今日は子どもの日ですね。
子どもの日といえば、
やっぱり思い浮かぶのは
空を泳ぐ「こいのぼり」。
風にゆられているこいのぼりを見ると、
なぜか少しだけ
心がのびのびする感じがします。
群馬県館林市では、
4000匹以上のこいのぼりが飾られる
イベントもあるそうです。
4000匹って、
想像するだけでもすごいですよね。
あなたには、
子どもの日の思い出はありますか?
柏もちを食べたこと。
家族で出かけたこと。
こいのぼりを見上げたこと。
おじいちゃん、おばあちゃんの家に行ったこと。
楽しい思い出がある方もいれば、
なぜか心に残っている
小さな出来事がある方もいるかもしれません。
実は私にとって子どもの日は、
ちょっと苦い思い出がある日でもあります。
私が小学2年生のころ、
岩手県岩泉町にある
祖父母の家で暮らしていました。
その家には、
祖父母だけでなく、
叔母夫婦、
同い年のいとこ・太郎君(仮名)、
太郎君の妹の花子ちゃん(仮名)も
一緒に住んでいました。
今思えば、
とてもにぎやかな家でした。
そんなある年の子どもの日。
おやつの時間に、
ちょっとした事件が起きました。
太郎君が突然、
こんなことを言ったのです。
「子どもの日は男の子のお祭り!
だから、女の子にはおやつはない!」
えっ?
私はびっくりしました。
そして、心の中で思いました。
いやいやいや。
おやつ、食べたいんですけど!
小学生の私にとって、
おやつはかなり大事です。
そこで私は、
すぐに反論しました。
「子どもの日は“こどもの日”でしょ。
男の子も女の子も関係ないんだよ!」
すると太郎君も、
まったく引きません。
「ちがうもん!」
私も負けません。
「ちがわないもん!」
そこから、
おやつをめぐる
本気のケンカが始まりました。
ただの口げんかでは終わらず、
取っ組み合いのケンカにまで発展。
今なら笑えますが、
そのときの私は本気でした。
もちろん私は、
おやつが食べたかった。
それは間違いありません。
でも今思うと、
悔しかったのは
おやつを食べられないことだけでは
なかったのだと思います。
「女の子にはない」
そう言われた瞬間、
私はきっと、
仲間外れにされたように感じたのです。
「私も子どもなのに」
「どうして私だけダメなの?」
「大事にされていないの?」
そんな気持ちが、
小さな心の中に
わっと広がったのだと思います。
でも、小学2年生の私は、
そんなふうに自分の気持ちを
言葉にすることはできません。
だから、
怒るしかなかった。
だから、
「ちがわないもん!」と
言い返すしかなかった。
自分の悲しさや悔しさを、
ケンカという形でしか
出せなかったのかもしれません。
しばらくして、
祖母がやってきました。
そして、
「喧嘩両成敗」。
二人とも叱られて、
でも最後には
二人ともおやつを食べました。
そして、
なんとなく仲直り。
子どものケンカって、
不思議ですよね。
あれだけ本気で怒っていたのに、
おやつを食べたら
少し落ち着く。
今では、
笑って話せる思い出です。
でもこの出来事は、
なぜか今でも
心の中に残っています。
子どものころの記憶って、
おもしろいですよね。
大きな出来事よりも、
ほんの小さなひと言や、
そのとき感じた気持ちのほうが
ずっと残っていることがあります。
私にとって、
この子どもの日のおやつ事件も
そのひとつです。
大人になった今、
この出来事を思い出すと、
人間関係にも通じるなと思うのです。
私たちは、
相手の言葉だけを見て、
すぐに反応してしまうことがあります。
「ひどい」
「なんでそんなこと言うの?」
「私が間違っているってこと?」
「絶対にゆずれない」
そう思った瞬間、
心の中で戦いが始まります。
でも本当は、
ぶつかっているのは
言葉そのものではないのかもしれません。
その奥にある、
気持ちと気持ちが
ぶつかっているのかもしれません。
たとえば、
職場で誰かにそっけない言い方をされたとき。
たとえば、
相手の態度が冷たく感じたとき。
たとえば、
自分だけ後回しにされたように感じたとき。
心の中が、
ザワッとすることがあります。
「私のこと、軽く見ているのかな」
「どうしてあんな言い方をするの?」
「なんで私ばかり我慢しなきゃいけないの?」
そんなふうに感じること、
ありませんか?
でも、そのザワザワの奥には、
もっと本当の気持ちが隠れていることがあります。
「大切にしてほしかった」
「わかってほしかった」
「仲間に入れてほしかった」
「ちゃんと扱ってほしかった」
怒りの奥には、
本当は傷ついた気持ちが
隠れていることが多いのです。
人とぶつかるとき、
私たちはつい
「どちらが正しいか」を
決めたくなります。
私が正しい。
相手が間違っている。
わかってくれない相手が悪い。
もちろん、
相手の言動が失礼だったり、
傷つくものだったりすることもあります。
それを無理に
「気にしないようにしよう」
とする必要はありません。
傷ついたなら、
傷ついた自分の気持ちは
ちゃんと大切にしていい。
ただ、そのうえで
少しだけ自分に聞いてみてほしいのです。
私は今、何に傷ついたんだろう?
私は本当は、
何をわかってほしかったんだろう?
私はどんな扱いをされたと
感じたんだろう?
ここに気づくだけで、
人間関係の見え方は
少し変わります。
子どもの日の私は、
「おやつが食べたい!」と
怒っていたように見えます。
でも本当は、
「私も大切にしてほしい」
という気持ちがあったのかもしれません。
太郎君にも、
太郎君なりの言い分がありました。
そのときの私たちは、
お互いの気持ちを見ることなんて
できませんでした。
だから、
ケンカになったのです。
これは、
大人になってからも同じです。
相手の言葉に反応する前に、
自分の心を少しだけ見てあげる。
相手を責める前に、
「私は何に反応しているんだろう」
と問いかけてみる。
それだけで、
心の中に少し余白ができます。
こいのぼりを見かけたら、
少しだけ思い出してみてください。
人とぶつかるとき、
本当にぶつかっているのは
目の前の言葉だけではないのかもしれません。
その奥には、
わかってほしかった気持ち。
大切にしてほしかった気持ち。
仲間に入れてほしかった気持ち。
そんな小さな本音が
隠れていることがあります。
正しさで戦う前に、
まずは自分の心を見てあげる。
「私は本当は、何を感じているんだろう?」
そう問いかけるだけで、
あなたの心は少しラクになります。
人間関係は、
相手を変えることだけで
ラクになるわけではありません。
自分の心の声に気づくことでも、
少しずつラクになっていきます。
今日の子どもの日が、
あなたにとって
やさしい気づきの日になりますように。
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「もうムリ」を終わらせる専門家
心理カウンセラー・講師
リコネクトアカデミー主宰
宮岡真由美



