なら、医師が一番。
それ以上はない。
そこに異論はない。
だが、患者さんは気づく。
「そこじゃない」という温度差に。
どうか、お父さん。
その違和感を大事にしてほしい。
そして、
子供さんにとって本当に必要なことを一緒に考えてくれる
“良い先生”と出会ってほしい。


