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スポーツ障害 運動療法専門施設 麻生スポーツ理学センター

ランニングで痛くて走れなくとも諦めさせないと誓ったブログ

患者専用トレーニング施設完備で腰痛、膝・足関節痛等の疼痛治療はもちろん、再発防止からパフォーマンス向上まで一貫サポート!

ってお決まり説明ですが、日々蛇足を書き綴るブログです。w


この数年、当院なりにデジタルサイネージに取り組んできた。特に初診時の患者さんに向けてである。
しかし現在は、あえて限定的な活用にとどめている。

確かに、動画や音声などの動的なコンテンツは訴求力が高く、人の目を引きやすい。だが、それがそのまま「心に響く」ことと一致するかと言えば、必ずしもそうではないと患者との温度差を感じるようになった。

特に痛みを抱えて来院される患者さんの場合、「治してほしい」という言葉の裏にある思いは実にさまざまだ。
そもそも自分自身が何を求めているのか、本人が一番わかっていないケースも少なくない。

ネットやAIが当たり前に活用される今、学校の授業で聞くような話や、本に載っている知識は、もはや誰でも簡単に手に入る情報になった。
「最新」とされる情報でさえ、来院前にすでに患者さん自身が調べ、知っていることも珍しくない。

たとえば、喧嘩をして怪我をしたとしよう。
殴られた、蹴られた、どちらが先に手を出した――それらは「起こった事象」に過ぎない。
本当に重要なのは、「なぜその喧嘩が起こったのか」という過程である。

その過程を伝え、理解してもらうためには、デジタルサイネージは非常に有効な手段だ。
これが、この数年の試行錯誤を経て小生が辿り着いた、現時点での結論である。

病院や治療院に限らず、どの業種、どの店であっても、
「人がそこを訪れるために、本当に必要な情報は何なのか」
今一度、自分自身と向き合って考える必要があるのではないだろうか。

本には載っていない何かを、ぜひ手に入れてもらいたい。


「好きなスポーツだから続けられる」
これは美談でも根性論でもありません。
正直に言えば、それは子供でもできることです。

そもそも、
好きなことすら続けられないようでは大人失格ですが、
問題はその逆。
好きなこと“しか”続けられない大人が、自分を自覚していないことです。

毎日走っている。
毎週コートに立っている。
継続して頑張っている。

それ自体は確かに悪くありません。
ただし、確実にその中の何割かは、
「続けられない自分」「やめられない自分」がいる事実に、
まるで気づいていません。

「どハマり」は褒め言葉ではありません。
多くの場合、ブレーキの壊れた状態を指します。

仕事柄、スポーツ愛好家の患者さんが非常に多いのですが、
ズルズルと治らない人ほど、
この“どハマり無自覚”パターンに当てはまります。

好きなスポーツの話になると助言は聞かない。
意識、負荷、休養の話は流す。
結局、治療もケアも中途半端で投げ出す。

肩腱板断裂、膝靭帯断裂、アキレス腱断裂。
病院で簡単に治るなら、そもそもここには来ません。

術後、
良くなるどころか
「なぜか痛みが強い」「思うように動かない」と来院する。

だから、そういう人たちは皆、
治すことに本気です。

中には、
Excelで表を作り、
練習量・リハビリ・休養を数値で管理し、
計画的に取り組む人もいます。
そういう人は、きちんと回復していきます。

好きなスポーツ、楽しい競技、やりたい運動。
それ自体が悪いとは言いません。

ただ、
「今やりたいスポーツを、やれる順に並べて続ける」
その思考は、結局のところ
身体の問題を避けて通っているだけです。

昔は、
「好き嫌いを言うな」
「人が嫌がることを先にやれ」
と教えられました。

今なら炎上するでしょう。
ですが、
好き勝手な大人のスポーツ障害が溢れている現状を見ると、
どちらが健全だったのか、考えさせられます。

歳を取った身として、
こうしたスポーツとの向き合い方を
止めきれなかったことに、
少なからず責任を感じています。


♯スポーツ ♯スポーツ整形 ♯スポーツ整体 ♯ランニング ♯マラソン ♯テニス肘 ♯腰痛 ♯アキレス腱炎


歳を重ねたせいだろうか。
最近、物事を以前ほど素直に見られなくなった気がしている。

テレビを見ていても、街を歩いていても、つい考えてしまう。
この商品、このサービスは、本当にお客さん目線に立ったものなのだろうか、と。

食べ物に限らず、何もかもが値上がりしている昨今。
商売をする身として(小生もその一人だが)、事情はよく分かる。
原材料費、人件費、光熱費……上げざるを得ない理由はいくらでもある。

だが、お客さん目線に立ったとき、その値上げは
サービスや質の向上として、心から納得できるものなのか。
そこに共感はあるのか。
最近、そんなことを考えるようになった。

例えば、ラーメンでも、ケーキでも、お菓子でも。
提供する側のこだわりや事情があるのは当然だ。
こだわること自体を否定するつもりはない。

ただ、必要以上に凝らなくてもいいのではないかと思うことがある。
映えなくてもいい。
シンプルでも、バランスの良いものを、きちんと提供してほしい。

お菓子やケーキの箱を開けた瞬間、
子どもの笑顔が思い浮かぶ商品であってほしい。
小さくて、少なくて、がっかりする顔が浮かぶような仕事は、できればしたくない。

小生のところには、毎日多くの小学生・中学生がやって来る。
だからこそ、
「今日も先生のところに来てよかった」
そう笑顔で帰ってもらえる仕事をしたいと、常に思っている。
もちろん、それは大人に対しても同じだ。

商品も、サービスも、仕事も。
一人称目線だけで組み立てられたものが溢れる世の中にはなってほしくない。

結局のところ、最後に選ばれるのは
理屈でも、流行でもなく、人間性なのだと思う。